
MEXICALI-SAN FELIPE
エル・ニーニョの為、ドライレイクが冠水している。
古いキャンピングカー(トレーラーハウス)を貸し出している。
オーストラリアのオンサイトバンみたいだ。

トレーラーハウスの内部。ガスコンロ、オーブン、流し台、冷蔵庫が付いている。

そこら中にダートロードがある。

フィレテ・デ・ペスカード
サン・フェリーぺはボリュームのあるシーフード料理が安くてうまい。
この他にコーヒーとトルティージャがついて約600円

レンタルのクアドマシン
こいつが町の中を我が物顔で走り回っているのでうるさくてたまらない。

ジェットスキーもレンタルされているが、寒いので誰も乗っていない。
エメラルドグリーンのコルテス海が眩しい。

Picacho del Diablo 3097m
(PN Sierra San Pedro Martir)
この時期バハの高峰にも雪が積もる。一昨年はXR650Lであの山に登ったのだが、涙が出るほどきついガレ場の登りだった。

Laguna Diablo
ドライレイクを走る。真っ平らな表面には白い塩が浮いている。
バイクはまだ馴らし中なので、悔しいが全開走行を控える。

暖炉があり、広々して落ち着いた部屋。テラスからは太平洋が望める。
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1998年2月23日 バイクを買ったはいいが、ひとつ問題があった。シャパレルの店員が言うには、ナンバープレートと登録証書が発行されるまで6〜8週間かかるという。
これらがないとバハ・カリフォルニアを除くメキシコ本土へはバイクを持ち込めないし、メキシコ以南の国でも国境を越えることができない。
以前、シリコンバレーでXRを買ったときは4週間くらいで送られてきたので、今回もそれくらい待てば発行されるだろうと軽く考えていた。しかし4週間と8週間はえらい違いだ。
ものは試しに、日本の陸運事務局にあたる組織DMV(Department of
motor vehicle)へ直接交渉に行ってみることにした。サン・バーナジーノのオフィスへ行き、事情を話してみると、取り合ってくれた係員がなにやら奥の方で話している。特例ですぐに発行してくれるかと期待したが、返ってきた返事は期待を裏切るものだった。
6週間で出来あがるならいい方で、本当は最高90日かかるというのだ。そこを何とかしてよと頼むが、無理なものは無理と一蹴されてしまった。
「その辺旅行して、90日経ったらまた戻ってきてちょうだい」と。
冗談じゃないな。8週間でさえ長いのに90日もかかったら滞在費にいくらかかるんだろう。でもここで悪あがきしてもしょうがない。いつ出来上がるかは運を天に任せるのみだ。
とりあえず今日はメキシコへ行くことにした。アメリカは滞在費が高いので長くいると莫大なお金が消えてしまうのだ。
インターステート10号を東へ走り、途中から国道111号をひたすら南下。右に大きな湖を見ながら砂漠地帯を駆け抜ける。180マイル走ったところでCalexicoという国境の町に着いた。国境の向こうはメキシコ、Mexicaliの町だ。アメリカに未練を残さずまっすぐメキシコ国境のゲートへ入る。
イミグレーションのオフォスでツーリストカードを発行してもらい、パスポートにスタンプをもらえば簡単に越境できた。
メキシコ本土へ行くには面倒な手続きの末、一時輸入許可なるものを発行してもらわなければならないが、バハ・カリフォルニアに限ってバイクはノーチェック、ナンバーも付いてないバイクだが、何一つ問題なく通過できる。
最後にメキシコをあとにしたのが96年の4月なので、一年10ヶ月ぶりのメキシコだ。メヒカリの町は他のメキシコの町と同様、埃っぽくて道路はボコボコ、走っている車はポンコツばかりだ。交差点では路上販売員が新聞などを売り歩いている。
町並みは決してきれいとは言えないが、雑然とした光景を見ているとなぜか懐かしい想いにかられ安心感さえ湧いてくる。
メキシコと比べるとアメリカがあまりにも整然としすぎていたのだろうか、きれいに敷き詰められた芝生、等間隔で植えられている椰子の並木、傷ひとつない建物、きれいな車、どれも神経質すぎると思うほど整いすぎていて、生活感がなく、無機的に見えた。まったくメキシコとは対照的だ。
メヒカリの町を出る前に給油。メキシコのガソリンスタンドはすべて国営の「Pemex」のみ。レギュラーガソリンにあたる「マグナシン」を満タンにしたら10リッター入った。最後に満タン入れてからちょうど200km走ったので、燃費は20kmだ。XR650Lの24kmから考えるとかなり悪い。しかも、今日は慣らし運転中なのでエンジンを5000回転以下におさえて走っていたのだ。回して走るともっと悪くなるのだろうか。
