ウシュアイア〜プエルトナタレス〜エル・カラファテ
Ushuaia-Puerto Nateles-El Calafate

98122199.jpg (29904 バイト)

Ventisquero Perito Moreno ペリトモレノ氷河。

98121705.jpg (17581 バイト)
 柵に羊の皮が....。

98121707.jpg (9892 バイト)
 再びマゼラン海峡を越え、南米大陸本土へ渡る。

98121901.jpg (9259 バイト)
 グアナコの群

98121902.jpg (11523 バイト)
 パイネ国立公園

98121903.jpg (5778 バイト)
 Lago Phoe 乳白色の湖

98121904.jpg (10960 バイト)
 ドイツ人ライダーアシュさん
ドイツからチリへバイクを送ってやって来た。

98121906.jpg (6916 バイト)
 グレイ氷河から流れてきた氷塊。その高さは5メートル以上。

98122001.jpg (11162 バイト)
 カナダでバイクを買い、アラスカから南下してきた寺田さん。

98122002.jpg (10496 バイト)
 Torres del Paine パイネの尖塔。

98122101.jpg (6727 バイト)
 錆び付いた道標。

98122102.jpg (7714 バイト)
Ventisquero Perito Moreno
 ペリトモレノ氷河

98122103.jpg (8927 バイト)
 98122106.jpg (10511 バイト)
 高さ50メートルの氷柱が湖に崩れ落ちる。

98122201.jpg (12593 バイト)
 冷たい雨に打たれながらのパンク修理。今回の旅で二回目のパンクだ。

1998年12月17日(木曜日)

Ushuaia-San Sebastian-Tehuelches

 上野さん夫妻が用意してくれた暖かい日本食を食べ、ウシュアイアを出発。寒い中、二人の暖かい見送りを受けた。
「今度来るときは嫁さんつれて来るんだぞ! 帰ったら親孝行するんだぞ!」
「はい、いつまでもお元気で!」

 ウシュアイアから北へ300km走りアルゼンチンからチリへ国境越え。 両国のイミグレの間は14kmも離れており、その間は何もない荒野に砂利道が続いているだけ。来たときと同様、手続きはスムーズに済んだ。

 フェリーに乗り、再びマゼラン海峡を渡る。フェゴ島ともこれでお別れだ。離れ行く荒野を見ながら上野さん夫妻の顔を思い出す。こんな地の果てで逞しく生きる日本人に会えたことに感謝。
「ありがとう、上野さん。ありがとう、ティエラ・デル・フエゴ!!」

 牧場の鉄柵に子羊の皮がかかっているのを見た。飢えた旅人が食べてしまったのだろうか。パタゴニアの荒野では飢えて死にそうになった旅人は牧場の羊を殺して食べても罪にならないという決まりがある。ただし皮までもって行くと罪となるので剥いだ皮は柵にかけておかなければならない。

 今日はチリへ越境した先で野宿しようと思っていたのだが、キャンプをしようにもまわり一面低い草の生える荒野で木がほとんど生えていない。基本的にブッシュキャンプは人目を避けなければならないので、場所を探すのに手間取った。結局夜中の一時頃まで走り、牧場の柵の脇にテント張ってブッシュキャンプ。

走行距離684km (アルゼンチン346km) (Total 43,500km)
キャンプ: ブッシュキャンプ(無料)
出費:食費 4 Argentinos pesos
   ガソリン 5.5 Argentinos pesos (13L)
   ガソリン 6 Argentinos pesos (12.6L)


1998年12月18日(金曜日)

Tehuelches-Puerto Natales

 朝、羊の声で起こされた。テントのすぐ側を一匹の羊がウロウロ歩き回り、
 「メエェェェェ......メエェェェェェェェェェェ.......」
 と誰かを呼んでいるような声で鳴いている。
 テントの通気口から外を見ると、子羊が一匹だけ柵の外に出ており、群から離れた不安にオロオロしている様子。なんだか自分を見ているようで妙な気分だが、「独りになっても逞しく生きれ!」と声をかけてやってキャンプ地を離れる。

 「Tehuelches」の村でガソリンを入れようとしたが、ガソリンスタンドがない。ここからプエルトナタレスの町まではあと158kmほどあるので、ここでガソリンを入れなければ荒野の真ん中でガス欠してしまう。村人のすすめで近くの道路工事の基地へ行ってみると、ガソリンポンプが二つ並んでいる所を見つけた。しかしそのガソリンは工事車両用のものなので一般には売ることができないことになっているという。
 「困ったな。」 おたおたしていると見かねた現場管理人がただで10リッターのガソリンをわけてくれた。「全く面目ない...。」

 昼、プエルトナタレスの町に到着。ここは歩けば30分ですべて見て回れるような小さい町だが、雰囲気が良く落ち着ける町。家族経営の小さな民宿に泊まる。

走行距離158km(Total 43,658km)
ホテル:Res Carehue 5.000pesos
出費:食費 5,900 pesos
   洗濯 3,500 pesos
   ガソリン (10L)

