Nazca-Cusco
ナスカ〜クスコ

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インディヘナの子供たち。

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 ナスカの地上絵展望台

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 地上絵の一部、「手」が微かに見える。

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 展望台からナスカ方面を望む。

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Cementerio de Chauchilla

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 頭蓋骨とミイラ

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 ナスカからクスコへ向かう。

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 アルパカの群。

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 リマからやって来たペルー人バイクツーリスト。

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 XL600,ツインショックのXT400など、珍しいバイクばかり。

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 クスコの町並み。

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 クスコの町は赤茶色の屋根で統一されている。

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 ここで車道が消える。マチュピチュへ向かってインカ道が続く。

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 急斜面の段々畑 (Pisac)

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 ウルバンバ渓谷に温泉が湧き出す。

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 薬湯「カカトゥ」 入場料約100円

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ウルバンバの町 (Urubamba)

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 お土産を売りに来たインディヘナの娘。(Chinchero)

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 インカ時代の石組 (Chinchero)

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(Chinchero)

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(Chinchero)

1998年7月23日

Lima-Nazca

 名残惜しいが、10日間過ごしたペンション西海に別れを告げ久しぶりの移動。
 別れ際、「ごはん、すごく美味しかったです。」と言って握手すると西海さんは無言のままにっこり微笑んでくれた。考えてみると笑顔を見るのは初めてだ。寡黙な人だが、本当は暖かい心の持ち主なのだろう。しかし、笑顔の裏に長年の苦労から来る窶れが見え隠れする。一緒に南米に渡ってきた夫に死なれ、異国の地で二人の子供を育ててきた苦労は想像を絶するだろう。いつまでも元気でいてほしいと願う。

 リマの町を抜けると殺伐とした荒野が広がる。巨大な砂丘を左右に見ながら砂漠地帯をひたすら南下。
 しかし、こんな砂漠の中にも青々とした野菜が実る大農園が出現する。聞いたところによると、砂漠を農地に変えたのは日系移民の努力と技術によるものらしい。

 パンアメリカンハイウェイをひたすら南下、リマから400km以上走ったところでナスカの地上絵のある岩漠平原に到着。上空には地上絵見物用のセスナ機が飛び、道沿いにはいつかテレビで見たことのある展望台があった。
 展望台にあがると、数ある地上絵のほんの一部、「手」が見えた。想像していたものより小さい。地上絵の線そのものは地表の石を十センチばかり取り除いたものと言われているが、部分的にかなり風化しているようだ。

走行距離:465km(Total 18,445km)
宿:Hotel Aleguria 10soles
出費:ガソリン10.50soles(1.5G), 23soles(3.7G)
   昼食 6soles 夕食 3soles
   ナスカの地上絵展望台 1soles


1998年7月24日

Nazca-Puquio-Chalhuanca

 ナスカから南へ30km、インカ時代の墓地(Cementerio Chauchilla)を訪れた。金銀の副葬品が盗掘され、あたり一面人骨が散らばっている。

 インカの墓地遺跡ではニューヨークからやって来た自分と同世代のアメリカ人夫婦、カルメン、クリスに会った。英語で話すのは久しぶりなので単語が出てこない。苦しまぎれにスペイン語を混ぜて話した。会話の中でカルメンさんは「今度ニューヨークへ来たら電話してちょうだい、町を案内してあげるわ。」と言ってくれた。近いうちに両親を連れてシカゴやニューヨークへ建築物を見に行こうと思っていたのでありがたいお言葉だ。アドレスを交換し、ニューヨークでの再会を約束。

 インカの墓地遺跡を見たあと、一路クスコ目指して東へ向かう。地平線の彼方に見える丘は標高6,000メートル以上の大山脈だ。
 平野部の砂漠地帯から一気に山岳地帯を駆け上がる。プキオの村まで上がったところで六人組のオフロードバイク集団に出会った。ペルー人のグループだが、みんな日本の林道ツーリングのようなスタイル。リーダー格の一人、アレハンドロはスズキのTS200Rに乗っている。一緒に走る事になったのだが、次第にバトルとなり、最後はドリフトしながら先を争った。勝負は完全にこちらの勝ち、そのまま先行、4,300メートルの峠(Abra Huashuaccasa)を越え先へ進む。

 チャルアンカの手前で橋が落ちており、迂回路が川の中に潜っていた。暗くて向こう岸がよく見えないが川幅は20メートルくらいあるだろう。水は濁流となっている。こんなところで水没したらお終いだ。ここは安全策をとってバイクを押す事にした。ブーツを履いたまま水の中にザブザブ入って行く。見た目よりかなり水深があり、すでに膝が濁流の下に潜り見えなくなっている。ヘッドライトで向こう岸を照らすが、霧が出ているため出口が見えない。一歩進むにつれ、水深はさらに深くなり流れも速くなる。足がふらつき流されそう。

