Puente de Rumichaca-Quito
ルミチャカ橋〜キト

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Puente de Rumichaca (ルミチャカ橋)
この橋の向こうがエクアドルだ。

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 キトへ向かう道路は所々崖崩れのため泥沼の迂回路を走らされた。

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 サウスアメリカン・エクスプローラーズクラブ
Jorge Washington 311 y L. Plaza.

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 コンピュータールーム。メンバーは自由に利用できる。(SAEC)

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 南米各地の地図(SAEC)

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 各国の情報ファイルが並ぶ。(SAEC)

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 中南米関連の書籍を集めたライブラリー。ダリエンギャップ縦断で有名なエド・クルバーソンの本もあった。(SAEC)

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Mitad del Mundo
赤道を示すモニュメント

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赤道上に立つ。(赤道は黄色かった)

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赤道上に体重計が?

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赤道上では体重が一番軽くなるそうだ。一回1000スークレ(25円)で測れる。

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 赤道碑近くのレストランでエビとスズキのフィレソテーを食べる。

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 Cerro Panecillo
 パネシージョの丘から旧市街を望む。

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Virgen de Quito
パネシージョの丘(183m)にキトの聖母が立つ。


キトのインターネットカフェ

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Monkey online ;-)
Cyber cafe
Juan Leon Mera N21-10 y J. Washington. Local 1
www.altesa.net/monkeyonline

Cafe-WEB
Av. Rio Amazonas 333 y Jouge Washington. EdificioRocafuerte Local No.4
Tel 553-725

C@FE Internet
Jose Luis Tamayo 400 y Veintimilla
Tel 09-554-137

この他にもAv. 10 de Agosto y Av. Riofrioや、Luis Cordero y Reina Victoriaなど、その他確認した範囲だけで10軒以上もある。

1998年5月26日

Ipiales-Quito

 Ipialesの町から国境のルミチャカ橋まで出るのに道に迷った。国境紛争の絶えない地域だけあって道路標示の類が全くない。
 エクアドルへの越境は実に呆気ないものだった。イミグレでツーリストカードを受け取って完了。バイクがノーチェックで通れるなんてUS-Baja国境以来。これまでの中米各国、大汗かきながら喧嘩腰で越境してきたのが馬鹿らしくなる。

 国境からキトまでの250kmは、ずっと雨に降られっぱなしだった。途中崖崩れのため泥だらけの迂回路を走らされた。また、峠道では大型トラックと乗用車の事故を見たりした。どの車も実に危なっかしい走り方をしている。
 二度ポリスチェックで止められたが、簡単な荷物検査でパス。キトの町に入ったが、雨がますます強く降りつけてきたためゆっくりホテル選びせず、目に付いたホテルに入る。「Hotel Patria International」という偉そうな名前が付いているが一泊9ドルの安宿だ。

走行距離:282km(コロンビア30km)(Total 14,512km)
宿:45,000sucres
出費:食費 29,000sucres
   ガソリン 3,800pesos(2.1G)


1998年5月27日

Quito

 タクシーで新市街へ出かけた。キトには「South Amercan Explorers Club」のクラブハウスがあり、そこでは南米旅行者が各地で集めてきた情報が山積みされている。クラブメンバーになるには年会費40ドル必要だが、それだけ払っても元は取れると踏んで会員になった。
 書庫には各地の情報ファイルが並んでおり、地図のセクションでは南米各地域の詳しい地型図も手に入る。情報ノートはほとんど英語で書かれているのでありがたい。
 とりあえず今日はペルーの地図($7)を購入。これからこの町に3週間ほど滞在する予定なので毎日でもクラブハウスに通う事ができる。

 夕方、ホテルのフロントにある電話を借りてネット接続を試みるのだが、交換機が旧型なので接続不可能。

走行距離:0km(Total 14,512km)
宿:45,000sucres
出費:食費 34,000sucres
   ペルーの地図 $7
   キト、エクアドルの地図など 28,000sucres
   SAEC入会 $40

両替 600,000sucres(Citibank Card)