そういえば東京の友人は所有するDR250の燃費が10kmとか言ってたな。本当だとする恐ろしい。
町を抜けると広漠とした風景が広がる。むき出しの岩山にドライフラワーのような乾いた草が所々生えている。サボテンの類は半島の中央部以南に行かなければ見られないので、このあたりはあまりバハらしい風景は見られない。
左右にソルトレイクが広がっている。雨が長かったせいか、冠水して泥々にぬかるんでいる。
陽が山に隠れた頃、国境から約200km走ったところで、サン・フェリーぺに到着。
とりあえずホテルを探すが、5〜6軒まわって宿泊料を訊いてみたものの、どこもUS$30以上する。いつのまに値上がりしたのだろうか、以前はもっと安かったはずだ。もっとも、前回はペソの暴落後まもなくの時期に来たのだが。
このあたりはアメリカ人の避寒地なので、アメリカ人向きの料金設定をしているのだろうか、メキシコなのにアメリカのモーテルに泊まるのとかわらないほどだ。
最後に訪ねたホテルが一泊$50と言うのをきいてがっくりしていると、受付の人が近くのトレーラーハウスを紹介してくれた。そこはホットシャワーなどの設備を整えた中古のキャンピングカーを並べ、一泊$25で貸し出している。中は狭いが、一応宿泊施設としての機能は果たしているようだ。お金を節約したいので今日はそこへ泊まることにした。
走行距離:500km
宿:トレーラーハウス $25.00
出費:マクドナルド $3.99
ガソリン $4.00(3.1ガロン)
33ペソ(10リッター)
1998年2月24日
夜間、幾度か風の音で目が覚めた。トレーラーハウスの中が埃っぽいと思ったら、天井の窓から砂が吹き込んでいる。仕方ないことだが砂漠の町はいつも砂が舞う。
朝、シャワーを浴びようとするが、お湯が出ない。昨日、ここを借りるときに「シャワーはお湯が出るか?」と何度も確認したのにこれだ。我慢して水シャワーを浴びる。
中米へ行ったらお湯のシャワーは期待できないので今のうちに慣れておいた方がいいだろう。
サンフェリーペはコルテス海に面した小さな港町である。海岸沿いの通りにはシーフード料理を出す店がたくさん並んでいる。エビやカニ、ロブスター、タコ、貝類などが日本では信じられないほどの安い値段で食べられるのだ。
町を散歩したついでにレストランに入って早めの昼食をとることにした。普通メキシコでは1時か2時から昼食の時間が始まるが、僕が入ったレストランでは終日すべてのメニューが用意されてていた。
フィレテ・デ・ペスカードを注文。白身魚のステーキだが、スズキ科の魚らしきものが出てくる。レモンの汁をかけ、トルティージャに挟み、サルサをかけて食べる。
久しぶりに食べるトルティージャだが、本場のものはさすがにうまい。去年、新宿のメキシコ料理レストランで食べたトルティージャは堅くて粉っぽくて食べられたものではなかった。
「本場のトルティージャをあの時一緒に食事したメンバーに食べさせてあげたいな。」・・・と思う。
食後、銀行でT/C$100を両替して845ペソを受け取る。二年前とあまりかわらないところを見ると、インフレもかなり収まってきたのだろうか。
夕方から近くの自動車整備工場へオイル交換に行った。旅行中のオイル交換はいつも適当な自動車整備工場でオイルパンを借りてやっている。
すべて自分でやってしまえばいいのだが、作業を手伝ってくれたときは相応の手間賃を渡すことになる。暇な人には仕事を与えてあげなければならないわけだ。
すべて自分で作業したとしても、そこでオイルを買っていれば問題ないのだが、自分で持ってきたオイルを交換するときは廃油を引き取ってもらうのに多少の小銭を渡すことになる。今回はスズキ純正のオイルを持参してきたので、オイルを排出してくれた工賃を含めて10ペソあげた。別に本人から10ペソくれと言われたわけじゃないが、その場の雰囲気で金額が決まる。ここはラテン社会なのだから。
本日の走行距離:7km
宿:トレーラーハウス $25.00(210ペソ)
出費: 昼食45ペソ(チップ3ペソ)
携帯食(ビーフジャーキー)65ペソ
パン10ペソ
飲み物6ペソ
オイル交換10ペソ
1998年2月25日
今日は太平洋岸のエンセナーダまで走ることにした。サンフェリーペの町を出てすぐに内陸よりのバックロードに突っ込む。
この道は雪をかぶった高峰Picacho del Diabloの山麓を通り、ドライレイクLaguna
Diabloを突っ切るという、景色も路面も変化に富んだルートだ。ディープサンドから、フラットなドライレイクまで、走りの方も楽しめる。距離はサンフェリーペの先から国道3号線にぶつかる出口まで約80km。
