Mazatlan-Mexico City-Tapachula
マサトラン〜メキシコシティ〜タパチュラ

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バハ・カリフォルニアからフェリーでメキシコ本土へ渡る。

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 テキーラ村 TEQUILA
テキーラ発祥の地。

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 村のあちらこちらで樽入りのテキーラが売られている。

98040203.jpg (7371 バイト) テキーラ煮の鶏肉タコス
舌がとろけるほど旨い

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 市街地のホテルでは中庭(パティオ)にバイクをとめさせてもらう。

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 メキシコシティ、ソナロッサのインターネットカフェ。
利用料は1時間30pesps(約500円)

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インターネットカフェは階段を上がって二階にある。
Hamburgo #165-C Zona Rosa

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レフォルマの大通りに近代的な高層ビルが建ち並ぶ。

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メキシコシティで二ヶ月ぶりにすしを食べる。55pesos (約900円)

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 国立人類学博物館

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 テオティワカン文化の遺跡

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日本人宿ペンシオンアミーゴ

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 ペンシオンアミーゴの中庭。

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 日本の国際ナンバーが取り付けられたカブが藤原夫妻の帰りを待っていた。

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 ガソリンスタンド
メキシコはすべて国有のPEMEXのみ。

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 休日の昼下がり、酒を飲んでごきげんのミゲルとエリアス。酔っぱらいも立派なスペイン語教師。

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 屋台をきりもりするフロリダルマおばさん。名前を漢字で「風呂裏達磨」と書いてあげたら恥ずかしそうに喜んでいた。

1998年4月2日

Mazatlan-Tepic-Tequilla-Guadarajala

 17時間の長い船旅を終え、船はマサトランの港に到着。ずっと椅子に座ったまま寝ていたので体中が痛いが、バイクで走り出すと疲れもどこかへ行ってしまった。
 マサトランの町はパスし、ひたすら南下の道を走る。このあたりの国道はバハ・カリフォルニアのハイウェイと同様、道幅が狭くほとんど二車線。その上大型トラックの交通量が多いので追い越しに気を使う。

 メキシコのトラックドライバーは運転が荒い。無理に追い越ししようとするので事故も絶えないらしく、Tepicまでの道では横転したトラックを三度も見た。
 一台は土管を積んだトラックが側溝にはまり土管が路上に散乱、もう一台はトマトを積んだトラックが路外に転落、腹を出してひっくり返っている。積荷のトマトは全部外にころがっていた。他、完全に180度横転してそのまま打ち捨てられたトラックもあった。

 Tepicは町の中心部にカテドラルとソカロがあるという、メキシコではよくある町。
 町の銀行(Bancapromex)のATMで現金を引き出すが、銀行の前にはマシンガンを持った警備員が警備している。警備状況を見ればなんとなく町の治安の悪さがわかるが、大都市へ行くほど警備が厳重になり、警備員の質、量とも増えてくる。

 Tepicの町を過ぎればグアダラハラまで200km程度だろう。一般の道を走るので4時間くらいかかりそうだ。自動車専用のアウトピスタを走れば速いのだが、何しろ高い。100kmほど走ると約800円くらい徴収されるので、メキシコの物価を考えれば日本の高速道路以上に割高感がある。
 そこで一般道を走るのだが路面は穴だらけでグネグネと曲がりくねり、地元のポンコツ車がのろのろ運転、アウトピスタを走るお金がないトラックが暴走、更には路上に牛や鶏が歩いていたりするのでかなり気を使う。
 小さな町の中まで通ることになるので平均速度がかなり下がる。しかし、それゆえに生活感のある雰囲気を味わうことができるが。

 グアダラハラの手前ではテキーラ村に立ち寄った。メキシコの銘酒テキーラ発祥の地である。人口は35000人ほどの小さな町だが、道の両側にテキーラの入ったミニダルが並べて売られている。
 食堂でテキーラで煮た鶏肉のタコスを食べた。これが柔らかく、歯触り舌触りとともに絶品だった。(20pesos)

 グアダラハラではネット接続を試みようと、四星ホテルに泊まった。メキシコでは安宿の部屋に電話はないので、無理して高級ホテルに泊まることになる。
 部屋に入るなりコンピューターを出して接続しようとするのだが、そう簡単に繋がらない。
 電話はパルス式らしい。ATコマンドを駆使してパルススピードを変更したり、電話機から直接ダイヤルしたり、色々手を尽くしたが、モデムがトーンに反応しない。でもジャックにモデムセイバーを装着するとしっかり緑ランプが点くところを見るとデジタル回線ではないらしい。
 こうして夜中まで5時間くらい格闘し、考えられるオプションはすべて試してみたが結局繋がらなかった。
 電話回線の品質が悪いためだろうか? 受話器を耳に当ててアクセスポイントに直接ダイヤルしてみると、発信音「ピーヒョロヒョロージャー」の音に混じって、「プルプルプル・・・」と妙な音がする。繋がらない原因は多分これだと思うが、これでは音響カプラーがあっても接続できないだろう。
 そしてモジュラージャックに繋がっている線を見てみるが、なんとそれは髪の毛のように細いエナメル線なのだ。なんていいかげんな配線だろう。こんな電話回線を相手に五時間もすったもんだしていたのが馬鹿らしくなってきた。
 
