エル・チャルテン〜バホ・カラコレス〜コクラネ
El Chalten-Bajo Caracoles-Cochrane

98122599.jpg (14654 バイト)

El Chalten (Fitz Roy) エル・チャルテン(フィッツ・ロイ)

98122501.jpg (12320 バイト)
 Fitz Royの地名はマルビナス(フォークランド)紛争後El Chaltenに改名された。

98122601.jpg (12267 バイト)
 アフリカツインでやって来たドイツ人、ハンスさん。

98122604.jpg (14355 バイト)
 彼らはスペアタイヤを積んで走っていた。

98122605.jpg (9695 バイト)
 このアフリカツインは23リッター(左右)のリヤサイドタンク装備で航続距離 800km走る。

98122602.jpg (12419 バイト)
 同じくドイツからやって来たアッシムさん。リヤに15リッターのサブタンクを装備。

98122603.jpg (11604 バイト)
 彼ら(アルゼンチン人)はブエノスアイレスからトランザルプ二台でやって来た。

98122701.jpg (9852 バイト)
 ルタ40、ホテル・ラ・レオナ。

98122702.jpg (9213 バイト)
 日本から届かなかった手紙を直接配達。走じろうさん、確かに届けました。

98122703.jpg (7952 バイト)

1998年12月25日(金曜日)

El Calafate-El Chalten

 カラファテの町から30分ほど走ったところで道は北の方へ分岐する。ここから北へ延びる砂利道「ルタ40」の始まりだ。何もない乾燥した荒野で時々見るのは物凄い勢いで駆けるニャンドゥー(駝鳥の一種)やグアナコ、キツネだけ。
 途中更に分岐を曲がり約200kmでエル・チャルテンに至る。ここは晴れていればナイフのように尖った山が見えるはずなのだが、曇っているためその付け根部分しか見えない。
 雨が降ってきたのでホテルに泊まろうとしたが、ユースはおろか村のすべてのホテルはすべて満室だ。仕方なく村外れのキャンプ場でテントを張る。

走行距離279km(Total 44,643km)
キャンプ: グアルダパルケス キャンプ場(無料)
出費:食費 5pesos(A)
   ガソリン 2.5pesos(A) (5L)


1998年12月26日(土曜日)

El Chalten

 夏の短いパタゴニアは夏のアラスカ同様、この時期に世界中から旅行者が集まっている。村のキャンプ場では自転車旅行者やバックパッカーでいっぱいだ。
 夕方、アフリカツイン750V、トランザルプ600Vに乗った二人組のドイツ人がやって来た。彼らはドイツからバイクをブエノスアイレスに空輸(往復約 2,000ドル)、南米大陸を走り回っている。
 そのひとり、アッシムさんのアフリカツインには左右で23リッターものサイドタンクが装備されている。メインタンクとあわせると合計50リッター近くも入り、一度満タンにすると800km走れるという。もうひとりハンスさんもトランザルプに容量15リッターのサブタンクを装備し辺境地の長距離走行に備えている。
 「なぜBMWに乗らないのか?」と訊くと「BMWは高価だし、ホンダの方が耐久性があるから」とのこと。また、ペンタックスのコンパクトカメラを使っていたので「なぜライカじゃないの?」と訊くと「ライカは高価だし、こっちの方が小さいわりにズームレンズがついていて使いやすいから」とのこと。
 ドイツ人は語学が堪能な人が多い。しかし、たき火を囲みながら話をしたが、二人とも英語が苦手でスペイン語もほとんど喋れない。会話の途中、彼ら二人ドイツ語で「〜って英語でなんて言うんだっけ?」と訊きあっていた。また、握手するとき普通のドイツ人は握力をかけて強く握るのだが、彼らは弱々しい。まったくドイツ人らしくないドイツ人だ。

 ここのキャンプ場ではブエノスアイレスからトランザルプ二台でやって来たアルゼンチン人、フェデリコさんらにも会った。彼らはクリスマス休暇を利用してパタゴニアをツーリングしている。
 フェデリコさんはブエノスでバイク便をやっているとのこと。アルゼンチンにもバイク便がある事が意外だったが結構いい収入になるらしい。

走行距離km(Total 44,643km)
キャンプ: グアルダパルケス キャンプ場(無料)
出費:食費 4pesos(A)
   ガソリン 6pesos(A) (10L)


1998年12月27日(日曜日)

El Chalten-Bajo Caracoles

 フェデリコたちを見送ったあと、ドイツ人ライダーアッシムさん、ハンスさんに別れを告げルタ40の本線へ戻る。この道は、ほとんど何もない荒野に続く砂利道の幹線道路なのだが、所々小さなホテルやエスタンシアがある。その中の一つにホテル・ラ・レオナという小さな宿があるのだが、今回僕はそこへ宛てられた一枚の封書を届ける使命があった。

