クスコ〜プエルトマルドナド(ペルー)〜イニャパリ〜ポルトベーリョ
Cusco-Puerto Mardonado-Inapari-Porto Velho

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アンデスの高地からアマゾンベースンへ降りる道。

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 アンデス4,000メートルの峠からアマゾンベースンへ。

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 アンデスの東斜面を駆け下りる。

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 道は濁流の中に消えていた。水深1.2メートルの川を目前に唖然とする。

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 川を渡るトラックをヒッチしようとするのだが...。

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 川の手前の村にて、掘っ立て小屋に泊めてもらう。

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 掘っ立て小屋の子供たち。

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 トラックでバイクごとヒッチ。

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 名前は知らないが美しい蝶がたくさん舞っていた。

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 Puente Inanbari
セルバ地帯に多くの吊り橋がかかる。

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 深さ1メートルの轍が続く。

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 危なっかしい丸木橋。

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 行程に大小数え切れない川渡りがあった。

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Cusco-Puerto Maldonado
 泥沼でスタックしたトラックを頻繁に見る。

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 Rio Madre de Dios (Puerto Maldonado) マドレデディオス川を艀で渡る。

98100802.jpg (10334 バイト) Puerto Maldonado-Inapari
 ブラジル国境へ続く道。

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 泥スリックになったタイヤ。

1998年10月4日(日曜日)

Cusco-Capire

 今日はクスコからアマゾン越えの初日である。
 三つ目の峠を越えたところから道はひたすら下りとなった。道のすぐ側では川が灰色の濁流となって轟々と流れている。川に並行して走っている道は所々流れに浸食され、部分的に崩れ落ちている。なにかいやな予感がする。

 やはりいやな予感は当たるもの。ダート路を連続230km走ったところで水深1.2メートルの濁流に行く手を阻まれた。川を渡る大型トラックは直径1.2メートルのタイヤをすっぽりと水に沈め、唸りをあげて渡っている。流れが速いため、人が歩いて渡ることもできない。
 四駆のピックアップトラックでさえ単独川を渡ることができないようで、車高の高い大型トラックに牽引されて渡っている。なんとそのピックアップトラックは流れの中でボンネットまで水に浸かっていた。

 向こう岸から越えてくるトラックの運転手はすれ違いざま「こんな所バイクで渡ったら死んじまうぞ!」と怒鳴る。
 仕方なくトラックをヒッチしてバイクを向こう岸まで積んでってもらうおうとしたのだが、どういうわけかこの辺を走っているトラックはタンクローリーの改造車ばかり。タンクの上部を切り取って無理矢理荷台として利用しているので、後ろに扉が付いていない。そのため荷物の積み降ろしの時は地面から三メートル以上の高さまで持ち上げる必要がある。ユニックのような気の利いたものは付いていないのでこれではどう考えてもバイクを積みこむのは無理だ。
 こうしてジタバタしているうちに日が暮れてしまい、その上大粒の雨が降ってきた。これではキャンプさえままならない。こんなセルバ地帯の谷間では一泊するホテルもあるわけない。

 川の数キロ手前、簡易食堂で事情を話しキャンプできるような所があるか訊ねたところ、主人は親切にも食堂で一晩寝ても良いと言ってくれた。掘っ立て小屋の食堂の中、雨に濡れた寝袋に潜り込み一晩明かす。

走行距離282km(Total 25,857km)
宿: 6soles
出費:食費 12soles
   ガソリン 25soles (3.7G)
   ガソリン 8.5soles (1.5G)


1998年10月5日(月曜日)

Capire-Mazuco

 一晩明けたが川の水位が下がるような気配も見られない。トラックをヒッチしようにも例のタンクローリー改造車や材木満載のトラックばかりでバイクを積めそうなトラックは一台も通らない。この川を渡れなければクスコへ戻るしかないのである。アマゾン越えの初日から挫折か?
 しかし諦めて引き返そうとしたところ、運良く後ろに扉の付いた空荷のトラックがやって来た。肩の高さもある荷台まで三人でバイクを担ぎ上げ、なんとか積み込む。普段は狭い道で邪魔にしか思わないトラックだがこの時ばかりは頼もしい存在に思える。やがてトラックはザバザバと濁流を渡った。

 川を越えてから先、バイクを降ろしてからは一速か二速しか使わないで走るような悪路が延々200km以上続く。路面に大粒の石が出っ張っているのでまともにヒットするとリム打ちパンクしてしまうだろう。
 イナンバリの村の先では道路工事による通行止めがあった。工事の関係者に聞いたところ崖っぷちの道が雨で崩壊しかけているらしい。対策として重機で崩れそうな地盤を削り取っているのだが、結局二時間半も足止めを喰らってしまった。
 その上村の中で時間をつぶそうとしたら頭がいかれた警官に止められ、荷物を根ほり葉ほり調べられた。その警官は拳銃(イタリア製ベレッタ)をちらつかせながらわけの分からないことばかり言っている。
「暑いだろう、飲み物買ってきてやるから10ソルよこせ!」と言うので、(10ソル札持っていたけど)「今4ソルしか持っていないんだ。」と返事して小銭を出すと、買ってきたものは1.5ソルのインカコーラ。警官のくせに堂々と釣り銭をくすねるところが凄い。会話の中で妻子はクスコで暮らしているらしいのだが、年に一度しか会いに行けないとのこと。自分がなぜこんな僻地にとばされるのか分かっているのだろうか。