 ただ、一度だけSLIPのアクセスポイントまでは接続できた。ユーザー名やパスワードも通ったのだが、IPアドレスを打ち込むウィンドウが出てきてアウトになった。キャンセルボタンを押すと接続は保持されるのだが、ネットワークにはアクセスできない。こんなの初めてなのでどうしていいかわからないのでくやしいかった。市内通話無料なのが唯一の救いだ。

走行距離:565km
宿:290pesos
出費:ガソリン36pess, 37pesos3.49/1
   食費55pesos

現金化:Citibank-720peso

1998年4月3日

Guadarajala-Mexico City

 グアダラハラをでて一般道をメキシコシティに向かう。250kmほど一般道を走ったが、道の状態が良くないため、時間ばかりかかるだけで距離をかせげない。
 今日中にメキシコシティに着きたいと思ったので途中からアウトピスタを通る事にした。メキシコシティまでの300kmに152ペソ(約2600円)かかったが、三時間以内に走り抜けることができた。工事中の部分が多かったが部分的に12車線くらいあり快適な道だ。
 バイクは夜のメキシコシティにさしかかる。世界一大きい二千万都市の夜景が眩しい。スモッグの臭いが鼻につくが、焚き火の後、焼け残りの炭が赤く光るのを見ているようで美しい。

 夜十時に日本人宿、ペンシオン・アミーゴに着いた。二年前に泊まった時と同じように、あいかわらずあやしいやつが連泊している。外国で自分の力を試してみようと単身渡ってきた人、日本社会からはみ出したが新しい土地で自分というものを模索しているといった人、ただ楽な方へ流されている人など様々だ。

走行距離:604km(Total 7512km)
宿:30pesos
出費:ガソリン35pesos,32pess
   Autopista 152pesos (pesos38pesosx4)
   食費70pesos

1998年4月4日

Mexico City

 シティの中心部にソナロッサと呼ばれる繁華街がある。そこはメキシコらしさが一切排除されたような洒落た店が立ち並んでいる。インフォメーションでインターネットカフェの場所を訊き、そこへ行ってみた。
 ビルの二階に落ちついた内装のカフェがあり、テーブルにパソコン八台ほど置かれている。
 ここにあるパソコンはスペイン語のウィンドウズ95がインストールされている。ブラウザー(MS-I.E. ver.3)もスペイン語だ。
 当然日本語環境がないので、日本語のページはすべて文字化けして見える。一応自分とこの掲示板も見てみたが、何人か書き込んでくれてはいるものの読めないのが悔しい。三日前ラパスのインターネットカフェからの書き込みに対し、林道茶会の為本さんが英文で返事を書いてくれていた。

 次に、日本食レストラン「みかど」へ行ってみた。レフォルマ大通りに「アンヘル」と呼ばれるモニュメントがあり、その付近には日本大使館、日本航空などのオフィスがある。「みかど」もこの付近にあるのだが、メキシコでは高級レストランに該当する。
 しかし、にぎり寿司が一人前55ペソ(約900円)と日本と同じくらいの価格設定だ。寿司の他にも天ぷらや丼ものなど、ひと通りの日本食を食べることができる。
 「外国で日本食を食べるとはなんたる奴!」 と思われるかもしれないが、寿司に限っていえばその国の近海でとれた新鮮な魚介類が使われているので、日本では味わえないその土地ならではの味を楽しむことができる。
 今回はコルテス海のえび、プルポ(タコ)や、ワチナンゴ(タイの一種)などを食べることができた。
 蛇足だが、メキシコ人は醤油が苦手な人が多いらしく、寿司にサルサをつけて食べる人がいる。

走行距離:0km(Total 7512km)
宿:30pesos
出費:インターネットカフェ30pesos(1h),
   9pesos(アイスコーヒー)
   食費 90pesos

現金化:T/C$100.00 -> 815pesos

1998年4月5日〜8日

Mexico City

 5〜6日は何とかしてネットに接続しようと、町中歩き回ってみた。高級ホテルのフロントや、長距離電話、FAXサービスを行っている店で電話を借りようとするのだが、インターネットについて説明するのにひと苦労する。市内にアクセスポイントがあるので市内通話できればOKと説明するのだが、例えば日本へメールを出そうとすると日本への国際通話料金がかかるものと思っている人がいる。その他、インターネットは専用線がなければ利用できないものと思っている者もいて、「この電話はインターネットに繋がっていないよ」と一蹴されてしまう事もあった。プロバイダーや、アクセスポイント、モジュラージャックの意味もまったく解からないので説明のしようがない場合も。
 最後は、近くのホテル内に根本がモジュラージャックになっている公衆電話を見つけ、それに繋いで接続を試みようとしたのだが、フロントの人がやってきて「何イタズラしてやがんだ、この中国人め! 早く出てけ!!」と追い出されてしまった。
 一日中歩き回って疲労困憊でドミトリーに戻ると、相部屋の人が言った。「もし君がスペイン語完璧に話せて、完璧な説明したとしてもメキシコの人には理解してもらえないと思うよ」と。
 なるほど、まったくその通りだ。これを聞いてネットに接続できないからと言って憤慨している自分が間違いだということに気が付いた。
 ここはメキシコなのだ、水と食料があるだけありがたく思わなければいけないのだ。

