プエルトユンガイ〜コジャイケ〜チャイテン
(カレテラ・アウストラル)
Pto. Yungay-Coyhaique-Chaiten

via Carretera Austral

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カレテラ・アウストラル沿線の風景。

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 カレテラ・アウストラル南端部終点のモニュメント。

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Puerto Yungay Km 1150

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 プエルトユンガイ手前付近はガレ場のアップダウンが続く。

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 カレテラ・アウストラル沿線にレフヒオ(避難小屋)が設置されている。

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Refugio Historico de Aysen

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 まるで北海道の林道のようだ。Carretera Austral

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 大物が釣れることで有名な場所。

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Lago neral Carrera

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 プエルトムルタにある宿のオヤジと庭で飼われている馬。

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 コジャイケでチャリダー天久くんと三度目の再会。

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 チリ陸軍の戦車。

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 距離が桁外れな標識。

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Carretera Austral

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 フルサス自転車でパタゴニア縦断中の坂本さん。

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 前後に特注キャリアを装備。

1998年12月30日(水曜日)

Cochrane-Puerto Yungay-Cochrane

 パソ・ロバージョスからチリへ越境するとカレテラアウストラルへは道の途中から入ってしまうことになる。ここから最南端終着点までは約 120km。
 今回は折角なので最南端部終点プエルトユンガイまで走ることにした。特に何があるわけではないが、道の終着点ということだけでそこまで行く価値を感じる。
 ここ、コクラネの町からプエルトユンガイまでは約120km。北海道の林道のような道が延々と続き、その行程ではたくさんの湖、残雪残る岩山、氷河の谷、豪快に流れ落ちる滝など次々とあらわれる。プエルトユンガイの手前約 20kmはガレ場のアップダウンが続く。どこかで岩にヒットしたのか、気がついたらチェーンガイドの下半分がバラバラに砕け落ちている。
 小さな峠を越えプエルトユンガイ着。ここは小さな港があるだけの小さな村。教会はあるのだが商店は一軒も無く生活感がない。気がついたら港の前にカレテラアウストラル終点を示すモニュメントがあった。それによるとプエルトモンからここまでの距離 1150kmと示されている。

 夕方、コクラネ近くまで戻り釣りのポイントへ向かう。そこはウシュアイアで会ったあさのびっちさんが教えてくれた穴場である。コクラネ川は驚くほど青く透明に透き通っていて水深3メートルほどある流れでも川底の石がくっきり見える。
 さっそく竿を出すと30-40センチのニジマスが立て続けにヒットした。実はこの時、ご飯を炊こうとして鍋をたき火にかけておいたのだが、釣りに夢中になっているうちにすべて真っ黒に焦がしてしまった。代わりにチリトマトのマカロニスープを作り、河原でブッシュキャンプ。

走行距離 264km(Total 45,720km)
キャンプ: ブッシュキャンプ(無料)
出費:食費 2,000pesos(C)


1998年12月31日(木曜日)

Cochrane-Puerto Murta

 ヘネラルカレラの湖で釣りをしたのだが、大物がねらえるという場所で僅か10センチ足らずの小さなニジマスを釣った。

 夕闇が近づいてきたのでキャンプ地へ走りだそうとするがセルモーターが回らない。
「こんなところでセルモーターの故障か!?」
 セルボタンを押してもセルモーターリレーがカチカチ鳴るだけでモーターはぴくりともとも動かないのだ。このバイクはセルモーターのみで、キックスターターはついていない。試しに押しがけしてみるのだが砂利道ではタイヤがグリップせずまったくだめ。
 「大晦日にバイクのトラブルに見舞われるとはなんてついてないんだろう。しかもこんな原野の田舎道で...。」
 しかし幸いなことにサイドカバーを外し電装を見てみると呆気なく不具合を見つけることができた。なんとセルモーターリレーとバッテリーを接続しているターミナルが振動による金属疲労でちぎれているのだ。
 端子をくっつけてやるとセルモーターは何事もなかったように回った。やはり世界に誇る「ミツバ」社製のモーターはそう簡単に壊れるはずがないのだ。

 正月をブッシュキャンプで過ごすのも悪くないと思ったが今日は天気が悪いので宿で泊まることにした。宿一軒、小さな食品店一軒だけの小さな村「プエルトムルタ」で山小屋風の小屋に泊まる。ここは宿の本館とは離れになっているが、熱いお湯シャワーがあり薪ストーブも使えるので便利。宿泊客は自分一人だけなので思う存分くつろぐことができた。

走行距離 216km(Total 45,936km)
ホテル: 3,000pesos(C)
出費:食費 1,800pesos(C)
   ガソリン 3,600pesos (10.6L)


1999年1月1日(金曜日)

Puerto Murta

 午前0時、花火の音なのか鉄砲の音なのかわからないが三発の炸裂音が響きわたり1999年の正月が明けた。人口百数十人の村で静かなお正月だ。
 夕方になって、ホテルを運営しているファミリーと一緒に羊肉の分厚いステーキを食べた。

走行距離 0km(Total 45,936km)
ホテル: 3,000pesos(C)
出費:食費 2,800pesos(C)


1999年1月2日(土曜日)

Puerto Murta-Coyhaique

 コジャイケに着いて早々、どこかで見かけたことのある自転車野郎を発見した。キトから南下してきた天久くんだ。 ペルーのクスコ、ボリビアのラパスに引き続き三度目の再会だ。偶然とは言え、お互いこの町に着いたその瞬間に会うとはびっくり。
 彼は98年5月にエクアドルのキトを出発、ペルー、ボリビアにかけては標高差5,000メートルにも及ぶアンデス山脈、秘境南アルチプラノなどいくつもの難所を越え、すべて自走で旅してきた。