 その封書とは一年前にここを訪れた友人「走じろうさん」が、帰国後日本から手紙と写真を送ろうとしたものなのだが、残念ながら宛先不明瞭なため日本へ送り返されてしまった。それで今回、 「国際バイク便にお任せを!」ということで僕が代わりに直接届けることになったわけ。
 走じろうさんとは最初カナダのアラスカハイウェイ上で会ったのだが、当時の彼は自転車で世界一周の旅を始めてまもなくの時であった。その後モンゴル、アフリカ、ユーラシア、オーストラリアなどを走ったあと最後に南米大陸を縦断、今年初旬にウシュアイアに到着、そこで旅を終え日本へ帰国した。
 彼はすでに旅に出ていた僕とメールで連絡を取り、例の手紙を通過予定地のペルー、リマの宿へ先に送っておいてくれた。それを僕がリマで受け取ったのが今年7月。
 考えたらこの手紙、一度日本とブエノスアイレスを往復したあと再びペルーに送られ、そこからバイクに積まれ南アルチプラノやアマゾンを横断したあと、南米最南端の町まで運ばれた。その後ついに最終目的地ホテル・ラ・レオナに到着するという、これまた気の遠くなるような旅をしてきたのだ。

 さて、話はパタゴニア、ホテル・ラ・レオナに戻る。
 ホテルに入るとにこやかな女の子、イルマさんと、やさしそうなおばちゃん、アナさんが迎えてくれた。早速手紙を取り出しその経緯を説明すると彼女たちは走じろうさんのことを覚えていた。二人とも突然の手紙に驚いたが、やがてその驚きは喜びに変わる。そして最初アラスカで走じろうさんに会ったことや自分の旅の話に楽しいひとときが過ぎた。
 コーヒーを無料で出してくれたが、チップに2ドル置いてラ・レオナを後にする。
「Que tangan feliz an~o nuevo!!」(良いお年を!)
「Igualmente a Usted !」(あなたこそ!)

 走じろうさんから託された手紙はもう一通ある。ここから更に200kmほど北上したところに「エスタンシア・ラ・シベリア」という宿があり、そこにホセさんという人がいる事になっているらしい。もう一通の手紙はそのホセさんに宛てられたもの。トレスラゴスで給油した後ルタ40を北上、しかしエスタンシア・ラ・シベリアに到着したまでは良かったが、中はガランとしていた。横の家から出てきたおじさんの話によると、もうホセさんはここにいないらしい。走じろうさんの封書に同封されている写真では旅行者のメッセージがたくさん張り付けられた壁があるのだが、同じ壁であろうと思われる場所はすべてのメッセージや手紙が剥がされさっぱりとしていた。残念だが、おじさんにホセさん宛の手紙を預けエスタンシア・ラ・シベリアを後にする。

 さらに200km北上、バホ・カラコレスのガソリンスタンド・兼雑貨屋・兼ホテルでフェデリコさんたちに再会した。彼らもこの村でキャンプするとのこと、村人のすすめで廃屋の庭を借り三人でキャンプ。

走行距離 526km(Total 45,169km)
キャンプ: 廃屋の庭(無料)
出費:食費 7pesos(A)
   ガソリン 4.5pesos(A) (7.5L)


1998年12月28日(月曜日)

Bajo Caracoles-Cochrane

 ここから幹線道路を外れ約50km、フェデリコたちとクエバス・デ・ラスマノス(手のひらの洞窟)を訪れた。そこには約一万年前インディオが住んでいたという谷があり、付近の岩壁にたくさんの手のひらが描かれているという。
 谷沿いに少し坂を下りて行くと鉄柵に囲まれた岩壁が見えてきた。そしてそばまで寄るとそこには何百、何千もの手のひらの壁画があった。鹿やグアナコの壁画もあるが、ほとんどは左手の形を縁取るように赤や黄色、白で彩られている。素人目で見た感想では、岩壁に手を当てて上から缶入りラッカースプレーで着色しただけとしか思えない。しかも一万年こんなにくっきり残っているものか疑問だ。

 ルタ40を北へ向かうフェデリコたちと別れ、自分は西へ進路を変える。ここから約100km行くとチリへ抜ける国境、「Paso Roballos」が開いているはずだ。バホカラコレスでもう一度給油するついでにスタンドのオヤジに国境が開いていることを確認する。話によるとこの時期、あの国境は問題なく通れるとのこと。
 ここから国境までは一車線の砂利道が続いた。アルゼンチン側の国境事務所からチリ側の国境事務所までの十数キロは更に道が狭くなり林道のような道が通っている。チリ側国境事務所で手続きするとき、そこの通過記録台帳に南米専門ライダーの水野さんや夫婦で世界一周中井夫婦の名前があった。こんなマイナーな国境を通っていたとは驚き。

走行距離 287km(Argentina196km)(Total 45,456km)
ホテル: 5,000pesos(C)
出費:食費 7pesos(A)
   ガソリン 2pesos(A) (3.4L)
   ガソリン 2,500pesos(C) (7.3L)


1998年12月29日(火曜日)

Cochrane

 今日は一日停滞。コクラネは歩けば10分くらいで見て回れるような小さな町。最近自炊ばかりしていたのでレストランで焼き魚「ぺへレイ」を食べた。白身魚だが身に歯ごたえがあり味も上々。実にうまい魚だ。

走行距離 0km(Total 45,456km)
ホテル: 5,000pesos(C)
出費:食費 4,200pesos(C)

Back / Next


Countries INDEX / Travelogue INDEX