両替 US$200 -> 90,600 pesos


1998年12月19日(土曜日)

Puerto Natales-P.N. Torres del Paine

 朝出発する頃、70歳を越えるお爺さん旅行者、水津さんに会った。彼とはボリビアのラパスでも会ったのだが、困ったことに無謀なことばかり言うことで有名だ。原付でカナダ、アラスカを走ると言い出したり、バンジージャンプしたいと言い出したり、およそ70代のお爺さんとは思えないようなことばかりしようとしている。それも自分ですべて責任をとれるなら良いがいつも他人に迷惑ばかりかけ、まわりの旅行者を困らせている。ここでもこんな小さなプエルトナタレスの町で迷子になり、他の日本人旅行者に捜索され警察を巻き込んでの大騒ぎを起こしたらしい。

 パイネ国立公園でドイツ人ライダー、アッシュさんに会った。バイクはドイツから持ち込んだBMW-GS。
彼は自分で木箱を造りバイクを梱包、船便でチリ北部の町アリカへ送ったそうだが、すべて含めた送料が600ドルとのことだった。

 また、公園内の避難小屋では日本人バイク旅行者に会った。アラスカから南下してきた寺田さんだが、風の噂で彼の名はすでに知っていた。寺田さんは今年五月にカナダでバイクを購入、アラスカは北緯70度のプルドーベイまで走ったあと、北中南米ひたすら南下してやって来た。バイクはカナダ仕様の'96 DR350SE。リヤキャリア装着以外はほとんどノーマル。しかし僕のバイクとは年式違いの同型だが不思議なことに燃費が二〜三割も悪い。
 彼はこれまでもオーストラリア大陸を始め、ヨーロッパ、モロッコ、をバイクで旅してきた。しかし長旅を繰り返しているわりに荷物の積み方がラフだ。

走行距離190km(Total 43,848km)
ホテル:避難小屋(無料)
出費:食費 2,000pesos
   ガソリン 2,300 pesos(9.5L)
   オイル 10,600pesos(2L)
   パイネ国立公園入園料 6,500pesos


1998年12月20日(日曜日)

P.N. Torres del Paine

 パイネの丘のキャンプ場で日本人の家族連れに会った。最初はいきなり日本人の元気な子供が駆け寄ってきて「こんにちは!」と言ったので驚いた。日本では最近こんな子供らしい子供を見ないが、自然環境の豊かなところにいると心身共健康に育つのだろう。
 ご主人のKさんはチリの首都サンチアゴで日本人学校の先生をしており、家族揃ってサンチアゴに住んでいる。今回は休暇を利用しレンタカーでパタゴニアを旅行している。ありがたいことにサンチアゴへ来たら是非うちに泊まってってと言ってくれた。サンチアゴで旅を終えようと思っていたので、旅の最後にこんな親切な方の家に招待されるなんてすごい幸運だ。
 旅の終わりはバイクの売却や帰国用の荷造り、航空券の手配など、しなければならないことが多い。大都市の喧噪の中、あれこれ済まさなければならないので、安心して泊まれる所があるというのは実にありがたい。
(#Kさんもホームページを持っているそうです。)

 このキャンプ場ではミゲルさんというツアーガイドとも知り合った。彼もまたバイク乗りである。話を聞くと三年前に五ヶ月かけてアメリカのコロラド州からブエノスアイレスまで走ったという。そのときのバイクはBMWのR100GS。
 会話の中で自分がサンチアゴで旅を終え、そこでバイクを売って帰りたいことを話すとサンチアゴ在住のバイク乗り、ホルヘさんを紹介してくれた。ホルヘさんに頼めばその友人のネットワークを使って簡単にバイクの買い取り先が見つかるという。驚いたことにホルヘさんもカジバのバイクでアメリカからチリまで走ったことがあるそうだ。しかも二ヶ月というスピードで縦断してきたらしい。「旅の話を聞かせてやるとホルヘも喜ぶぞ!」とミゲルが言う。最後にバイクをどう処分するか心配の種だったが、チリのバイク売買事情に詳しい人を紹介してもらい実に幸運。パイネに来て先の不安がトントン拍子に解決してゆくようだ。

走行距離37km(Total 43,885km)
キャンプ:Cerro Paine (無料)
出費:食費 2,900 pesos


1998年12月21日(月曜日)

P.N. Torres del Paine-Ventisquero Perito Moreno

 セロ・カスティージョからアルゼンチンへ越境。この国境は夏期の旅行シーズンしか開いておらず、冬季は雪に閉ざされてしまうという。両国ともスムーズに手続きできた。チリ側税関ではフレンドリーな係官が「ADUANAを日本語で書いてくれ」と頼んできたので、紙に太いサインペンで「税関」と大きく書いてあげた。

