Antigua-San Salvador-Copan-El Espino-Managua

アンティグア〜サン・サルバドル〜コパン
〜エル・エスピーノ〜マナグア

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ニカラグアの首都マナグアの古いカテドラル。
この写真を撮った直後、乞食に囲まれる。

98042000.jpg (13298 バイト) 「エル・サルバドル国境
国境を越える度、心身共に疲れる。

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 エル・サルバドルの国境事務所は清楚で係官もみんな紳士的だ。

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 首都サン・サルバドルまであと69km。

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 銃の弾痕で錆だらけになった標識。左がホンジュラス国境、右へ行くと首都サン・サルバドル。

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Ruinas de Copan

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 脊柱とピラミッド

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 鳥の頭のような形をしたオブジェが天に吼える。

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Cara del viejo

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 幹線道路だが80km以上未舗装路が続いた。

98042501.jpg (10112 バイト) ホンジュラス、ニカラグア国境。各国境のアドゥアナでバイクの通関手続きを繰り返す。

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 日本の協力で架けられた橋

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 マナグア湖の畔

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 一泊二日で走り抜けたニカラグア、かくも虚しき国。黄・黒のアンダーラインは建設中の意味?

1998年4月20日

Antigua-San Christbal-San Salvador

 アンティグアからグァテマラシティへの途中、アメリカ人らしき夫婦(ケントとアン)でタンデム自転車に乗る旅行者に会った。彼らもこれから南米最南端を目指すという。残念ながら坂の途中で場所が悪かったため、ゆっくり話すことができなかったが、12月に南米最南端の町、ウシュアイアに到着予定という、いずれまた会うかもしれない。

 再びグァテマラシティを横断後、真っ直ぐエル・サルバドル国境へ向かう。標高の高いアンティグアやグァテマラシティでさえかなり暑かったが、エル・サルバドルへ近づくほど標高が下がるので更に気温が上がる。まるでドライヤーの風が当たっているみたいで、走っていても熱気で汗が流れるほど。

 昼頃になってエル・サルバドル国境に来た。グァテマラ側イミグレーションでパスポートに出国スタンプ(Q5)を押してもらった後、ペルミソのキャンセル(Q10)をする。ここでもギアがまとわりついてきて、ガイドさせろとしつこい。イミグレの係官もギアを通さずに手続きしようとするとわざと難癖つけてきて、時間ばかりかかる。最後にバイクと書類の照合をするのだが、わざとらしくゆっくりながめているのだ。  ギアが「10ケツァル賄賂やったらすべて丸く収まる」というので細かいお金でパスポートに挟んでやると、係官はおどおどした手つきで机の中に賄賂を隠した。係官はみんな貧相な顔をして痩せ細り、よれよれの服を着ているので見ていて気の毒になる。
(ちゃんと給料やってるのかよ、グァテマラ政府!)最後、ギアにチップQ20やっておしまい。

 次にエル・サルバドル側へ。意外にもエルサルバドル側は手続きが事務的でスムーズ。係官や警察もきれいな服装をしていた。
 最初にイミグレーションでトランジットビザ(90日滞在可)をもらった後、ポリスへ行き、車輌とレジストレーションの書類を照合、係りのサインをもらう。次にADUANAでイングレッソをタイプしてもらい10colones払う。イングレッソをもって再びイミグレへ行きパスポートにスタンプをもらい、最後にポリスで、ノートに書類の内容を記入され終了。

 CA1号線は所々でこぼこしているものの全体的に走りやすい。途中で寄ったテキサコのガソリンスタンドは驚くほど綺麗で、ミニマートの品揃えもアメリカ並に良かった。国境か100km少し走ったところで首都サン・サルバドルにさしかかる。 

 サン・サルバドルは最近まで内戦が続いていたと思えない程度に落ち着いているが、町の至る所で自動小銃を持った警備員が立っている。何気なく町を歩く通行人でさえも腰に拳銃を装備しているところを見ると、治安はそれなりに悪いのだろうか。
 この町はホテルが少なく、あっても看板が小さいので見つけるのが困難。また、安宿は旧市街のいかにも治安の悪そうな場所にあるので、バイクの安全を考えると躊躇する。こうしてあっちこち探し回っているうちに日が暮れてしまった。エル・サルバドルで夜走り回るなんていかにも危なっかしいと思うが、新市街では小さな子供ををつ連れた家族連れが歩いていたりする。エル・サルバドルといえどもすべての場所が危険というわけではないのだろう。
 結局、新市街に一泊32ドルのホテルを見つけ部屋を取った。ちょっと高くついたが安全を優先すると仕方ないだろう。外では拳銃とショットガンを持ったガードマンが一晩中警備していた。

走行距離:351km(Guatemala206km)(Total 9,727km)
宿:350colones
出費:食費 Q40
   グァテマラ出国 Q5, Q10
   エル・サルバドル入国 10colones

両替 Q400 -> C540

1998年4月21日

San Salvador-Santa Rosa de Copan

 サン・サルバドルからホンジュラス国境をめざし北へ走る。街の外輪部分はスラムのような掘ったて小屋が連なっており、貧しい人々が空腹をしのいでいる様子だ。
 北へ延びる道CA4は部分的に舗装路となっているが、半分以上は工事中のダートロード。大型トラックがひっきりなしに走っているので砂埃を浴びながら走った。

