Huaquillas-Trujillo-Huaraz
ウアキージャス〜トルヒーヨ〜ワラス

98063000.jpg (34999 バイト)

「俺たちゃペルー人」
エクアドル〜ペルー国境にて。

98063001.jpg (19027 バイト)
 幹が異様に太い木。

98070101.jpg (5716 バイト)
 エルニーニョ現象による水害で至る所崩壊したパンアメリカンハイウェイ。

98070401.jpg (6024 バイト)
Plaza de Armas. (Trujillo)

98070402.jpg (12793 バイト)
 お菓子を売り歩く子供達。(Trujillo)

98070501.jpg (4079 バイト)
 海岸沿いの砂漠地帯を走るパンアメリカンハイウェイ。

98070601.jpg (12158 バイト)
Ruinas de Sechin
セチン遺跡入り口

98070602.jpg (11961 バイト)
 石に刻まれた壁画

98070603.jpg (10005 バイト)

98070604.jpg (15141 バイト)
Casma-Huaraz
海岸から標高4,224mまで一気に駆け上がる。

98070605.jpg (16914 バイト)
 道は断崖絶壁を縫うように続く。

98070606.jpg (9173 バイト)
 ツヅラ折れの峠道

98070608.jpg (7594 バイト)
 土塀の掘っ建て小屋が山の斜面に張り付く。

98070609.jpg (9462 バイト)
Callan Pass 4,224m
空気が薄くて頭がフラフラ。

98070607.jpg (9787 バイト)
Huaraz 遙か下にワラスの町並みが見える。

98070803.jpg (11404 バイト)
Huaraz ワラスの町並み。

98070801.jpg (9917 バイト)
Plaza de Armas (Huaraz)

98070802.jpg (12327 バイト)
 電話局の隣にインターネットカフェ発見。(ワラス)

98070804.jpg (10720 バイト)
 警察のジープ。

1998年6月30日(エクアドルからペルーへ越境)

Huaquillas-Zorritos

 いやなことは早めに終わらせたいもの。今日は国境手前の街で一泊する予定だったが、早めに国境に到着したので今日中に越境することにした。国境ゲート正面の通りは道の両側とも露天が密集し、その間をたくさんの人が肩をぶつけ合いながら歩いている。両国とも国境地帯独特のあやしい雰囲気。国境ゲートに到着すると、さっそく両替屋や通関ガイドを名乗るガキが蠅のように群がってきた。ここの国境にはパラソルの下で黒いアタッシュケースを抱えて座っている両替人と、路上に立っている両替人がいるのだが、路上を徘徊している両替人は詐欺師として有名。通常のレートより3割も安いレートでしつこく付きまとい、更には細工された電卓で数字をごまかす。
 通常のレートは前もって調べてあるので、自分の持っているスークレをペルーの通貨「ソル」に換算し、こちらからその金額を要求する。しかし、しつこく付きまとってきた路上両替人がなぜかその金額で妥協してきた。ここで何の疑いも無しに交換した自分がバカだった。あとでとんでもないことに気づくことになるのだ。

 エクアドル側出国スタンプを受けるイミグレは国境から3kmも戻った場所にあったらしいのだが、それを知らずに走って来たためもう一度戻るはめになった。3km戻り、問題なく出国印を受ける。次に国境のアドゥアナ(税関)へ。エクアドルに入国時バイクの通関手続きはなかったが、パスポートに税関の出国スタンプが押される。 エクアドルの出国手続きはこれで終了、次にペルーの入国手続きへ進む。

 両国とも入国時、車輌の消毒は必要ないが、過去、噴霧器を持ったニセの消毒屋が一回10ドルで必要もない消毒を押しつけていたらしい。しかし今日はそのニセ消毒屋は見あたらなかった。ポリスのチェックを受けた後、アドゥアナでバイクのイングレッソを作成してもらう。ここではパスポートのコピー(写真部分とエクアドルのイミグレで受けたスタンプのあるページ)とバイクの書類のコピーが必要とのこと。だが、アドゥアナはもちろん、付近にもコピー機のある店がないのでもう一度エクアドル側に戻ってコピーをとってくるはめになった。さっきからガイドと名乗るクソガキがしつこく付きまとっているのだがこんな時に何も役に立っていない。それどころか、「代わりにエクアドルへコピーを取りに行ってあげるから5ドルちょうだい」とお金をせびる。もちろんクソガキに大切なパスポートを託すのは危険きわまりないので自分でとりに行くことになる。すでにアドゥアナで出国手続きしたバイクでエクアドルに戻るのは違反だというが、泥棒がたくさんいそうなこの場所にバイクを置いて行くわけにはいかないのでバイクで強行。ゲートのポリスには「コピーを取りに行くだけだ、すぐ戻ってくる!」と怒鳴りつけ、有無を言わさず通してもらった。
 コピーをとって再びペルー側へ戻ると、イングレッソの作成は案外早く出来上がった。更に数キロ先のイミグレでペルーの入国手続きをして完了。
 イミグレの周りにも路上両替屋がいて、「スークレは残っていないか?」と言って付きまとってきた。手元に20,000スークレ(約9ソル分)残っていたので交換しようとすると、3ソルしかよこさない。「20,000スークレは10ソル分くらいあるじゃないかよ!」と強く要求するとやっと5ソル渋々出してきた。まったくどうしようもない連中だ。国境を越えるだけで何でこんないやな目に遭わされるのだろう。