 やばいと思った。こういう場合はバイクを押して川に入る前に自分一人で歩いて確認すべきものだったのだ。標高の高い場所で判断力が確実に鈍っている。こんな川の中では方向転換もままならない。「誰か助けてくれー」と叫んだところで人の気配はない。 「このままバイクごと流されて土左衛門か!? いや、負けてなるものか!!」 最後の力を振り絞って走行ラインを50センチずらしたら水深が10センチ下がった。川底には頭大の石がゴロゴロしているがエンジンを吹かし、数回エンストしながらも何とか向こう岸に渡りきることができた。ホッと一息、もしこのエンジンがセルスターターじゃなかったら川の真ん中で身動き取れず、本当に大変な事になっていただろう。
 暗闇の中を少し進むとヘッドライトを点けているにもかかわらず視界が1メートルになった。霧だと思っていたのは実は砂煙らしい。右手上方を見ると重機が崖の上から土砂を落としている。闇の中、大音響と共にすぐ近くに大岩が落下する音がする。視界1メートルの闇の中、岩が頭の上に落ちてきたらと思うとゾッとして生きた心地がしなかった。

 少し行くとまた川の流れる音が聞こえてきた。また川渡りがあるんじゃないだろうなと思ったが、そのいやな予感が当たった。しかし二本目の川は水深40センチ、川幅15メートルで難なく渡りきることができた。
 やがて谷間の影に村の光が見えてきた。あの光はチャルワンカの村だろう。警察の検問を受けた後、村に一軒だけあるホテルに入ることができた。

 ホテルの人にゲリラの活動状況を訊いてみた。このあたりで活動していたゲリラはは最近ほとんど殲滅状態、近年は平和な日々が続いているそうだ。しかし、アヤクーチョではまだゲリラ活動が続いているらしい。ここからアバンカイへ行く道の途中に橋が5から6本架かっているのだが、センデリスタが暴れていた頃は何度も爆破されていたという。トラックが通れないので物資の供給が間に合わず、不便な生活を強いられていたらしい。

 ホテルに着いて約一時間後、アレハンドロのグループが到着した。みんな足がずぶぬれだ。もっと手前でキャンプでもするのと思っていたが、彼らもこのホテルに泊まるらしい。アレハンドロたちもあの川渡りで苦労したらしく、「ヒロはたった一人であんな川を渡ってきたのか!?クレイジーな日本人がいるものだ!」と言って驚いている。 振り返れば今日は長い一日だった。

走行距離:417km(Total 18,862km)
宿: 12soles
出費:ガソリン15.50soles(2.9G)
   朝食 6soles 夕食 10soles
   Cementerio de Chauchilla 2.5soles


1998年7月25日

Chalhuanca-Abancay-Cusco

 チャルワンカの村でガソリンを補給した後、しばらくアレハンドロのグループと一緒に走った。五人いればゲリラが出てきても心強い。過去センデロルミノソのゲリラが爆破していたという橋を何本も通過するが、その付近の川は深く流れが速い上両岸ともゴルジュになっているので復旧作業が大変そうだ。谷が深いので迂回路を作ることも難しそう。
 アバンカイの手前でアレハンドロたちと別れ、また一人で走る。アバンカイを過ぎればクスコまで200km少々だろう。クスコの手前140km地点から綺麗な舗装路となった。400km以上連続してダート路を走ってきたので振動のない舗装路がありがたい。

 クスコに着いて「ペンション花田」に宿をとる。ここも日本人宿として多くの日本人貧乏旅行者に利用されている。

走行距離:335km(Total 19,197km)
宿: ペンション花田 US$5
出費:ガソリン10soles(1.8G)
   朝食 3soles 夕食 19soles


1998年7月26〜27日

Cusco

 高山病にやられて二日間動けず、48時間何も食べずベッドの上でのたうち回った。
 クスコは標高3,310メートルの高地にあるのだが、これまで4,800メートルの峠や標高3,091メートルの町ワラスへ行っても高山病の症状が出なかったので油断したのが悪かった。直接の原因はクスコに着いた当日に夕食を大食いしたことだろう。酸素の薄い高地では胃腸の活動が弱まるので、平地では何も問題のない食べ物でも食あたりのような症状を引き起こすことがある。

 27日夕方、コカ茶をがぶ飲みすると症状がかなり良くなり、花田さんがご馳走してくれたラーメンを全部食べることができた。これでやっと生きた心地だ。あともう一日安静にしていれば高山病も治るだろう。

