Mexicali-La Paz メヒカリ〜ラパス

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巨大サボテンの林立するバハ・カリフォルニア半島を縦断2,000km

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 Calexico-Mexicaliの国境ゲート。

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 国境でバイクの一時輸入許可証を作ってもらう。所要時間約30分。

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 一時輸入許可証(ペルミソ)

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 黄色い水糸状の苔。

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 苔が絡みついた木。この苔はいったいどこから来たのだろうか。

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 棘だらけ、槍状の植物が天を突く。

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 ココスコーナー

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ココスコーナーの番人ホルへ氏は旅人に親切だ。片足を失っており、過去に暗い影が見え隠れする。

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 ゲストブックを整理するホルヘ氏。旅行者の残していったメッセージに添えて、その旅人の姿を絵で残している。
 手元に猫のスサナがじゃれつく。

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 かつて鉱山に栄えた町サンタ・ロザリア

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サボテンの大木

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 ホテル・ロリーマール
BRABO No.110 (ホテルロス・アルコスのワンブロック東)

 

ラパスのインターネットカフェ
Baja Net
Madero 430 Centro
La Paz, BCS 23000
Tel (112)59380
http://www.baja.net.mx

行き方:
海岸通り(malecon)から2ブロック入ったところにmaderoの通りがある。hidalgoとconstitucionの間の海岸よりにあり。

1998年3月25日

Riverside-Calexico-Mexicali-San Felipe

 メヒカリから再びメキシコ国境を越えた。今回の旅では三回目、前回と合わせると六回目のメキシコ入国だ。
 先月バイクを買ってまもなくの時期に馴らし運転でサン・フェリーぺへやってきたのだが、今回もほとんど同じルートでこの町にやってきた。

 先月と違うのは、メヒカリの国境で「一時輸入許可証」なるものを取得したこと。スペイン語では「IMPOTACION TEMPORAL DE VEHICULOS PROMESA DE RETORNAR DE VEHICULO」という。要は旅行目的のために持ち込むバイクや車を旅行終了後速やかに国外に持ち帰ることを条件に関税を免除するというもの。バハ・カリフォルニアを除くメキシコ本土へバイクや車を持ち込む時に絶対必要な書類である。この許可証の発行時に車体にホログラムステッカーがはりつけられる。
 一時輸入なので持ち込んだ車やバイクをメキシコ国内で売り払うことを禁止されている。もし売ろうものなら罰金や懲役を言い渡されることがあると注意書きされている。これらがないとメキシコ本土へ入る時、検問を通してもらえないし、バハ・カリフォルニアから本土へ渡るフェリーにも乗せてもらうことができない。(チケット購入時に証書の提示が必要、ペルミソはラパスでも取得可。)

 さて、実際に「一時輸入許可証」を取得する手順だが、国境付近に「IMPOTACION TEMPORAL DE VEHICULOS PROMESA DE RETORNAR DE VEHICULO」と書いてある建物を探す。見あたらない場合は国境ゲートの係官に訊いてみる。
 メヒカリの場合は国境ゲートのすぐ手前にあるので、間違ってゲートをくぐってしまうと戻るのに苦労するだろう。前回の旅で、アリゾナのノガレスから入国したときは国境から南へ30kmも離れたところにあった。(ツーリストカードもそこで発行してもらった)
 必要なものはパスポート、国際免許証、バイクの登録証、ナンバープレート、メキシコのツーリストカード。アメリカでバイクを買うとナンバープレートや登録証の発行に3週間以上時間がかかるので注意。
 この他、国際的に通用しているクレジットカード(ビザ、マスター、アメックス、ダイナーズクラブ)が必要。これはクレジットカードも持てないような社会的信頼性がない人は入れてやらないという意味だろう。
 クレジットカードが無くてもバイクを持ち込めないことはないが、US$400程度のデポジットとスペイン語での面倒なペーパーワークをこなさなければならない。
 さて、これらがそろえばあとは簡単だ。2〜3の窓口を指示されるままに動けば自動的に手続きを進めてくれる。最後に証書をもらって、車体にホログラムステッカーを張り付けてもらえばすべて完了。
 費用だが、書類のコピー代に$0.5$〜1.00程度と手数料、ステッカー代98.94pesos。ただし、国境にコピー屋があればの話だが、マイナーな国境でそれがない場合は、町へ行って自分でコピーをとってこなければならない。(96年当時、ベリーズ〜メキシコの国境にコピー機がなかった)
 