走りはじめは道がウォッシュボードのように波打って、深い砂のため転倒しそうになる。緩やかな丘陵地帯を越えた頃、Picacho
del Diabloが見えてきた。この山はさすが3,000mあるだけに、その頂付近に白い雪をかぶっている。暑いというイメージのあるバハにも雪が降るのだ。途中、絶景に見とれて何度もバイクを止めた。
山脈の麓を北上して行くと、やがて道はドライレイクの中に消える。ドライレイクは表面がフラットなので、どこを走ってもかまわない。車の轍が何本も並行に走っているのでその方向に向かって行けばいいのだ。
ドライレイクの端まで行ったところで、轍がまとまった。ここからは普通のダートロードだ。バハのバックロードは途中何度も枝分かれするが、コンパスを見て地図の示す方向に進んでいれば迷うことはないし、周りに目印になるような山があるので、オーストラリアの砂漠のように自分のいる位置がまったく見当も付かなくなることはほとんどない。
国道3号線に出る手前で軍が麻薬チェックをやっていた。砂漠の中にモスグリーンの三角テントを10張りくらい張ってキャンプしながら24時間警備しているらしい。
自動小銃を持った兵士が出てきたので、しらじらしく「ブエナスタルデス」と挨拶をかわす。その道のプロは人の外観を見ただけで白黒かわかるらしく、僕をノーチェックで通してくれた。しかし、砂漠の中で武装した兵士に会うのはあまり気持ちのいいものじゃないな。
国道3号線をエンセナーダに向かう。San Matias Pass(峠)を越えたあたりから急に寒くなってきた。雨は降っていないが、空には厚い雲がかかっている。この時期、半島北部の太平洋岸は雨期らしい。Valle
de Trinidadのレストランでタコスの昼食を食べてから、国道1号線に抜けるバックロードに入る。Valle
de Trinidadの村の中は至る所泥沼だらけだ。バックロードへ向かうまでの道も水浸しで、通り抜けるのに気を使った。時には深さ30センチ以上ある泥の水たまりを延々40メートルも渡る場所があったのだ。ここで転けて水没なんて事になったら洒落にならないな。
道は丘陵地帯を抜けているのだが、まるで日本の林道みたいだ。流水跡が深い溝となって残り、結構荒れているが、気持ちのいいワインディングが50km以上続いている。去年の「SCORE
Baja 1000」のコースだったのか、所々オレンジ色のコースマークが残っている。
後半になって国道1号線に近づいてきた頃、道はまたドロドロになってきた。時には川に道が沈んでいるところがあり、ゴボゴボと水の中を走る場面もある。
こうして国道1号線に出た頃、バイクはすっかりいい色に染まってしまい、新車の面影がなくなりつつある。
そのまま国道1号線を北上、エンセナーダを通り越しLa Misionまで走った頃、陽が太平洋に沈んだのでホテルにチェックイン。広々とした部屋が200ペソ(US$25.00)。これで昨日のトレーラーハウスと同じ料金とは...。
さあ、明日はまたアメリカへ国境越えだ。
本日の走行距離:336km(ダート140km)
宿:Hotel La Mision 200pesos
出費:昼食28pesos
ガソリン 27ペソ(8.1リッター)
1998年2月26日
La Mision-Tijuana-San Diego-Riverside
ティファナに向かっているときに、有料道路上でガス欠になった。ガスタンクの底にはまだ1リッターくらい残っているのだが、キャブレターより低い位置にあるので使えないのだ。仕方なく五分くらい押して歩いたところでハイウェイの外に商店を見つけたので、バイクを道ばたに止め、バラ線を飛び越えてガソリンを買いに行く。
運良くガレージにドラム缶入りのガソリンがあり、2リッター20pesosで売ってもらう。足元を見られ相場の三倍で売りつけられたが買えるだけありがたい。
ティファナから再び国境を越えアメリカに入国。バイクのナンバープレートは無いが、国境ゲートでテンポラリーの書類を提示。色々質問されたが、ひとつひとつ答えて通過。なんだかイミグレーションの係官相手に英語の訓練をしているようだ。
そのままインターステート5,15,215とつないでリバーサイドの町まで走る。ここでは明後日から三人で行くバハでのツーリングに向けてレンタルバイクを借りる事になっている町なのである。
トラックのレンタル会社の近くに安いモーテルを見つけチェックイン。部屋の電話には通信用のモジュラージャックが付いていて久しぶりにネットに接続できた。
走行距離:257km(メキシコ79km、USA178km)
宿:Motel 6 $33.60
出費:昼食 $3.27
ガソリン 21pesos(2リッター)
46pesos(14リッター) |