ポルトベーリョ〜ウマイタ〜イタイツバ〜ベレン
Porto Velho-Humaita-Itaituba-Belem
泥濘路面のトランスアマゾニカを走る。
![]() 前半は路面状況がよいのだが...。
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1998年10月10日(土曜日) Porto Velho-Humaita Yamaha XT600に乗ったホテル従業員に先導してもらい、町の出口である艀乗り場へ行く。マデイラ川を渡った向こうにウマイタへ続く道が延びている。この川はアマゾン川支流の大きな川で、マナウスまで船舶が航行している。 ポルトベーリョ〜ウマイタの中間地点にあるレストランでクロビスさんという人がトランスアマゾニカ(アマゾン横断道路)について現在の状況を教えてくれた。話によるとウマイタから東へ約1,000kmの町「イタイトゥバ」までは途中川渡りがあるものの、なんとか道が繋がっているとのこと。しかしイタイトゥバの先では激しい降雨のため道路が寸断されているかもしれないらしい。でも、もし道が通れなくてもイタイツバから水路でベレンまで行くことが出来るとのこと。 走行距離208km(Total 27,483km) 1998年10月11日(日曜日) Humaita-Rio Sucunduri ウマイタからしばらくは六速全開で巡航できるような走りやすいダートが続いた。約400km行ったところでアプイという村があり、ホテルに泊まることができる。しかしここへ着いた時点でまだ午後三時。早く抜けてしまいたいので先行する事にした。だがこれが誤りで村から50kmほど進んだ所で雨が降ってきた。しかも、今日はジャカレアカンガの村まで走ろうと思っていたのだが、そこまで120kmの距離を残して日が暮れてしまう。その上約100km手前のリオ・スクンドゥリで艀に乗ろうとしたのだが、オペレーターの姿が見えない。川で沐浴していた人に聞いたところ、今日はもう運行しないらしい。ブッシュキャンプしようとしたが、道の周りはすべて鬱蒼とした密林、どんな生き物が潜んでいるかわからないので安易にテントを張るのは危険だ。付近の村人に安全なキャンプ地を聞いてみたところ、ありがたいことに物置のような掘っ立て小屋を一泊5ヘアイスで貸してくれた。 走行距離510km(Total 27,993km) 1998年10月12日(月曜日) Rio Sucunduri-Itaituba 朝五時起きで村を出発。自分一人川を渡るために大きな艀を出してもらう。対岸まで目と鼻の先なのに4ヘアイス(約500円)も徴収された。ウマイタから約500km区間は途中トラック三台とすれ違ったが、ここから先は更に交通量が少なくなるらしい。 道端に何かがいる。そのまま側を通過しようとしたところ、その物体が動いた。近くまで来て気がついたそれは太さがペットボトルほどもある大きな蛇。横を通過する瞬間、牙をむきだし飛びついてきた。足をあげたら僅かのタイミングで噛まれずに済んだ。間一髪だった。こんなひと気のないジャングルで毒蛇に噛まれていたらただごとでは済まないだろう。 前方の轍に水たまりを見つけ隣の轍に移ろうとしたところ。リヤタイヤが横に流れて思いっきり転けてしまった。南米へ来てまともに転けるのは今回が初めてだ。幸いバイクのダメージはウインカーのステーが曲がった程度だが、精神的に参ってきた。こんな泥濘路がイタイツバまで170kmも続くと思うとうんざりする。 いったい自分は今何をやっているのだろう。アマゾン横断だなんてどうしてこんなバカなことを始めたのだろう。「後悔後を絶たず...。」 走行距離570km(Total 28,563km) 1998年10月13日(火曜日) Itaituba 一日休憩。この二日間でダートを1,000km以上走ってきたので疲労困憊だ。 イタイツバはガリンペイロ(ゴールドマイナー)の町。町には金の取引所があり、砂金を現金に換える人たちで賑わっている。またここは両替屋も兼ねているとのことで、自分も米ドルの両替をした。レートは悪かったがベレンまで手持ちのヘアルが尽きそうなので仕方がない。 町のバイク屋でオイルを交換。ついでに切れたテールランプの球を交換したがこれは無料サービスしてくれた。ブラジルではどんな田舎町にも数軒のバイク屋があり、タイヤなどの消耗品を始め在庫が豊富に揃っている。