Yungay-San Luis-Lima
ユンガイ〜サン・ルイス〜リマ
水深60cmの川渡り。 氷河からの冷たい氷水が流れている。(左)
ジャンガヌコ峠(4767m)からツヅラ折れの峠道を眺める。(右)
![]() Huascaran Norte 6654m (L) Huascaran Sur 6768m (R) ペルーで一番高い山。 ![]() Lagna Chinancocha ![]() Huascaran Norte 6654m ![]() Chacraraju 6112m
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1998年7月9日 Yungay-Huaraz-San Luis 1970年の地震で被害を受けたというユンガイの町だが、見た感じではペルーの他の町と似たり寄ったり。それもそのはず、大規模な土石流のため、当時の町並みはほとんど地中に埋まってしまったらしい。 峠を越えてしばらく下りたところ、ヤナマの村の手前で橋が落ちており、川の中を迂回路が通っている。深いところは水深60センチ以上ありそうで、しかも水の流れが速い。その上、川を流れている水は氷河から溶けだしたばかりの冷たい氷水。荷物満載で川渡りするのはかなりリスキーだ。こんなところで転けて水没なんて事になったらえらいことになるだろう。かといって、またあの標高4767メートルもある長い峠道を戻る気にもなれない。 本日の出費だが、ガソリン満タン、国立公園入場料、二食の食事、宿代の合計がたったの39.80ソル(14ドル)。ペルーは田舎ばかり旅していれば、かなりお金をセーブできそう。 走行距離:191km(Total 17,347km) 1998年7月10日 San Luis-Chavin-Barranca 昨日に引き続き今日もアンデス山岳地帯のバックロードを走る。道は小さな村を結んで細々と続いている。道端で会うのは鮮やかな民族衣装を着たインディヘナばかり。村を通る度にみんなから注目され、道を訊ねるため立ち止まるとたくさんの村人に囲まれる。 そのまま海岸地帯まで下がり、パンアメリカンハイウェイに出たところで安宿に入った。約4ドルの安宿は断水しており、水シャワーも浴びられない。もう四日もシャワーを浴びていないので髪がべとべとのバサバサ、砂埃にまみれ体中がかゆい。汚い格好のまま近くの食堂へ入るが他の客はもっと汚い格好をしていた。みんな汚い格好をしているので自分が汚い格好をしていても気にならないのがよい。 走行距離:354km(Total 17,701km) 1998年7月11日 Barranca-Lima 海岸沿いのハイウェイをひたすら南下し、ペルーの首都リマの街に至った。街のまわりはリング状にスラムがあると聞いていたのだが、見た感じではあまり危ない雰囲気はないようだ。しかし海から流れ込む塩を含んだ霧のほうが不快。 リマの中でも新しい街、「ミラフローレス地区」で電話のあるホテルを見つける。一泊35ドルと高いが、ネットへの接続を試すためにやむを得ないだろう。しかし肝心の電話は直接ダイヤルできるシステムではなかった。フロントで事情を話すとホテルの電話回線を使わせてもらうことができた。 走行距離:258km(Total 17,959km) 1998年7月12日 Lima ペルーで一泊35ドルのホテルに泊まり、一食12ドルの寿司を食べるとやたら贅沢しているような気分。つい二日前、アンデスの山の中で一泊3ドルの宿に泊まり、一食1ドルの食事を食べていたことを考えると十二倍贅沢していることになる。 「ペンション西海」に郵便物を受け取る用事があってタクシーを走らせたのだが、それらしき建物はどこにも見あたらなかった。 場所が解らないとなったら早速メールで問い合わせだ。友人の走じろうさんがペンション西海の場所を知っていたはず。ありがたいことにメールを出すとその日のうちに返信を送ってくれて詳しい場所を教えてくれた。 私信: 走行距離:0km(Total 17,959km) 1998年7月13日 Lima ペンション西海へ行くときに道を間違って反対側のスラム街に入ってしまった。ぼろ布をまとった人が何かをするわけでもなく道端の生ゴミの上にに座り込んでおり物凄い光景。 ペンション西海はボリュームある日本食の夕食が出ることで日本人旅行者の間で有名。日本食レストラン「だるま」や土産物屋、そしてこのペンションを経営者していた西海さんは数年前に亡くなられたのだが、現在では奥さんがペンションだけを運営している。建物や設備は決して良いとは言えないが、宿泊している人が日本人旅行者だけなので盗難などの心配が無く居心地が良かった。 今日の夕食はエビや魚の天ぷら、マーボー豆腐、ポテトサラダ、白飯に味噌汁。まともな日本食を食べるのは一ヶ月ぶりなので一心不乱にガツガツ食べてしまった。 走行距離:21km(Total 17,980km) 1998年7月14日 Lima ペンションに置いてある情報ノートには過去の旅行者が実際に遭遇した様々な危険情報が書かれている。それを読んでいるとペルーでは首締め強盗やひったくりなどは特に珍しいことではないらしく、どれも背筋が寒くなる内容ばかり。特にペンション西海付近で「ピラニータ」に遭った話は恐ろしい。それは年齢10〜15歳くらいの子供約50人が徒党を組んで通行人の荷物や衣服を次々と剥ぎ取りながら行進して行くというもの。彼らは自分たちだけでコミュニティーを作り、泥棒をしながら生活しているらしい。まさにピラニアそのものだ。実際にこの「ピラニータ」に遭った人も買たばかりのタバコ1カートンや帽子などを剥ぎ取られたという。 また、情報ノートには旅行者が経験した様々な旅のもようが書かれている。中でも面白かったものは高校卒業した直後、五万円だけにぎりしめで南米にやって来た人の話。彼はドロンズと一緒に旅をするためにやって来たのだが、僅かな情報を頼りになんとかドロンズに会ったにも関わらず、テレビクルーの人から同行を断られてしまった。(当たり前だ) 今日は中南米を旅してすでに一年五ヶ月になるという23歳の女性、あきさんが到着。その他にもすでに二年以上旅を続けているという人、そしてすでに世界中を旅行している科学者夫婦も滞在、旅の話で盛り上がった。みんな気合の入った旅行者ばかりだ。 走行距離:0km(Total 17,980km) 1998年7月15〜22日 Lima ペンション西海で毎日美味しい日本食を食べ、日本語の本を読みふけり、とうとう十日間過ごしてしまった。 20日は天野博物館を訪れた。天野博物館では主にチャンカイ文化時代の土器や織物が展示されている。館員が日本語で解説してくれるので、事前に予習して行かなくても十分に理解しながら見て回れる。 走行距離:0km(Total 17,980km) |