 8日は人類学博物館やメキシコの歴史博物館へ行ってみた。見る目があれば一日中いても飽きないのだろうが説明書きがすべてスペイン語なのでよく読みとれず、両方ともあわせて三時間ほどで一巡してしまった。

走行距離:0km(Total 7512km)
宿:150pesos(30pesos x 5days)
出費:食費 250pesos(5days)
   郵便 88pesos(SALで日本へ本二冊送る)
   人類学博物館 16pesos

現金化:Citibank -> 920peso

1998年4月9日

Mexico City-Oaxaca-El Camaron

 メキシコシティから郊外に出る道は交通量が多くて気をつかう。小型バスの「ペセロ」やフォルクスワーゲンバンの「コレクティーボ」が白煙を吐きながらジグザグ運転するので危なっかしい。
 有料道路を通りスモッグのメキシコシティを脱出、久しぶりにきれいな空気を吸う。

 今日は高速道路上で三回も交通事故を見た。プエブラ手前で見た交通事故は十数台以上もの玉突き事故で、大型トレーラーに追突されたと思われる乗用車は原型をとどめないほどに変形していた。座席部分のすべてがスクラップになっていたので、乗っていた人は即死だろう。
 事故現場の手前は30kmほど渋滞していたが、すり抜けして走った。日本ですり抜けしていると悪く見られるが、ここでは黙って待っていると「バイクなのになぜすり抜けしない」といった視線を投げかかられる。
 みんな何時間も待たされているらしいが、多くの人が車から降りて道ばたに座り込んでいた。

 メキシコシティから南東へ走ること500km、オアハカの町は二年前に来たときとは雰囲気が変わり、道も整備されてさっぱりしている。そして二年前ボンネットバスに追突されたところも、一方通行になり走りやすくなっていた。連休中ということもあるが、以前の「じめっじめっ」としたあやしい雰囲気が無くなっているように思える。
 いや、自分があやしい雰囲気に慣れてきたので、あやしいところでもあやしいと思わなくなってきたのだろうか。
 今日は日没まで時間があったので、オアハカから更に100kmほど南東に走り、小さな村の宿に入った。

走行距離:605km(Total 8117km)
宿:75pesos
出費:食費 42pesos
   ガソリン 40pesos(10.4リッター), 41pesos(10.6リッター)
   有料道路 171pesos(料金ゲート6回分)

1998年4月10日

El Camaron-Tapachula

 今日は僕の誕生日。あっという間に27歳になってしまった。21歳の頃初めてオーストラリアを走って以来6年も経っている。
 「30歳までに世界五大陸走破したいがこのペースだと無理かもしれないな。」

 ひき続き、オアハカの町からずっと山岳地帯のワインディングロードが続いている。舗装路面も整備されていてNSR250Rで走ると楽しそうな道だ。
 山岳地帯を抜けて太平洋岸に近づいてきた頃、大陸側からの風が強く吹きつけてくるようになった。このあたりは地形上、風の通り道になっているらしい。真っ直ぐ走るのが難しく、時々道から外れそうになるが、南米・パタゴニアの風はこれよりもっと強く吹き付けることだろう。

 チアパス州にさしかかる頃には風も弱まってきた。チアパス州はインディオの反政府的な活動が盛んで、メキシコではもっとも治安の悪い州といわれている。
 しかし、土地を見たかんじでは「豊か」という印象がある。草木が生い茂り、大小の川には水が流れ、牧草地では太った牛が青々とした草を喰んでいる。
 紛争の原因はこの豊かさにあるのだろう。メキシコの他の州では早い時期に土地が国有化され小作民に分け与えられたが、チアパス州だけは古くからの荘園制度が存続した。昔ながらのカシケ連中がいつまでも大きな顔をし、インディヘナは荘園内で奴隷のような扱いを受けてきた。
 人は一度豊かな環境に慣れるとなんとしてでもそれを保持しようとするもの。戦争はその欲望から始まるのだ。

 朝から600km近く走り、グァテマラ国境の町タパチュラに到着、明日はグァテマラへ国境越えだ。

走行距離:596km(Total 8715km)
宿:180pesos
出費:食費 41pesos
   ガソリン 40pesos(10.4), 41pesos(11.75)
   有料道路 17pesos


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