ウシュアイア〜プエルトナタレス〜エル・カラファテ
Ushuaia-Puerto Nateles-El Calafate
Ventisquero Perito Moreno ペリトモレノ氷河。
![]() 柵に羊の皮が....。
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1998年12月17日(木曜日) Ushuaia-San Sebastian-Tehuelches 上野さん夫妻が用意してくれた暖かい日本食を食べ、ウシュアイアを出発。寒い中、二人の暖かい見送りを受けた。 ウシュアイアから北へ300km走りアルゼンチンからチリへ国境越え。 両国のイミグレの間は14kmも離れており、その間は何もない荒野に砂利道が続いているだけ。来たときと同様、手続きはスムーズに済んだ。 フェリーに乗り、再びマゼラン海峡を渡る。フェゴ島ともこれでお別れだ。離れ行く荒野を見ながら上野さん夫妻の顔を思い出す。こんな地の果てで逞しく生きる日本人に会えたことに感謝。 牧場の鉄柵に子羊の皮がかかっているのを見た。飢えた旅人が食べてしまったのだろうか。パタゴニアの荒野では飢えて死にそうになった旅人は牧場の羊を殺して食べても罪にならないという決まりがある。ただし皮までもって行くと罪となるので剥いだ皮は柵にかけておかなければならない。 今日はチリへ越境した先で野宿しようと思っていたのだが、キャンプをしようにもまわり一面低い草の生える荒野で木がほとんど生えていない。基本的にブッシュキャンプは人目を避けなければならないので、場所を探すのに手間取った。結局夜中の一時頃まで走り、牧場の柵の脇にテント張ってブッシュキャンプ。 走行距離684km (アルゼンチン346km) (Total 43,500km) 1998年12月18日(金曜日) Tehuelches-Puerto Natales 朝、羊の声で起こされた。テントのすぐ側を一匹の羊がウロウロ歩き回り、 「Tehuelches」の村でガソリンを入れようとしたが、ガソリンスタンドがない。ここからプエルトナタレスの町まではあと158kmほどあるので、ここでガソリンを入れなければ荒野の真ん中でガス欠してしまう。村人のすすめで近くの道路工事の基地へ行ってみると、ガソリンポンプが二つ並んでいる所を見つけた。しかしそのガソリンは工事車両用のものなので一般には売ることができないことになっているという。 昼、プエルトナタレスの町に到着。ここは歩けば30分ですべて見て回れるような小さい町だが、雰囲気が良く落ち着ける町。家族経営の小さな民宿に泊まる。 走行距離158km(Total 43,658km) 両替 US$200 -> 90,600 pesos 1998年12月19日(土曜日) Puerto Natales-P.N. Torres del Paine 朝出発する頃、70歳を越えるお爺さん旅行者、水津さんに会った。彼とはボリビアのラパスでも会ったのだが、困ったことに無謀なことばかり言うことで有名だ。原付でカナダ、アラスカを走ると言い出したり、バンジージャンプしたいと言い出したり、およそ70代のお爺さんとは思えないようなことばかりしようとしている。それも自分ですべて責任をとれるなら良いがいつも他人に迷惑ばかりかけ、まわりの旅行者を困らせている。ここでもこんな小さなプエルトナタレスの町で迷子になり、他の日本人旅行者に捜索され警察を巻き込んでの大騒ぎを起こしたらしい。 パイネ国立公園でドイツ人ライダー、アッシュさんに会った。バイクはドイツから持ち込んだBMW-GS。 また、公園内の避難小屋では日本人バイク旅行者に会った。アラスカから南下してきた寺田さんだが、風の噂で彼の名はすでに知っていた。寺田さんは今年五月にカナダでバイクを購入、アラスカは北緯70度のプルドーベイまで走ったあと、北中南米ひたすら南下してやって来た。バイクはカナダ仕様の'96