 エクアドルとペルーは現在も国境紛争が絶えない。国境近くの街はまるで空爆を受けたような建物が立ち並び、瓦礫が町中に散らかっている。しかしそんな廃墟のような建物の中にも貧しい人が住みついている。
 そんな中にバイクをストップさせるとバラックの中から子供も大人もゾンビのごとくわさわさっと出てきた。つかまらないうちにバイクを発進させるとみんな罵声を投げかけてくる。なんかペルーという国は油断ならないところらしい。

 国境から海岸沿いを60kmほど走ったところにユースホステルを見つけた。今日の宿はここにしようか。ユースの建物は日干し煉瓦の塗り壁と竹で作った簡単な小屋だが、子犬や仔猫が歩き回り、暖かい雰囲気で居心地が良かった。宿泊料は豪華な夕食と翌日の朝食を含め27ソル(約10ドル)。

走行距離:322km(Total 15,883km)
宿:15soles
出費:食費 12soless
   イングレッソ作成料15.50soles
   ガソリン19,000sucres(2.5G)


1998年7月1日

Zorritos-Piura-Chiclayo

 ピウラからチクラヨへ向かう道路は、海岸よりと内陸よりに二通りの道が走っている。二年前、海岸よりの道を自転車で走っていた日本人旅行者が賊に襲われ身ぐるみはがされるという事件があったので緊張して走った。
 実は彼とはその事件以前にメキシコシティで会ったことがあり面識があるのだが、自転車で世界一周を目指してすでに三年以上も旅を続けている。結局その事件で数十万という大金を取られたのだが、それを補填するため現在フランスでアルバイトしているらしい。
 今回、自分は内陸よりの道を選んだのだが、こちらの方が行程に小さな村が多く、危ない雰囲気がある。途中、オルモスの村で警察に情報を聞き早めに走り抜けた。

 フランスでバイトする羽目になることもなく、ホッとしてチクラヨの町に入った。しかし、ホテルで宿泊料を払おうとしたところでとんでもないことに気がつくことになった。エクアドル国境で両替した50ソル札を出すと、受付係の顔色が急におかしくなり、係りはそのお金と僕のパスポートを持って事務室の方へ消えていった。しばらくして出てきた受付係が言うには、なんとその50ソル札は偽札らしい。調べるともう一枚持っていた50ソル札も偽物だった。なんてこった、100ソル(約5000円分)も騙されたのだ。国境で路上の両替人と交換したとき、数字ばかりに気を取られて偽札に気がつかなかった自分がバカだった。悔しいが泣き寝入りするしかない。
 係りの人は警察に連絡しようか迷ったが、僕が悪い人ではなさそうなので連絡するのをやめたという。話によると、ここでもし警察に連絡されていたら自分は逮捕されていたらしい。
 フランスでバイトするどころか、ペルーで豚箱に入る羽目になるところだった。偽札をつかまされた上、知らずにそれを使って逮捕されたのではたまったものではないな。ああ恐ろしや。

走行距離:532km(Total 16,414km)
宿:25soles
出費:食費 16soless
   ガソリン9soles(1.6G)


1998年7月2日

Chiclayo-Trujillo

 チクラヨからパンアメリカンハイウェイを数キロ南へ行ったところの橋が水害のため落ちており、現在工事中とのこと。そこで迂回路を走る事になるのだが、その迂回路を探すのにさんざん迷ってしまった。結局100kmほどミスコース。迂回路自体は内陸寄りに延長50km以上もあるのだが、ブルトーザーで削っただけの豪快な道が砂漠の中に延々と続いていた。ダート路を大型トラックがひっきりなしに通るものだから、砂埃が舞い全身砂まみれ。

