David-Santiago-Panama
ダビッド〜サンチアゴ〜パナマ
中央アメリカ縦断8,000kmの旅を終え、
ついに南米大陸へ渡る時が来た。
(写真は積み込み前にガソリンを抜いているところ)
![]() パナマ運河はアメリカの管理下にある。
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1998年5月6日 Puerto Jimenes-Santiago 中米最南端の国、パナマに入国。ビザは不要、ツーリストカードが必要なのだが、ツアーエージェンシーが代書料を含め5ドル徴収する。 国境の路上両替人からコロンをドルに両替してもらう。他の中米の国々では、路上両替人の極悪レートで悩まされてきたのだが、ここはかなり良心的なレートなので、これで商売になるのだろうかと逆に心配してしまう。 ダビッドの街を越えたところから雨雲が上空を覆い始める。ポツリポツリと来たかと思うと、いきなり大粒の雨が降り出す。熱帯地方独特の大雨だ。荷物はあらかじめ防水処理してあるので、あとは自分が雨具を着ればいい。しかし暑いのでTシャツ姿のまま走る。 走行距離:386km(Costa Rica138km)(Total 12,410km) 両替 12,000colones -> $46 1998年5月7日 Santiago-Panama パナマシティ数十キロ手前、普通のレストランで「エビのサルサソース和え」を注文したら出てきたのは中華料理のエビチリソースそのものだった。中華系の移民が多い国ならではのメニューで実に美味しい。一緒に頼んだマイースのトルティージャは、メキシコなどのトルティージャとは味も大きさも厚さもまるで違う。1センチ厚にスライスしたジャガイモを油で揚げたようなものに似て、そのまま食べても美味しい。 走行距離:236km(Total 12,646km) 1998年5月8日 Panama 米軍の航空基地へ行き、米軍のバイククラブ「Road Knights
Motorcycle Club」を探す。ガイドブックによると正式には1994年1月を以て閉鎖されてしまったらしいが、ガイドブックを編修している時点ではまだ修理・整備工場は存続しているとのこと。そして、ビジターブックにはバイクを南米大陸に送る為の有用で信頼できる情報が書いてあるらしい。 ホテルのフロントで電話帳を借りて航空輸送会社を調べていると、たまたま泊まっていたエル・サルバドル人のおじさん(ロドリゲスさん)が色々とアドバイスしてくれた。数ある航空会社のから信頼できる会社をリストアップしてくれ、「きみのスペイン語じゃあ電話するのも大変だから、明日の朝代わりに電話して訊いてあげるよ」と言ってくれた。言葉の不自由な外国の地では実に強力な味方だ。 走行距離:154km(Total 12,800km) 1998年5月9日 Panama 朝、ホテルのフロントへ行くとロドリゲスさんが出かける準備して待っていてくれた。そして外の公衆電話から航空運輸会社のアビアンカ(Avianca)へ電話してくれ、必要なことはすべて問い合わせてくれた。 明日バイクを空港に持っていけばパナマでの用事はすべて終わることとなる。ついに明後日には南米大陸へ向けて移動できるのだ。パナマ運河も今日が見納め時、バイクでミラフローレスロック(閘門)へくり出した。パナマ運河では太平洋と大西洋の水位差を補うために、いくつかの閘門が備えられている。水路の扉によって水位を上下させ、船舶を通行させる仕組みだ。 走行距離:85km(Total 12,885km) 1998年5月10日 Panama-Bogota 朝、荷物をまとめ空港へバイクを走らせる。中米の旅もいよいよ終わりだ。空輸前にバイクをきれいに洗いたかったが、ホテルの人から「君のバイクはきれいだからコロンビアで盗まれないよう気をつけて」と言われてやめた。 過去、旅客空港として利用されていた古いトクーメン空港は現在貨物機専用の空港として利用されている。付近一帯あやしい雰囲気に包まれ、いかにも白い粉が運ばれていそうな感じ。 航空貨物を搬入するゲートにはまるでマフィアのボスのような風格の男が見張りについている。そしてボス風の男が「バイクの部品が盗まれないよう見ててやるゼ、だから見張り料20ドルよこしな。俺が見てないとすぐ物がなくなるんだぜ、ヒヒヒ....」と言った。お金を出し渋るとミラーなどの部品がここで無くなるような気がしたので、悔しいが支払う。 さて、バイクの発送手続きが終わったら早速自分の航空券を手配だ。本当は翌日コロンビアへ飛ぼうと考えていたのだが、翌日の便はないので急遽今夜の便で飛ぶことにした。なんだか計画性のない旅になったが仕方ないだろう。 ホテルでは部屋の電話から市内のAPを利用し、久しぶりにネットに接続することができた。 走行距離:46km(Total 12,931km) |