 強い西風を受け、時々雨のぱらつく国道5号線を南へ200km走りサン・フェリーぺへ到着。アメリカ人の避寒地のため、ホテルの宿泊料が異常に高いこの町だが、どこか探せばきっと安いホテルがあるはずだと確信し町中をぐるぐる探し回る。
 町の北はずれに一泊$10.00のカバーニャを発見、物見台のように高く小屋がけしてある。屋根は椰子の葉で葺いてあるが壁は低い柵があるだけの簡単なもの。夏は快適そうだが今の時期は寒そうだ。横殴りの雨が降ってきたらずぶぬれになるだろう。テントでも張れば凌げそうだが今回は無いのでパス。

 カバーニャの近くに一泊$25.99のホテルを発見した。軒並み$35.00以上のホテルが並ぶこの町で$25.99は安い。町の中心部からそれほど離れているわけではないが、奥まった住宅街の中にあるので安いのだろうか。しかし誰もこんな所にホテルがあるとは気づきそうにないような立地だ。
 サン・フェリーぺはコルテス海沿いにあり、US国境から僅か200kmしか離れていない。週末は休暇を過ごすアメリカ人で賑わうのだが、それ以外でも常に3000人のアメリカ人が滞在しているという。
 そのため町のホテルの客のほとんどはアメリカ人で、宿泊料もアメリカ並に高く設定されている。しかし今日のホテルの客は自分以外みんなメキシコ人だ。

走行距離:520km
宿:Posada del Mar 210pesos ($25.99)
出費:食費 110pesos ($13.00)
   ガソリン 26リッター($9.00)

現金化:$100 -> 840pesos

 

1998年3月26日

San Feripe-Coco's Corner-Guererro Negro

ココスコーナーの手前にジャンテラ(タイヤ周りの整備所)があり、そこで検問があった。サッカーボールを蹴って遊んでいる兵士にマシンガンの銘柄を訊いてみるとドイツ製と言う答えが返ってきた。貧乏なメキシコのことだから安価なロシア製カラシニコフを使っていると思ったが違うようだ。

 三週間ぶりにココスコーナーの主、ホルヘおじさんに会った。こんどここにキャンプ場ができるらしく、三人で施設の整備をしていた。またゲストブックに記入。前回は見なかった「スサナ」という名の猫がいる。三十分ほど話をしたあと、「ブエナ・スエルテ(グッドラック)」と励まされながらココスコーナーをあとにする。200km続いたダート区間もあと僅かだろう。

 サンフェリーペから約240kmで国道一号線に出た。あたりは既に薄暗くなっているのでゲレロネグロに着く頃は真っ暗だろう。起伏のある山道を抜けて視界いっぱいに大平原が広がった。日没後の薄明かりの中、地平線が僅かに見える。あの地平線に向かってあと100kmも走れば町に着くはずだ。

 南バハ・カリフォルニア州の州境に鷲の形をかたどったモニュメントがあるが、暗いのでよく見えない。
 メキシコは州境にもイミグラシオンがあり、旅行者はパスポートやツーリストカードなどチェックされる。ここの係官はなかなか話し好きの人で、僕の旅のことやゲレロネグロで働く十人の日本人(塩田開発で三菱の技術者が仕事しているらしい)の話などした。
 町の入り口から少し入ったところに小綺麗だが安いモーテルを見つけた。一泊150ペソ(約18ドル)。メキシコは南へ行くほど物価が安くなる。
 モーテルの隣、三週間前三人でロブスターを食べたレストランでソパ・デ・マリスコスを食べる。ちょっと辛目のスープをベースに貝柱、えび、たこ、カニなどが入ってうまい。スープだけでは物足りないが、かご一杯分のトトポを食べると結構腹いっぱいになるのでありがたい。

走行距離:413km
宿:La Posada de San Vicente 150pesos ($18.00)
出費:食費 70pesos ($8.28)
   ガソリン 13.5リッター45pesos($5.33)

