クスコ〜プエルトマルドナド(ペルー)〜イニャパリ〜ポルトベーリョ
Cusco-Puerto Mardonado-Inapari-Porto Velho
アンデスの高地からアマゾンベースンへ降りる道。
![]() アンデス4,000メートルの峠からアマゾンベースンへ。
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1998年10月4日(日曜日) Cusco-Capire 今日はクスコからアマゾン越えの初日である。 やはりいやな予感は当たるもの。ダート路を連続230km走ったところで水深1.2メートルの濁流に行く手を阻まれた。川を渡る大型トラックは直径1.2メートルのタイヤをすっぽりと水に沈め、唸りをあげて渡っている。流れが速いため、人が歩いて渡ることもできない。 向こう岸から越えてくるトラックの運転手はすれ違いざま「こんな所バイクで渡ったら死んじまうぞ!」と怒鳴る。 川の数キロ手前、簡易食堂で事情を話しキャンプできるような所があるか訊ねたところ、主人は親切にも食堂で一晩寝ても良いと言ってくれた。掘っ立て小屋の食堂の中、雨に濡れた寝袋に潜り込み一晩明かす。 走行距離282km(Total 25,857km) 1998年10月5日(月曜日) Capire-Mazuco 一晩明けたが川の水位が下がるような気配も見られない。トラックをヒッチしようにも例のタンクローリー改造車や材木満載のトラックばかりでバイクを積めそうなトラックは一台も通らない。この川を渡れなければクスコへ戻るしかないのである。アマゾン越えの初日から挫折か? 川を越えてから先、バイクを降ろしてからは一速か二速しか使わないで走るような悪路が延々200km以上続く。路面に大粒の石が出っ張っているのでまともにヒットするとリム打ちパンクしてしまうだろう。 今日は143kmしか進まぬうちに日が暮れてしまう。マスーコ村のホテルに入ったところ、宿帳に水野さん(XLR-Bajaで南米一周中)の名前を発見。彼は9月17日にここへ来たらしい。 走行距離143km(Total 26,000km) 1998年10月6日(火曜日) Mazuco-Puerto Maldonado 朝食のパンを食べようとしたら包んでいたポリ袋が裂けており、パンが大きくえぐれている。ネズミの仕業だろうか。無菌の高原地帯から熱帯雨林の茂るジャングルに降りてきたことを実感させられる。これからは毎朝、服やブーツの中に侵入しているかもしれない毒虫にも気を配らなければならない。 昨日は一日中ゴロ石の多い走りにくい道が続いたが、プエルトマルドナドに近づくほど道が良くなる。最高速も70km/hを越え、久しぶりにギヤを四速以上に入れた。 朝から四時間走ってプエルトマルドナド着。連続500kmも悪路を走ってきたので町中の舗装路がありがたい。ブラジル国境までは更に300kmのダートを走らなければならないが、順調に進めばペルーの旅もあと一日で終わるだろう。 走行距離175km(Total 26,175km) 1998年10月7日(水曜日) Puerto Maldonado こんなセルバ地帯の町にもインターネットカフェがあった。しかしクスコまで14,400bpsモデムで接続しているので遅い。繋がっているだけましだが、FTPで1ページ転送するのに一時間以上もかかってしまった。 プエルトマルドナドは道行く車輌のほとんどが二輪車である。「エコノパワー」という名のカブや125〜200ccほどのバイクばかり。やはりこんな熱帯地方では暑くて車なんかに乗っていられないのだろう。 走行距離5km(Total 26,180km) 両替 US$25 -> 75soles 1998年10月8日(木曜日) Puerto Maldonado-Rio Branco プエルトマルドナドから艀に乗り、大河マドレデディオスを渡ればブラジル国境まであと250km。ここからしばらくは幅の広い走りやすい道が続いたが、国境の50km手前から四輪車一台分の狭くて荒れた泥道となった。所々大きな水たまりまりがあり、何度もスタックしそうになる。路面が粘土質の赤土なのでタイヤのブロックが埋まり滑る。 昼過ぎに国境の村「イニャパリ」着。思ったよりも道が荒れていなかったので早く着いた。今日はこの村で一泊する予定だったが、時間があるので越境。ペルー側の国境にはポリスコントロールがあり、ここでイミグレ、アドゥアナの事務手続きを済ませる事ができる。 国境線のイニャパリ川には簡単な木造橋がかかっており、歩きの人やバイク一台程度なら通れるようになっていた。橋の途中、二メートルほど切れていて、かろうじて渡してある細い板きれを通る。これでは四輪は水の中を通るしないし、雨期で川が増水したら橋も水没して通行不可能となるだろう。 ブラジル側に越境してみると、いきなり新車のバイクが走っていて驚いた。乗っている人もアメリカ製「BELL」のヘルメットを被っている。ペルーでは誰もヘルメットを被っていなかったので軽いカルチャーショックを受けた。 走行距離602km(ペルー235km)(Total 26,782km) 両替 20soles -> 8reais 1998年10月9日(金曜日) Rio Branco-Porto Velho 朝五時、一晩泊めてもらった派出所を後にし、舗装路をひたすら東へ進む。早朝から走りはじめたので午前中に500km以上距離をかせぎ、昼時にはポルトベーリョの町へ着いてしまった。 ブラジルではトラベーラーズチェックの両替が難しいと聞いていたが、本当に困難だ。ポルトベーリョ市内で数軒の銀行をまわってみたがどこも両替してくれない。「イタウ」という銀行にマスターカードのATMはあるのだが、シーラスネットワークに対応していないのでシティバンクのカードも使えない。「これは困ったことになったぞ」と思ってあたふたしていると親切にも銀行員がトラベルエージェンシーを紹介してくれた。 走行距離493km(Total 27,275km) 両替 TC/US$200 -> 226reais |