走行距離:0km(Total 19,197km)
宿: ペンション花田 US$5 x2


1998年7月28日

Cusco

 朝から晩まで一日中HPへの入力をして過ごす。まだ腹の具合が悪いが、明日には良くなるはず。

走行距離:0km(Total 19,197km)
宿: ペンション花田 US$5
出費:


1998年7月29日

Cusco

 町のインターネットカフェでFTP送信。FTPソフトはインストールされていないが、自分で持ってきたディスクからインストールさせてもらう。このソフトはインストール後PCを立ち上げ直さなければならないことになっているが、それをしなくても利用できることがわかった。

走行距離:0km(Total 19,197km)
宿: ペンション花田 US$5
出費:インターネットカフェ 5soles/h
   食費 19soles


1998年7月30日

Cusco

 米国サウスダコタに住む友人、ブライアンからメールが来たのだが、そのメールによると彼は自分のバイクショップをオープンしたという。
 ブライアンとは僕が北米大陸を一周しているときに、マシントラブルがきっかけで知り合った。一週間も家に泊めてくれ、すべての食事を含めて手厚いもてなしをしてくれたのである。当時ブライアンは町のバイクショップでメカニックの仕事をしていたのだが、個人的にも中古四輪車の修理販売や、ハーレーのカスタムを作成していた。

 同世代の友人が次々と新しい事業を興しているのを知ると嬉しさと同時に、自分は何をやっているんだという切迫感に迫られる。
 「目標は全世界走破!」と粋がってこのままいくつの国を走ろうと、距離を何キロ走ろうと、それは単なる自己満足にすぎないのだ。僕もあと二年も経てば30歳を過ぎてしまう。その時に「自分は30年生きてきてこんなものを残しました」と胸を張って言えることができるだろうか。

走行距離:0km(Total 19,197km)
宿: ペンション花田 US$5
出費:インターネットカフェ 3soles/30min
   食費 25soles


1998年7月31日

Cusco-Urubamba-Ollantaytambo-Cusco

 マチュピチュ遺跡へのアクセスはインカ道を歩いて行くか、又は列車で行くかの二つしか方法がないことになっている。せっかくここまでバイクで走ってきた自分としては、どうしてもバイクで走って行きたいもの。ものは試しに、バイクで行けるところまで行って道があるか無いかだけでも確かめに行くことにした。

 クスコから約80km、オリャンタイタンボの村を抜け、更に石ころだらけの狭い道を約20km走ったところで車道が消えていた。人が歩くインカ道はその先も続いているのだが、幅の狭い道にバックパックを背負った人が数百人規模で数珠繋ぎに連なっている。インカ道の取り付けにバイクを止めて佇んでいるとインディヘナのおばさんが「どないしたねん?」と話しかけてきた。ケチュア語混ざりの聞き難いスペイン語だ。「バイクでマチュピチュへ行く方法はないかい?」と訊くと、「線路の他に道は無いんじゃ。インカ道もアップダウンが多いのでバイクじゃ無理だでよ。」と言った。やはり列車に乗って行くしか方法はないのだろうか。

走行距離:216km(Total 19,413km)
宿: ペンション花田 US$5
出費:ガソリン 10soles(1.8G)
   食費 22soles

両替 TC$50 -> 143soles


1998年8月1〜5日

Cusco

 この一週間、バイクの分解整備や荷物の再点検、その他身の回りの雑用をして過ごした。中南米の旅を初めてすでに六ヶ月近く経過しているためか、不要なものが増えている。未処理の書類が束になり、やたくさんの人からもらった名刺が山積みだ。旅行中は洗濯(手洗い)や縫い物(手縫い)を含め、すべて自分でこなさなければならないので結構忙しい。

 今泊まっている宿「ペンション花田」には多くの日本人旅行者が訪れている。ここ数日の間にも自転車で南米大陸を走っている自転車旅行者、バイク旅行者などがたどり着いた。彼らについては「中南米で出会ったあやしい日本人たち」「中南米のバイク旅行者」のページで紹介しよう。

走行距離:198km(Total 19,611km)
宿: ペンション花田 US$5
出費:食費 142soles
   雑費 150soles

両替 TC$50 -> 143soles
   200soles(CITI)


1998年8月6日

Cusco-Pisac-Urubamba-Cusco

 久しぶりにバイクに乗りクスコ周辺を散策した。ウルバンバ渓谷に沿っていくつか温泉が湧いていることがわかった。温泉巡りの旅をしている谷川さんに教えると、さっそく現地調査に行くとのこと。詳しいレポートは「旅人から聞いたお話」で紹介しようと思う。

走行距離:198km(Total 19,611km)
宿: ペンション花田 US$5
出費:ガソリン 20soles(3.8G)
   食費 28soles


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