 

1998年3月27日

Guererro Negro-Loreto

 半島を南下すればするほど天気が良くなり、気温も上がってくる。太平洋側は寒流の影響で風が冷たいが、内陸やコルテス海側は風も穏やかで暖かい。
 ゲレロネグロから椰子の木が茂るサンイグナシオを抜け、国道一号線は再びコルテス海の海岸沿いを通る。道沿いには巨大なサボテンが林立し、いかにもバハ・カリフォルニアといった風景が広がっている。
 コルテス海に出て最初にさしかかるサンタロザリアは、かつて銅山で栄えた町。鉱山関係の施設が廃墟になって残っている。

走行距離:428km
宿:Motel 130pesos ($16.25)
出費:食費 90pesos ($11.25)
   ガソリン 14.5リッター55pesos($6.88)

1998年3月28日

Loreto-La Paz

 ラパスの海岸通りを「ラパスタ」に直行。「ラパスタ」とはスパゲッティ、ピザを出すレストランで、メキシコには珍しく美味しいコーヒーもいれてくれる。ここでは馴染みの顔サウルとノルベットに会った。彼らはここのオーナーで、サウルはメキシコ人、ノルベットはスイスからの移民だ。二年前に来た時あまり話をしたことはなかったが、僕の顔を覚えていてくれた。
 昼食時なので彼らの店でパスタを食べる。サラダ付きミートソースが55ペソ、メキシコの物価から考えると結構高いが、スイス人ノルベットが監修しているだけあって味は上々。パスタそのものは、かん水を入れているのか麺自体がちじれて日本のラーメンに似たような味がする。

走行距離:358km
宿:Hotel Lori Mar 147pesos ($18.38)
出費:食費 80pesos ($10.00)

 

1998年3月29日〜31日

La Paz

 この三日間はメキシコで活躍する日本人考古学者藤田さんのお宅でお世話になった。藤田さんは約20年も前から世界中で考古学の研究を続けている。近年はここ、ラパスに居を構え、主に半島南部の遺跡調査に精を出す毎日。二年前に初めて会ったのだが、研究室を見せてもらったり、遺跡の発掘現場に案内してもらったりしていた。
 人間的に魅力な人で、色々とお話を聞いていると元気が出てくるのだ。

走行距離:72km
宿:友人宅
出費:食費 80pesos ($10.00)
    フェリー570pesos($71.25)
    (バイク396pesos パッセンジャー174pesos)

1998年4月1日

La Paz-Mazatlan (Ferry)

 午前中、藤田さんと町のインターネットカフェへ行ってみた。今月に藤田さんがサンディエゴにて出席する学会があるとのことで、インフォシークでそのウェブサイトを探して見せてあげた。関連サイトで藤田さんの略歴や論文などのリストも見つけた。
 インターネットカフェ利用料は30分20ペソ。

 午後、藤田さんに別れを告げ、「Pichilingue」のフェリー乗り場へ走る。乗船する車のほとんどは商用の中〜大型トラックだ。客室は一番安いサロンクラスの場合、リクライニングしない椅子が縦横に並んでいる。ツーリスタクラスの場合はドミトリー形式の部屋に、ベッドが四つほど入っているらしい。
 自分は約2600円節約するためサロンクラスを選んだのだが、17時間も椅子に座って過ごすことを思うと少し後悔した。日本のフェリーの二等客室のように広間に雑魚寝の方がよっぽど楽なのだが....。
 夕方四時頃、フェリーは港を離れた。最初のうちはみんな椅子に座っていたが、時間が経つにつれ、前後の椅子の間の床に寝そべる人が増えてきた。今日は乗客が少ないから床も空いているが、混んでいたら床に寝られる人の数も限られてくるだろう。
 船内にはタコスなどの軽食を出すカフェの他、本格的なレストランがあるのだが、本格的なレストランの方はほとんど客が入ってなかった。やはりフェリーは庶民の乗り物なのだ。
 目的地に着くまで、自分もまわりのメキシコ人同様、庶民クラスの船室で過ごしカフェの安いタコスを食べた。

走行距離:19km
宿:船中泊
出費:ガソリン20pess(5.76L)


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