 今日は143kmしか進まぬうちに日が暮れてしまう。マスーコ村のホテルに入ったところ、宿帳に水野さん(XLR-Bajaで南米一周中)の名前を発見。彼は9月17日にここへ来たらしい。

走行距離143km(Total 26,000km)
宿: 15soles
出費:食費 8soles
   トラック 15soles


1998年10月6日(火曜日)

Mazuco-Puerto Maldonado

 朝食のパンを食べようとしたら包んでいたポリ袋が裂けており、パンが大きくえぐれている。ネズミの仕業だろうか。無菌の高原地帯から熱帯雨林の茂るジャングルに降りてきたことを実感させられる。これからは毎朝、服やブーツの中に侵入しているかもしれない毒虫にも気を配らなければならない。

 昨日は一日中ゴロ石の多い走りにくい道が続いたが、プエルトマルドナドに近づくほど道が良くなる。最高速も70km/hを越え、久しぶりにギヤを四速以上に入れた。

 朝から四時間走ってプエルトマルドナド着。連続500kmも悪路を走ってきたので町中の舗装路がありがたい。ブラジル国境までは更に300kmのダートを走らなければならないが、順調に進めばペルーの旅もあと一日で終わるだろう。

走行距離175km(Total 26,175km)
宿: Hosyal Wilson 15soles
出費:食費 12soles
   ガソリン 12soles (2G)
   カブタクシー 0.7soles


1998年10月7日(水曜日)

Puerto Maldonado

 こんなセルバ地帯の町にもインターネットカフェがあった。しかしクスコまで14,400bpsモデムで接続しているので遅い。繋がっているだけましだが、FTPで1ページ転送するのに一時間以上もかかってしまった。

 プエルトマルドナドは道行く車輌のほとんどが二輪車である。「エコノパワー」という名のカブや125〜200ccほどのバイクばかり。やはりこんな熱帯地方では暑くて車なんかに乗っていられないのだろう。

走行距離5km(Total 26,180km)
宿: Hosyal Wilson 15soles
出費:食費 8.5soles
   糊 0.5soles
   インターネットカフェ 21soles(二時間)
   ガソリン 18soles (3G)

両替 US$25 -> 75soles


1998年10月8日(木曜日)

Puerto Maldonado-Rio Branco

 プエルトマルドナドから艀に乗り、大河マドレデディオスを渡ればブラジル国境まであと250km。ここからしばらくは幅の広い走りやすい道が続いたが、国境の50km手前から四輪車一台分の狭くて荒れた泥道となった。所々大きな水たまりまりがあり、何度もスタックしそうになる。路面が粘土質の赤土なのでタイヤのブロックが埋まり滑る。

 昼過ぎに国境の村「イニャパリ」着。思ったよりも道が荒れていなかったので早く着いた。今日はこの村で一泊する予定だったが、時間があるので越境。ペルー側の国境にはポリスコントロールがあり、ここでイミグレ、アドゥアナの事務手続きを済ませる事ができる。
 係官の話によると先週、水野さんが通ったらしい。

 国境線のイニャパリ川には簡単な木造橋がかかっており、歩きの人やバイク一台程度なら通れるようになっていた。橋の途中、二メートルほど切れていて、かろうじて渡してある細い板きれを通る。これでは四輪は水の中を通るしないし、雨期で川が増水したら橋も水没して通行不可能となるだろう。

 ブラジル側に越境してみると、いきなり新車のバイクが走っていて驚いた。乗っている人もアメリカ製「BELL」のヘルメットを被っている。ペルーでは誰もヘルメットを被っていなかったので軽いカルチャーショックを受けた。
 村には小さいながらもスーパーマーケットがあり物が豊富にそろっている様子。こんなセルバ地帯の辺境まで物が行き渡っているのはさすが大国ブラジルならではのことだろう。
 食品店でペルーの通貨ソルをブラジルの通貨ヘアルに両替、村の出口で軍の検問を受けたあと、ひたすら内陸部めざして走る。ブラジルのイミグレはここから約110km行った「ブラジレイア」の町にあるとのこと。
 ブラジレイアまでは土の道が続いた。道の両側は過去密林だったらしいが、今は開墾されて広々とした牧草地となっている。

走行距離602km(ペルー235km)(Total 26,782km)
宿: 警察で泊めてもらう
出費:食費 3reais
   艀 2soles
   ガソリン 12reais (13.5L)
   ガソリン 6reais (6.8L)

両替 20soles -> 8reais


1998年10月9日(金曜日)

Rio Branco-Porto Velho

 朝五時、一晩泊めてもらった派出所を後にし、舗装路をひたすら東へ進む。早朝から走りはじめたので午前中に500km以上距離をかせぎ、昼時にはポルトベーリョの町へ着いてしまった。

 ブラジルではトラベーラーズチェックの両替が難しいと聞いていたが、本当に困難だ。ポルトベーリョ市内で数軒の銀行をまわってみたがどこも両替してくれない。「イタウ」という銀行にマスターカードのATMはあるのだが、シーラスネットワークに対応していないのでシティバンクのカードも使えない。「これは困ったことになったぞ」と思ってあたふたしていると親切にも銀行員がトラベルエージェンシーを紹介してくれた。
 銀行から徒歩五分の所にあったその旅行会社では、パスポートもろくに見ないで無造作にお金をよこした。

走行距離493km(Total 27,275km)
宿: Hotel Yara 20reais
出費:食費 9reais
   ガソリン2reais (2L)
   ガソリン 12reais (13.6L)

両替 TC/US$200 -> 226reais



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