 海岸沿いの砂漠地帯を走っているとき、急に便意をもよおしてきた。仕方なく砂漠の中に500mほど突っ込み、地平線をながめながら用をたす。遠くパンアメリカンハイウェイにトラックが行きかうのが見える。なぜか凄い贅沢をしているような気分になった。

走行距離:378km(Total 16,792km)
宿:30soles
出費:食費 15soless
   ガソリン10soles(1.9G)


1998年7月3日

Trujillo

 今日はトルヒーヨの町を歩いた。タクシーで町の銀行へ行ってTCを現金化しようとしたのだが、肝心のTCを持ってくるのを忘れてしまった。まったくラテンボケしている自分に呆れてしまう。
 ペルーではシーラスネットワークのATMは普及していないとのことだったが、町中探し回ったところ「,Banco Latino」にマスターカードのステッカーが貼ってあるATMを見つけた。試しにシティバンクのカードを通してみたら、無事現金を引き出すことができた。これでホテルへTCを取りに戻る手間が省けた。

 「Plaza de Armas」で休んでいるとき、高校生くらいの少年三人が話しかけてきた。インターネットカフェの場所を知っているというので案内してもらい、そのついでに自分のホームぺージを見せてあげる。高校生三人は旅の写真などを真剣な眼差しで見て感心していた。そのうちの一人レオナルドはヨセミテの写真がえらく気に入った様子。印刷してあげようと思ったが、プリンターが利用できないので生写真を送ってあげることにした。

走行距離:0km(Total 16,792km)
宿:30soles
出費:食費 36soless
   インターネットカフェ 4soles

両替 $25 => 72soles
   300soles (Citi)


1998年7月4日

Trujillo

 「Plaza de Armas」では小さな子供がお菓子などを売り歩いている。そのうちの一人、いがぐり頭の子マヌエルと話をした。聞くとマヌエルはまだ十歳だという。十歳と言えばまだ遊び盛りの年齢。彼らは小さな頃から働いて家計を助けているのだ。
 自分が十歳の時何をしていただろうか。そういえば三万円もするラジコンカーで遊んでいたっけな。お菓子をいくつか買ったが全部買い取ってあげたいくらい。

 ペルーはコンセントの電圧が220Vなので、日本から持参の電気機器を使うには変圧器が必要になる。幸いドライヤーもコンピュータのアダプターも220Vに対応しているが、ニッカド電池の充電器だけは対応していない。充電地を使わずにアルカリ電池を使えばよいのだが、デジタルカメラやGPSレシーバーはかなり電池の消耗が早いので、普通の電池を使ったのでは出費が大きくて大変。そこで変圧器を町で探し回ったのだが、一日中探し回ってやっと見つけることができた。家電を扱っている店にはどこも扱っておらず、最後は金物屋で発見。約11ドルだが、三回充電すれば元を取れるだろう。しかし変圧器はコイルの固まりなので重い。1000グラム以上あるのではないだろうか、1グラムでも荷物を軽くしたいバイク旅行者には辛いものがある。

走行距離:0km(Total 16,792km)
宿:30soles
出費:食費 21soless
   220V -> 110Vトランス 32soles


1998年7月5日

Trujillo-Casma

 所々農地開発がなされているものの、パンアメリカンハイウェイの通る海岸沿いはあいかわらず砂漠地帯が続いている。高さ30メートル以上ありそうな大きな砂丘が道の両側に現れる。砂丘は海から吹き付けてくる風に流されて少しずつ移動しているかに見える。場所によっては道路のすぐ近くまで砂丘が迫って所もあった。
 途中立ち寄った町チンボテでは、ガソリンスタンド脇のレストランで食事をした。サラダとご飯、鶏のもも肉のセットで3ソル(約1ドル)。
 また、この町では日本語で「安全運転」と書いてあるトラックや「富士電気化学株式会社」と書いてあるライトバンを見かけた。日本からの輸入中古車だろうか、しかしよく見るとみんな左ハンドルだ。ペルーはどこへ行って何を見ても謎が深まるばかり。

 トルヒーヨから約200km、カスマの町で一番良いホテルに入る。一泊40ソルだと言うが、高いと言うと30ソル(約11ドル)にまけてくれた。
 ホテル付属のレストランで食事をすると、スパゲッティとエビのセビッチェ、ペプシコーラの合計が25ソル(約9ドル)。昼食で使ったお金と比べるとえらい違い。
 レストランでは考古学調査で近くの遺跡で働いているというアメリカ人(テキサス)の女の子や、イタリア系ペルー移民のおじさんと話をした。みんな異国の地で頑張っているんだな。

走行距離:206km(Total 16,998km)
宿:30soles
出費:食費 28soles
   ガソリン 16.50soles(2.3G)