1998年5月28日

Quito

 新市街の中心近くにある中級ホテルに移動、部屋に入るなりネット接続を試みる。交換機は「AT&T」のシステムなので自動的に外線に繋がり、簡単に接続できた。以前はボゴタから通信したので約二週間ぶりの更新だ。
 しかし、なぜか「netpassport」のサーバーにログインできず、仕方なく暫定的に「bekkoame」のサーバーにアップロードした。

走行距離:6km(Total 14,518km)
宿:90,000sucres
出費:食費 36,500sucres
   絵はがき5枚 5,000sucres


1998年5月29日〜6月4日

Quito

 現在使用中のプロバイダー、Ibm.net(ネットパスポート)のヘルプディスクへFTPサーバーに接続できない原因についてメールしてみた。しかし、返ってきた答えは「APによっては接続できない場合がある」とのこと、全然解決にならかった。
 日本国内のプロバイダーなら即刻解約するのだが、南米のほとんどの国にAPのあるプロバイダーは「ibm.net」くらいしかないので仕方ない。
 「ibm.net」といえどもその国によってサービス内容、利用料金も違うらしい。日本の場合だと月々2,000円で15時間利用できるのだが、アメリカで契約すると時間無制限とのこと、しかしサーバーのディスクスペースは含まれない。

 三日、日本国内はNHKラジオ第1放送、海外は国際放送ラジオ日本で同時生放送する「地球ラジオ」という番組があるのだが、なんと本番生放送で電話インタビューを受けた。こんなの初めてなのでさすがに緊張する。
 標高 2850m酸素の薄い高地で心臓バクバクなって、血が沸騰、そのまま窒息死しそうだった。
 これまで、林道走っててヒグマに会ったり、コロンビアで麻薬売りの黒人に追いかけられたりと、いろいろあったが、今回のインタビューが今まで生きてきた中で一番の緊張だった。

 しかし今となっては良い思い出。担当の六本ディレクター、小笹キャスターはじめ、NHKスタッフの皆さんには、心から感謝したい。天下のNHKが、仕事もしないでバイクで走り回っているやつを相手にしてくれるなんて日本も捨てたものではないなと思う。

 以下はラジオで話す内容をまとめたもの。(実際はこの半分程度しか話せなかった)


●そちらの気候や町、宿の様子など

 ここは赤道直下なんですが、キトの街は標高 2850mにあるので意外に寒いんですね。
 雨期明け前なので毎日雨が降ってまして、気温にしてだいたい10度〜20度の間なんですが、朝晩は結構冷えるんです。これまで中米を通ってきたわけですが、連日40度の炎天下を走ってきたので尚更寒く感じますよ。
 キトの街は生活物価が安くて過ごしやすいです。特に食べ物が安くて美味しいんですよ。シーフードばかり食べているのですが、日本の半額から三分の一程度の値段で食べることができます。もう毎日食い倒れ状態で...。
それからホテルも安いところは300円程度からあるようです。これから一ヶ月ほどスペイン語学校に通おうと思うのですが、市内にはたくさんの学校がありまして、安いところだと個人レッスンでも1時間400円くらいで受けられるそうです。

●びっくり体験

 オーストラリアでの話ですが、エアーズロックからギブソン砂漠を越えてウェスタンオーストラリア州に入ったのですが、時期がちょうど雨期だったんですね。
 天空に滝が現れたんです。空に滝が出現なんて想像できます?
 あの地方は一度雨が降ると日本の四国くらいのおおきさの水たまりができるそうなんですが、雨雲から大量の水が降り注いでいる様子が滝そのものなんです。
 結局逃げるまもなく滝にうたれてしまったのですが、まわり一面海のようになってしまいました。もちろん全身ずぶぬれで...。
 地平線の彼方まで水たまりになってしまいましたが、結局そのあと30分くらいで地面にしみこんでに消えちゃったんですがね。