 約100km走りホンジュラス国境El Poy着。エル・サルバドルの出国手続きは午前中に終わったものの、いざホンジュラスで入国手続きというところでシエスタの時間に入ってしまった。ラテン世界では昼1時頃から3時くらいまで、2時間ほどの休憩(シエスタ)をとる。この時間は飲食業以外、銀行や商店をはじめ多くの店がシャッターを下ろし休憩に入ってしまう。国境の役人もみんな休憩に行ってしまうことが多いので、この時間に行動するのはは避けるべきものなのだ。やはりバイクの入国書類を作る係員が食事に行ってしまったとのことで、午後二時半まで二時間も待たされてしまった。

 ホンジュラスの舗装道路はきれいだ。時々舗装が剥がれている部分はあるが、グァテマラのようにつぎはぎを重ねてボコボコになっているところがほとんど無い。路肩部分もしっかりと舗装されている。メキシコのように路肩が無くて崖になっている部分がほとんど無いので安心だ。

 この日はSanta Rosaの町で一泊60Lps(約600円)の安宿に泊まったのだが、部屋の中は蚊の巣窟だった。近くの雑貨店で蚊取り線香を買ったものの、十巻きで6Lps(約60円)のホンジュラス製蚊取り線香は、ただ煙臭いだけでぜんぜん効き目がなかった。蚊は平気で煙の中を行き来しているのだ。

走行距離:211km(El Salvador 100km)(Total 9,938km)
宿:70colones
出費:食費 45Lps, 35Lps
   ガソリン20colones(1.5galons)
   エル・サルバドル出国 10colones
   ホンジュラス入国 US$5, 50Lps, 25Lps, 277.Lps
   蚊取り線香 6Lps
   

両替 TC $100 -> 1310Lps (Banoccidente 含手数料5Lps)

1998年4月22日

Ruinas de Copan

 Santa Rosaの町からCopan遺跡まで片道100km強。荷物を宿に置いて身軽な格好で出かけた。行程のほとんどは山道だが、よく整備された舗装路なので快適に走ることができるた。隣国のグァテマラやエル・サルバドルとは比べものにならないほど。
 このあたりは豊かな酪農地帯で、あたり一面青々とした牧草が茂っている。道ばたの家々は土のぬり壁が多く、屋根はわら葺き。放し飼いの鶏が餌をついばみ、馬に乗った牧童が牛の群を追う。

 コパンの遺跡はグァテマラ国境から近いこともあり、グァテマラからのツアー客の方が多いらしい。コパンの町から遺跡まで1kmほど歩道が延びており、人が結構歩いている。遺跡入り口にバイクを止め、遺跡群の中へ入場。
 遺跡を見る目があれば一日中いても飽きないのだろうが、2時間ほど歩き回ったところでひと通りまわってしまう。
 これまでメキシコのテオティワカンやグァテマラのティカルなど見てきたが、コパン遺跡は石柱の造りがより繊細だ。

走行距離:217km(Total 10,115km)
宿:
出費:昼食 79Lps 夕食 38Lps
   Ruinas de Copan 入場料 130Lps
   切手 60Lps 絵はがき10枚 50Lps

1998年4月23日

Santa Rosa de Copan-Tegcigalpa-Choluteca

 サンタ・ロサから44km、グラシアスの村から舗装路が途切れダートとなった。流水跡が縦横に走り結構荒れている。アップダウンも激しくまるで日本の林道そっくり。
 そんな道を走っているとき、自転車で北中南米縦断中のドイツ人トーマス氏に会った。彼は去年の6月にアラスカのプルドーベイを出発して以来すでに一年近く旅を続けている。更に南下を続け12月には南米最南端の町ウシュアイアにたどり着く予定という。
 しかしまったく気が遠くなる話だ。これまでも何人か北中南米縦断の自転車野郎に会ってきたが、バイクで走っても長い二つの大陸を人力で走破しようとは!
 固い握手をかわし、(ドイツ人は握手するとき握りが強いのだ)「また会おう!」と声を掛け合い別れた。

 80km続いたダートロードを抜け、舗装路を更に東へ走る。首都テグシガルパまでいくつかの峠を越えるのだが、小雨が降っており中米とは思えないほど気温が下がった。
 テグシガルパは山間の谷間にある町で、坂道が多い。一国の首都にしてはあまりに貧弱、町を構成する建物も灰色に汚れ貧相だ。アメリカのファーストフードチェーン「バーガーキング」で昼食後、早々に町を去る。
 今日はそのまま更に130km走りチョルテカの町でストップ、町の中心部のホテルへチェックイン。エアコン、お湯シャワー付の部屋は高いが、水シャワーでエアコン無しの安い部屋を借りる。

走行距離:481km(Total 10,596km)
宿:172Lps
出費:昼食 49Lps 夕食 53Lps
   ガソリン 69Lps(2.5gallones), 77Lps(3.05gallones)