1998年7月6日

Casma-Sechin-Huaraz

 カスマ近郊のセチン遺跡に立ち寄ったあと、ワラスの街目指してひたすら山道を登る。道は断崖絶壁を縫うように続いており、文字では表せないほど素晴らしい景色が広がっている。高度が上がるほど気温も下がり、空気も薄くなってゆくのがわかる。しかし天気がいいので気持ちがよい。行程にはインディヘナの村があり、赤や青など原色の民族衣装を着た人々が歩いている。風景はまさにフォルクローレの世界。
 未舗装路100km一気に走ったところでカジャン峠(標高 4,224メートル)に至った。遙か東にはペルーで一番高いワスカラン峰など、6,000メートル級の山々が連なっている。更に峠の向こう側下方にはワラスの街が見える。

 ワラスの街には小さな宿がたくさんあるのだが、どの宿も結構高い。何軒かまわって宿泊料を訊くが、どこも日本円換算2,000円以上とのこと。
 道端でガイドブック見ながら宿探しに悩んでいると、近くで遊んでいた子供たちが集まってきた。色々と話しかけてきたのでひとつひとつ答えてあげたのだが、僕の旅にかなり興味を抱いている様子。「アメリカから中米を通ってずっと走ってきたんだ」というこたえにみんなひたすら感嘆しているのだった。なんだか久しぶりに子供らしい子供に会ったような気分。
「安くて良い宿を探しているんだ」というと、「それなら良いところを知っているよ」と親切に案内してくれた。つれていってくれたところはなんと普通の民家みたいな家。「本当にここに泊まれるの?」と言おうとしたとき、中から家の人が出てきてくれた。聞くと旅行者に空き部屋を開放しているとのこと。中庭を挟んで部屋がいくつか並んでいる。宿帳には欧米からの旅行者の名前が連なっていた。ホットシャワー付きで20ソルは安い。

走行距離:158km(Total 17,156km)
宿:20soles
出費:食費 32.50soles
   遺跡 5soles


1998年7月7〜8日

Huaraz

 博物館(Museo Arqueologico de Ancash)では紀元前の昔に頭蓋骨切開手術されたという人骨やミイラを見た。驚いたことに頭蓋骨に穴をあけられてからも数年生き延びていたらしい。

 ワラスの町を歩いているとき、電話局の隣にインターネットが使えるところを発見した。こんな山奥の町でインターネットが使えるというのも不思議な話。聞くと利用料金は1時間10ソル(約3.5ドル)とのこと、利用者は欧米からの旅行者がほとんどだ。
 そしてさっそく利用させてもらった。ここは専用線ではなくモデムによる電話回線経由のダイヤルアップ接続で、リマのAPに繋いでいるらしい。コンピューターは66MHzの486DX2、一応ウィンドウズ95が入っているが、亀のように遅い。ダイヤルアップ接続も一発で接続できるわけではなく、係りの人が何度も何度もトライしてやっと繋げる事ができる。接続速度は12000bpsと表示されるが体感的には4800bps程度。
 しかし遅くともインターネットには変わりない。ネットワークからFTPソフトをダウンロードしてインストール、自分のFTPサーバーに繋いでホームページをアップデートしてみた。メールの送受信を含め1時間半もかかったが、やりたいことすべてできたので満足だ。

 二日目午前中、TC両替のため銀行へ行った。この町に銀行は数軒あるのだが、ガイドブックによるとTCをコミッション無しで両替してくれる銀行は一軒しかないことになっている。しかし、その一軒だけが銀行の前に50人くらい人が行列している。
 仕方なく午後4時半の開店まで待つことにした。この町では1時から4時半までシエスタの時間となっているらしく、その時間は食べ物屋以外、ほとんどの店が閉店してしまう。
 その後3時半頃に銀行の前を通ったのだがすでに20人くらい行列していた。行列に並んで待つのは嫌いだが現金がないのでは動きようがない。仕方なく列の後ろに並んだ。
 1時間待ってやっと窓口の前まできたのだが、なんと銀行員のほとんどが席を外してワールドカップサッカーの中継を見始めたのであきれてしまった。列の前で並んでいたインディヘナのおばさんも「はやく仕事しないとぉ」と言って怒っているが、銀行員はそんなことお構いなしにテレビを見ている。まったく何時間も待たせておいてどういう神経しているのだろう。

走行距離:0km(Total 17,156km)
宿:20soles x2
出費:食費 46soles
   博物館 5soles

両替 TC $100 => 286soles
   現金US$20 => 58soles


Back / Next


Countries INDEX / Travelogue INDEX