●出会った人々

 これまでたくさんの人に出会ってきました。
今回、中米のコスタリカですが、山の中でたまたまコスタリカ人の家族連れと出会ったのですが、しばらく立ち話ししているうちに
「今日はもう遅いからうちに泊まっていってよ」
ということになって、家に招待してくれたんですね。
結局二泊三日間お世話になりました。もちろん三度の食事を含めて手厚いもてなしをしてくれたんです。旅行中の親切ほど身にしみるものはないですね。
 感謝感激で、最後別れ際のあと、自分、涙があふれて止まりませんでした。
 それから自分のホームページを見て、たくさんの方からメッセージを頂きました。日本からの励ましはもちろん、アメリカ、メキシコ、コロンビア、エクアドル、パラグアイ、アルゼンチンから現地情報を頂き、ほんとありがたく思います。

●永原さんにとって旅とは?

 僕にとって旅とは「学校」のようなものですね。
言ってみれば地球全体が教室で、道端で出会う人すべてが僕の先生です。例えば靴磨きの子供、屋台のおやじ、ホームレス、警官、泥棒、ゲリラ兵士、みんな僕の先生なんです。
 もちろん反面教師もたくさんいますよ。そして時には高い授業料を取られることもありますけどね。でもみんな僕に色々なことを教えてくれます。
 日本の常識すべてひっくり返される事もありますが、これまでの旅を通して新しい世界観、新しい価値観、新しい人生観を得ることができました。
 ほんと、この学校からは一生卒業したくないです。

●将来は?

 将来ですか....
普段バイクや車に乗ったり携帯電話やインターネットを使ったりして文明の恵みを甘受しているのですが、実は狩りと漁の暮らしに憧れているんですよ。
 いつか大自然の中に丸太小屋を建てて自給自足の生活をしてみたいです。そして世界中から旅行者が集まるようなホテルも作ってみたいですね。


走行距離:0km(Total 14,518km)
宿:90,000sucres×7日
出費:食費 280,000sucres(7日分)
   その他 200,000sucres

両替(Citibank Card)
500,000sucres(31日)
600,000sucres(2日)
500,000sucres(4日)


1998年6月5日

Quito

  キトから23km北に赤道碑(Mitad del mundo)がある。今日は久しぶりに天気が良くなってきたのでバイクを走らせ見に行った。はじめてみた感想だが、その赤道碑は想像していたよりかなり大きいものだった。赤道を示す線は黄色で示されているのが意外だ。
 このあたりの標高は2,483kmで、現在の気温約20度。赤道を実感するには寒すぎる温度。
 碑のまわりにレストランやお土産屋、郵便局などが並んでいるが、その中のひとつ「レストラン・コチャバンバ」で食べたエビと白身魚のフィレソテーはかなり美味しいものだった。
 そしてなぜか赤道上に体重計があるのだが、そこで測った体重は他のどの地域で測るよりも軽くなるそうだ。しかしエクアドルは食べ物が安くてうまいので、二〜三日キトで過ごしていれば体重は増えているはず。

 赤道碑を見たあとはキトの旧市街を抜けてパネシージョの丘へ向かう。途中何匹かの犬に追いかけられながらも丘の上にあがると街全体が見渡せる展望が広がった。頂上にはキトの聖母像が立てられている。
 パネシージョの丘一帯は周囲に貧民街があるため、強盗が出ることで有名だったが、最近は治安が改善されているそう。物売りだろうか、インディヘナの親子が裸足で歩いていた。

走行距離:80km(Total 14,598km)
宿:90,000sucres
出費:食費 580,00sucres
   Mitad del Mundo入場料 2,000sucres
   バッジ、絵はがき、切手 72,000sucres


1998年6月6日

Quito

 ネット上で知り合った日本在住の大学生、Wさんの紹介でキト市内にある彼の実家を訪れた。実は大学生であるWさんとは面識がなかったのだが、それにもかかわらず親御さんが家に招いてくださったのである。そこではおいしい日本食を振る舞われ、手厚いもてなしを受けた。

走行距離:5km(Total 14,603km)
宿:90,000sucres
出費:食費 9,000sucres


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