  国境を越えかてからは緩やかな起伏のある乾燥した荒野が延々続く。エルカラファテの町の数キロ手前に大きな段丘があり、遠くアルへンチナ湖と、その後ろに雪をかぶったパタゴニアアンデスの山並みが見えた。カラファテを通り過ぎ、ペリトモレノ氷河へ向かう。数キロ先から青い氷河が見えた。しかし巨大だ。近くへ寄ると更にその大きさが確認できる。まるで十階建てのビルがひしめき合っているかのようだ。氷が崩落すると爆弾が爆発したような大音響が響きわたる。小さな氷塊が落ちただけでもマシンガンで撃っているような乾いた炸裂音が響く。
 小さな氷塊といっても拳大の氷が頭に直撃すれば命はないだろう。やはり落氷の被害で1968年から1988年の間に32人も死亡しているそうだ。

 パタゴニアの天気は崩れやすい。氷河近くのキャンプ場でテントを張り夕食を食べ終わるころ雨が降り始めた。更に氷河からの風が冷たく、そして強く吹き付けてくる。風と雨の音を聞きながら寝袋で丸くなって眠る。

走行距離400km(Chile 110km)(Total 44,285km)
キャンプ:国立公園内のキャンプ場 (無料)
出費:食費 3,500 pesos(C)
   ガソリン 3,750pesos(C) (12.5L)
   P.N. Los Graciares 国立公園入園料 5 pesos(A)


1998年12月22日(火曜日)

Ventisquero Perito Moreno-El Calafate

 一晩中雨が降り続いた。グランドシートの防水効果がなくなっているためか、朝起きるとテントの床が水浸しだ。寒いと思ったら寝袋が濡れている。本当は今日も氷河を見る予定だったが、こんな寒い中雨に打たれながら見ても辛いだけなのでテントを撤収したら早々とカラファテの町に戻ることにした。
 みぞれ混じりの冷たい雨に震えながら走り始めたのだがリヤタイヤの感触が変。いやな予感がすると思いながら止まってみるとやはりタイヤがつぶれている。
 「なんてこった、パンクだ...。」
 いつものことだが、こんな時に限ってパンクしてしまう。カラファテの町までは約50km。悪あがきしてパンクしたまま走ろうと思ったが距離が長すぎる。しかも町まですべて砂利道なので、無理して走ればタイヤそのものが致命的ダメージを受けることになるだろう。じたばたしてもしょうがないのでかじかんだ手で雨に打たれながら修理。幸いスペアのチューブを持っていたので、簡単に直すことができた。
 三年前、内戦終結前のグァテマラを走っているとき、ゲリラ勢力の活動が活発な地域でパンクしたのを思い出した。あの時も熱帯雨林に冷たい雨が降っていたっけ。

 カラファテの町には高級ホテルからドミトリータイプの安宿まで多くの宿泊施設があるのだが、今日は一泊8ペソ(約960円)のドミトリーに投宿した。普段は盗難事故を恐れて相部屋であるドミトリーは避けているのだが、大自然に囲まれたこの町は訪れる旅人も自然の好きな良い人ばかり。自分の泊まっている五人部屋に次々と入ってきたのはフランスからやって来た自転車旅行者、ブエノスアイレスから来たトレッカーたちだ。

 この宿にはインターネットに接続されたコンピューターが用意されている。30分5ペソ(約600円)と少々高い気がしたが、マシンを借りてメールや掲示板のチェックをした。

走行距離79km(Total 44,364km)
ホテル: Hosp Los Dos Pinos 8pesos(A)
出費:食費 11pesos(A)
   インターネット 5pesos(A)


1998年12月23〜24日(水〜木曜日)

El Calafate

 宿のコンピューターからHPの更新。ここはダイヤルアップで接続しているのだが、20〜30分おきに回線が切れた。まともに繋がっているときは結構快適に通信できるのだが、やはり電話回線経由ではそこそこの通信スピードしか出ない。

 24日、クリスマスイブの夜を一人きりで過ごした。この部屋はドミトリーだが、今日の宿泊者は自分一人だけしかいない。しかもホテルの本館とは別棟になっており、より一層静閑なたたずまいを見せている。
「ああ、寂しいクリスマスだな。」
 しかしそこへ突然美しい日本人女性が現れた。
「これはいったいなんてこった!?」
 話を聞くと彼女は23歳、現在パラグアイで青年海外協力隊として仕事をしているという。今は三週間の休暇を利用し独りでパタゴニアを旅行しているのだそうだ。上品なしゃべり方や振る舞いは今まで南米で会った人とはまったく違う。きっとどこか良いところのお嬢さんなのだろう。もっと話をしたかったのだが用事があるとのことで20分ほどで帰ってしまった。一瞬の夢が覚めた。
 しばらく経って今度は日本人の青年が現れた。
「ここへバイクでやって来た日本人がいると聞いたんですが....。」
 南米旅行中のKさんだ。彼とは旅の話や今やっているインターネットによるリアルタイムレポートのことなどの話題で2時間ほど話をした。

走行距離0km(Total 44,364km)
ホテル: Hosp Los Dos Pinos 8pesos x2(A)
出費:食費 28pesos(A)
   インターネット 17pesos(A)

Back / Next


Countries INDEX / Travelogue INDEX