1998年4月24日

Choluteca

 チョルテカの町で一日過ごした。標高の低いこの町はとにかく暑く、日中の気温が35度を越えている。

 ホテルのレセプションにイギリス人のおじいさんがいて、久しぶりに英語でお話した。スペイン語は旅行会話程度しかできないのでホンジュラスに入国以来、しばらく内容のある話をしていなかったのだ。
 ホンジュラスのインターネット事情について話題になったが、ここチョルテカにはまだプロバイダーのAPがないので100km以上離れたテグシガルパに繋がなければならないらしい。ここのプロバイダーの接続料金は一ヶ月30時間まで利用できて30ドルとのこと。おじいさんは早くインターネットを利用したいが市外通話があまりにも高いのでまだ利用できないと残念そうに言っていた。
 郵便局の場所を訊くと、丁寧に教えてくれた。ラテンアメリカでは抽象的にものを考えることができない人が多く、地図を読めない、書けない人が珍しくないのだが、そこはさすがイギリス人、完璧な地図を書いてくれた。

 長旅をして使い終わったガイドブックや地図など、捨てるには惜しいが持って歩くにも重量がかさむものは日本の実家へ送り返すことになる。
 一週間前滞在したグァテマラの郵便局では航空便のみしか扱っておらず、インディヘナの町で買った織物の土産や不要になった本、地図を日本へ送り返すことができずにいた。ホンジュラスは船便を扱っているとのことでここから発送する事にする。しかし郵便局へ行ってみたところ航空便でも船便と料金の差が小さいので結局全部航空便で送ることにした。

走行距離:0km(Total 10,596km)
宿:172Lps
出費:昼食 53Lps 夕食 50Lps
   郵便料金 62.25Lps
   荷物固定用自転車チューブ 29Lps

現金化 TC$50.00 -> 657.50Lps (ホテルで両替)

1998年4月25日

Choluteca-El Espino-Managua-Rivas

 チョルテカから71km、エル・エスピーノからニカラグア国境を越える。例によって国境ではギアを名乗る人が通関の手伝いをかって出てくる。
 何度か中米の国境を越えていると安く速く越境する技術が身に付いてくるもの。ギアの言いなりにならないよう、係官からなめられないようにしなければならないのだが、その結果、国境越えの時はいつも髭ぼうぼう、眉間にしわを寄せ、サングラス常用、いつも眉毛を引きつらせていることになる。

 ニカラグアに入って以来、道ばたでペットを売っている人をたくさん見かける。仔犬、仔猫をはじめ、小鳥、子鹿、アルマジロなど珍しい動物を売っている。

 国境から約245kmで首都マナグアにさしかかる。ガソリンスタンドだけは繁盛しているらしく、併設のコンビニエンスストアはアメリカ並に清潔で品揃えも驚くほど豊富だ。
 しかし、それ以外ぱっとした商店が少なく、もぬけの空になったビルが(暑いけど)寒々とした風景にとけ込んでいる。過去旧ソ連のバックアップを受けた社会主義政党が覇権を握っていた国。町中には「ラダ」など、旧ソ連製の車がけっこう走っている。バスやトラックもブリキのおもちゃをそのまま大きくしたような形、丸みを帯びた特徴のあるソ連製を見かけた。いずれも真っ黒い煙を吐き出しながら亡霊のように走っている。

 マナグアのセントロでは古いカテドラルへ行ってみた。ガイドブックによるとその付近では複数グループのナイフ強盗が出没することになっている。カテドラル前の広場で写真を撮っていると早速三人のニカラグア人に取り囲まれた。しかし取り囲んできたのはナイフを持った族ではなく、小さな女の子たちだった。二人は褐色の肌の子だが、もう一人はスラブ系の顔だちをした白人の女の子。歳は八歳くらいだろうか、かわいい顔しているが「お兄ちゃん、わたしお腹空いてるの。食べ物を買うお金ちょうだい。」と言ってきたので虚しくなった。
 物乞いがいるのはここだけではない。街中あちらこちらの交差点に白人、メスティソ、インディオの子共が物乞いし、裸足で歩き回っているのだ。

 マナグア湖の畔には簡易食堂が十数軒も並んでいるが、どれも屋台に毛が生えたような程度。食事をしようとバイクを止めるが人相の悪い男が駆け寄ってきて、「バイク見張っててやるよ、安心して食事してきな。」という。あとで「見張り料」ゆすってくる気だろう。安心どころか一層不安になったので食事をやめてマナグアの町を出ることにした。本当はこの町で二泊くらいしようと思ったのだがもうどうでもよくなったのだ。

 更に南へ120km走りRivasの町で宿に入る。さあ、明日はコスタリカだ。明日国境を越えれば、ニカラグアも一泊二日で抜ける事になるだろう。ニカラグアのビザ取得に30ドルもかかったのがばかばかしい。

走行距離:444km(Total 11,040km)
宿:100cordbas oro
出費:食費 90cordobas oro
   ホンジュラス出国 27Lps+US$2
   ニカラグア入国 160cordobas oro

両替 770Lps -> 540cordobas oro (国境)
    TC$50 -> 400cordobas oro (国境)


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