そして町中ではブラジル産の「Honda XLR200」など、新車に近いバイクもたくさん走っている。ブラジルという国はいったい...。 走行距離3km(Total 28,566km) 両替 US$100 -> 105reais 1998年10月14日(水曜日) Itaituba-Altamira 明け方、ドラム缶をひっくり返したような大雨の音で目を覚ました。今日は早朝から出発する予定だったが、朝からこれでは気分も滅入ってしまう。ただでさえ走りにくい悪路が続くのに泥がプラスされると最悪だ。 走行距離484km(Total 29,050km) 1998年10月15日(木曜日) Altamira-Breu Branco ポルトベーリョで買った地図(Quatro Rodas Guia Estradas)は距離表示がいい加減だ。今日は道に迷わなければトランスアマゾニカのダート路を午前中に出られる予定だったのだが、朝アルタミラの町を出るときにはじめから道に迷ってしまった。人に道を訊きながら走っているのだが、みんなそれぞれ違う方向を答えるのでわけが解らない。結局50kmもミスコースしてやっと町の出口を見つけたがこの時、時刻は十時半。 走行距離444km(Total 29,494km) 1998年10月16日(金曜日) Breu Branco-Belem ブレウブランコの村から走ること三百数十キロ、アマゾン川を挟んでベレンの対岸へ着いた。川の向こう側遙か彼方に高層ビルが建ち並んでいるのが見える。あれがアマゾン川河口の町ベレンだ。このあたりの川は幅が数十キロもあり、まるで海のように広い。とてもじゃないが橋を架けられる距離ではなので両岸の町を結ぶ交通手段に艀が往来している。艀と言っても大型トラックが十台以上乗れる鉄製の筏を馬力のあるタグボートが押す形だ。 アマゾン川の航行は約一時間ほどでベレンに着。どこのホテルも満室で空き部屋探しに苦労したが、六軒目に入った安宿で空き部屋を見つけた。 走行距離364km(Total 29,858km) 1998年10月17日(土曜日) Belem 両替所で米ドルTCをヘアイスに交換。ここで一気に400ドル分両替した。ペルーやボリビアでは100ドルで一週間は生活できたのに物価の高いブラジルでは三日と保たない。もっと長く滞在したいが残り少ない資金でブラジルに長居することは不可能だ。仕方ないがパラグアイ国境までの約4,000kmを十日で抜けようと思う。 宿の近くに「Y.YAMADA」というデパートがあった。日系人が興した会社らしい。驚いたことに日本のふりかけやインスタント味噌汁、カップラーメンなどが売られていた。思わず手が伸びてしまったが日本での通常価格より四倍も高い値札を見てその手を引っ込める。悔しいが今はカップラーメンひとつに500円も出せないのである。 夕方、宿のフロントにある電話を借りて久々にインターネットに接続。最後に自分のPCを直接繋げたのはリマからなので三ヶ月ぶりになる。 走行距離0km(Total 29,858km) 両替 TC/US$400 -> 452reais 1998年10月18日(日曜日) Belem 電話局「TRLEPARA」へ行って自分のPCでインターネットにアクセス。ここでは電話ボックスに普通の電話が備え付けてあり、料金は後でまとめて払うシステムとなっている。電話線の根本がモジュラージャックになっていなかったので一時は接続を諦めたのだが、テーブルの下に潜って見たところ電話線取り出し部分がむき出しになっているのを発見した。ホテルへ蓑虫クリップを取りに戻り再び導線を接続してみるとモデムセーバー(電話回線の電圧・極性をチェックする道具)の青ランプが光った。これはいける、早速PCに繋いでIBMネットへダイヤルすると一発でネットワークに繋がった。しかししばらくは快適に通信できたのだが、一時間ほど使っているうちに調子が悪くなってきた。何度ダイヤルを繰り返しても接続後数秒で切れてしまうのだ。ブラジルのアクセスポイントは一日一時間以上利用できないことにでもなっているのだろうか。 ガソリンスタンドで洗車するが、料金10ヘアイス(約9ドル)と聞いて驚く。7ヘアイスまで値切り洗車してもらったのだが、ナンバープレートの裏側を洗おうとしてプレートを曲げるのには閉口した。 走行距離9km(Total 29,867km) |