 せっかくなので今日は本人に何か書いてもらうことにしよう。
では天久くんどうぞ。

 あけましておめでとう!
 今年初めて会った日本人がまさか永原君とは思わんかったばい。
(チャリダー天久)

 「たったこれだけ? もっと何か書いてよ。」

 「うーん、書くことが思いうかばんけん、後で考えとくばい。」

 今日はユースホステル形式のアットホームな宿に泊まり、深夜まで旅の話で盛り上がった。

走行距離 215km(Total 46,151km)
ホテル: 4,000pesos(C)
出費:食費 1,900pesos(C)


1999年1月3〜5日(日〜火曜日)

Coyhaique

 3日は二人いるということで久しぶりに親子丼を作って食べた。ここの宿は台所が利用できるのでありがたい。隣の部屋に泊まっているスイス人やホストファミリーの子供たちは親子丼という料理をを見るのも箸で食べているのを見るのも初めてらしく、我々を見てひたすら驚いていた。

 5日、こんな小さな町コジャイケでもインターネットの店が見つかり、メールチェックとツーリングレポートのアップロードができた。マシンは二台あり、両方ともダイヤルアップで接続されているのだが、ダイヤルアップ接続にしては転送速度が速い。プロバイダーは「エンテルネット」。エンテルとはチリ国内最大の電話会社である。巨大な資本と設備があるためかチリ国内多くの都市や町にAPがあり、通信環境も良いという。

走行距離 0km(Total 46,151km)
ホテル: 4,000pesos x3(C)
出費:食費 12,000pesos(C)
   釣り具 12,000pesos(C)


1999年1月6日(水曜日)

Coyhaique-Lago Elzalde

 今日は天久くんとコジャイケから南へ 30kmほど行ったところにある湖で釣りをする事にした。一緒にコジャイケを出るが、バイクは40分程度、自転車の天久くんは三時間の行程である。
 湖沿いに設備の整ったキャンプ場を見つけテントを張る。自転車の天久くんは2時間後に到着。キャンプ場ではアサード用の肉が買えたので昼から焼き肉に舌づつみを打った。ここは牛肉の産地なので1キロたったの1,000ペソ(約 250円)だ。

 この湖は岸が断崖になっている部分がほとんどで、キャンプ場から歩いて行かれる範囲に釣りができるような足場のある岸はごく限られるようだ。手頃な岩場からルアーを投げる。5時間ほど同じ場所で粘るが、三回ヒットのうち二回はばらしてしまった。
 結局僕は30センチ、天久くんは40センチのブラウントラウトを釣りあげ、夕食時にはそれぞれの胃袋に収まった。

走行距離 56km(Total 46,208km)
キャンプ場: La Cascada 2,500pesos(C)
出費:食費 1,000pesos(C)


1999年1月7日(木曜日)

Lago Elzalde

 今日も昼間から焼き肉を食べ、一日中のんびり過ごした。夕方釣りに出かけるが風が強いため釣りにならず。

走行距離 0km(Total 46,208km)
キャンプ場: La Cascada 2,500pesos
出費:食費 2,500pesos(C)
   ガソリン 3,600pesos (9.4L)


1999年1月8日(金曜日)

Lago Elzalde-Chaiten

 朝、自転車で更に南を目指す天久くんを見送った。彼は気が遠くなるほど広大な南米大陸を日々人力で移動しているのだ。
 「最終目的地ウシュアイア到着は一ヶ月後の予定ばい。」
 石ころの道を左右に蛇行しながら走る後ろ姿を見ながら、旅の成功と安全を祈らずにはいられない。

 沿線の風景が美しいことで知られているカレテラアウストラルの中でもコジャイケ〜チャイテン間は渓谷美が特に美しい。青く透き通った川、氷河を抱いた山、思わず息をのむような風景が次々と現れた。
 そしてチャイテンに近づくほどシダ植物が多くなり、鬱蒼とした雰囲気の森が続く。

 日が沈む頃チャイテンへ到着。北へ 5kmのキャンプ場で泊まる。

走行距離 493km(Total 46,701km)
キャンプ場: 1,300pesos(C)
出費:食費 1,500pesos(C)
   ガソリン 3,200pesos(11L)


1999年1月9日(土曜日)

Chaiten-El Bolson

 ここチャイテンからフェリーでチロエ島に渡ろうか迷ったが、再び陸路国境を越えてバリローチェへ行くことにした。バリローチェは南米のスイスと呼ばれる美しい町である。
 道を約 80km戻る必要があったがカレテラアウストラル上で日本人の自転車旅行者に会った。パニアバッグを前後左右に装備しているところまでは普通だが、自転車が特殊だ。彼は新しい試みとして前後にサスペンションを装備したダウンヒル競技用の自転車をツーリングに使用している。このフルサス自転車は未舗装路を走るには幾分メリットがあるが、直進性が悪く可動部分が多いので故障してしまうというリスクがある。それをあえて旅に使ってやろうというチャレンジ精神は誉められるべきものか、けなされるべきものか判断できないが、凄いことにはかわりない。僕も一時期2ストロークのCRM250Rで海外ツーリングしてみようかと考えたことがあるが、それと似たようなものだろう。

 フータレフーという町からアルゼンチンへ越境。このあたりはリバーカヤックが盛ん。青い川にカヤッカーの姿を沢山見た。

走行距離 382km(C 173km)(Total 47,083km)
キャンプ場: 3pesos(A)
出費:食費 1,900pesos(C)
   食費 4pesos(A)
   ガソリン 1,500pesos(C) (9.4L)
   ガソリン 6.6pesos(A) (11L)
   ガソリン 2.8pesos(A) (4.8L)

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