DR350SE。リヤキャリア装着以外はほとんどノーマル。しかし僕のバイクとは年式違いの同型だが不思議なことに燃費が二〜三割も悪い。 走行距離190km(Total 43,848km) 1998年12月20日(日曜日) P.N. Torres del Paine パイネの丘のキャンプ場で日本人の家族連れに会った。最初はいきなり日本人の元気な子供が駆け寄ってきて「こんにちは!」と言ったので驚いた。日本では最近こんな子供らしい子供を見ないが、自然環境の豊かなところにいると心身共健康に育つのだろう。 このキャンプ場ではミゲルさんというツアーガイドとも知り合った。彼もまたバイク乗りである。話を聞くと三年前に五ヶ月かけてアメリカのコロラド州からブエノスアイレスまで走ったという。そのときのバイクはBMWのR100GS。 走行距離37km(Total 43,885km) 1998年12月21日(月曜日) P.N. Torres del Paine-Ventisquero Perito Moreno セロ・カスティージョからアルゼンチンへ越境。この国境は夏期の旅行シーズンしか開いておらず、冬季は雪に閉ざされてしまうという。両国ともスムーズに手続きできた。チリ側税関ではフレンドリーな係官が「ADUANAを日本語で書いてくれ」と頼んできたので、紙に太いサインペンで「税関」と大きく書いてあげた。 国境を越えかてからは緩やかな起伏のある乾燥した荒野が延々続く。エルカラファテの町の数キロ手前に大きな段丘があり、遠くアルへンチナ湖と、その後ろに雪をかぶったパタゴニアアンデスの山並みが見えた。カラファテを通り過ぎ、ペリトモレノ氷河へ向かう。数キロ先から青い氷河が見えた。しかし巨大だ。近くへ寄ると更にその大きさが確認できる。まるで十階建てのビルがひしめき合っているかのようだ。氷が崩落すると爆弾が爆発したような大音響が響きわたる。小さな氷塊が落ちただけでもマシンガンで撃っているような乾いた炸裂音が響く。 パタゴニアの天気は崩れやすい。氷河近くのキャンプ場でテントを張り夕食を食べ終わるころ雨が降り始めた。更に氷河からの風が冷たく、そして強く吹き付けてくる。風と雨の音を聞きながら寝袋で丸くなって眠る。 走行距離400km(Chile 110km)(Total 44,285km) 1998年12月22日(火曜日) Ventisquero Perito Moreno-El Calafate 一晩中雨が降り続いた。グランドシートの防水効果がなくなっているためか、朝起きるとテントの床が水浸しだ。寒いと思ったら寝袋が濡れている。本当は今日も氷河を見る予定だったが、こんな寒い中雨に打たれながら見ても辛いだけなのでテントを撤収したら早々とカラファテの町に戻ることにした。 カラファテの町には高級ホテルからドミトリータイプの安宿まで多くの宿泊施設があるのだが、今日は一泊8ペソ(約960円)のドミトリーに投宿した。普段は盗難事故を恐れて相部屋であるドミトリーは避けているのだが、大自然に囲まれたこの町は訪れる旅人も自然の好きな良い人ばかり。自分の泊まっている五人部屋に次々と入ってきたのはフランスからやって来た自転車旅行者、ブエノスアイレスから来たトレッカーたちだ。 この宿にはインターネットに接続されたコンピューターが用意されている。30分5ペソ(約600円)と少々高い気がしたが、マシンを借りてメールや掲示板のチェックをした。 走行距離79km(Total 44,364km) 1998年12月23〜24日(水〜木曜日) El Calafate 宿のコンピューターからHPの更新。ここはダイヤルアップで接続しているのだが、20〜30分おきに回線が切れた。まともに繋がっているときは結構快適に通信できるのだが、やはり電話回線経由ではそこそこの通信スピードしか出ない。 24日、クリスマスイブの夜を一人きりで過ごした。この部屋はドミトリーだが、今日の宿泊者は自分一人だけしかいない。しかもホテルの本館とは別棟になっており、より一層静閑なたたずまいを見せている。 走行距離0km(Total 44,364km) |