1998年9月14日 Uyuni-Potosi-Sucre
ウユニからポトシまで約 220kmは、すべて未舗装だが走りやすいダート。ポトシ〜スークレ間はよく整備された舗装道路。
首都としての機能はほとんどラパスに移っているが、公式にはスークレがボリビアの首都である。やはり一国の首都として落ち着いた雰囲気があり、町並みがきれい。
走行距離:370km(Total 23,932km)
宿: Hostal San Francisco 55bolivianos
出費:食費 48bolivianos
ガソリン 25bolivianos(10L)
ガソリン 19.5bolivianos(8L)
インターネットカフェ 5bolivianos(ウユニ)
インターネットカフェ 25bolivianos(スークレ)
1998年9月15日
Sucre
ここスークレをはじめ、ボリビア各地ではでは日本から輸入した中古車を多く見かける事ができる。商用車として利用されていたものがそのまま走っているので、ボディに「○×工務店」、「△□電機株式会社」などと書かれた車を頻繁に見かける。他にホテルの送迎に使われていたマイクロバス、幼稚園バスもよく見られる。
また、日本ではレースの時にバイクを運んでいたと思われるトランポがコレクティーボとして利用され、「MFJ」、「WAKO'S」などのステッカーが張られたハイエースをよく見かけた。
四輪車の他に中古バイクも多く見ることができた。ステッカーなど張り付けたままなので、「風魔プラス1」、「ラフ&ロード」など懐かしい日本語のステッカーが見られる。
車種は「Suzuki TS200R」、「Kawasaki KDX250R」など日本では不人気車だったものが多いが、その他「DT200R」、「XLR250R」など爆発的に売れたバイクも多い。そして驚いたことに日本では希少な「XL250パリダカ」も既に十台以上見た。無給油区間の長いボリビアでは燃料タンク容量の多いこのバイクが重宝されるのだろうか。公道仕様のトレール車以外に、バリバリのモトクロッサーもナンバープレートをつけて道を走っているところが凄い。
そういえば昔、僕のCRM250Rが盗まれてしまったのだが、あのバイクも輸出されて南米のどこかを走っているかもしれない。
走行距離:0km(Total 23,932km)
宿: Hostal San Francisco 55bolivianos
出費:食費 39bolivianos
インターネットカフェ 15bolivianos
1998年9月16日
Sucre-Cochabamba
スークレの町を出る前にオイルを交換。ここでラミロさんという人に会った。彼はボリビアでエンデューロレースやラリーを主催しているそうだ。そして自身もCR、RMXなどに乗るオフロードライダーである。
短い時間話しただけだったが、カセットテープやテレホンカードをくれたり、町の出口まで車で先導してくれたりと色々お世話になった。
もっと色々話を聞きたかったがメールアドレスを交換しお別れ。インターネットがあればバーチャル空間でいつでも会えるのだ。
スークレから北へ向かう道は200km以上ダートロードが続いた。一国の首都からラパスやサンタクルスなど商業都市に出るのに未舗装路を走らなければならないところがボリビアらしい。そのためここのエグゼクティブたちはベンツに乗らず、ランクルやモンテロ(日本名パジェロ)などに乗っている。
夕方コチャバンバ着。ここはボリビアで三番目に大きな町だそうで、予想外に開けた都会だ。町の北側には近代的な高層ビルが建ち並び、美しい木立のある公園も広がっている。
そしてラパスやウユニより標高が低いので暖かい。日中の気温は30度近くまであがり、夜間でも毛布一枚で眠れるほど。居心地がよいので滞在一日の予定が三日にまでのびてしまった。
走行距離:371km(Total 24,303km)
宿: 25bolivianos
出費:食費 18bolivianos
ガソリン 27.5bolivianos(11L)
オイル 50bolivianos(2qt)
1998年9月17日
Cochabamba
キャンプ用品屋へ行って蚊帳、防虫剤を購入。これらはアマゾンなどセルバ地帯で必要となるのだが、マラリアやデング熱予防は蚊に刺されないようにすることから始まる。
走行距離:0km(Total 24,303km)
宿: 25bolivianos
出費:食費 43bolivianos
蚊帳 95bolivianos
防虫剤 28bolivianos
1998年9月18日
Cochabamba
ブラジル領事館へ出向き、ビザの申請をしようとしたのだが、発行まで48時間かかるとのこと。48時間後は日曜日で休業なので実質月曜日の発行となる。しかし月曜日までコチャバンバに滞在する予定がないのでここで取得するのはやめてラパスに戻った時に取ることにした。
ブラジルビザ取得に必要なものは写真二枚、イエローカード、出国の航空チケット、トラベラーズチェックなどのお金、それと社員証、又は学生証、クレジットカードなど。社会的身分の無い者は入れてやらないという姿勢がうかがえ、結構厳しいものがあった。
走行距離:0km(Total 24,303km)
宿: 25bolivianos
出費:食費 48bolivianos
インターネットカフェ 15bolivianos
1998年9月19日(土曜日)
Cochabamba-La Paz
朝出発して市街地を抜けようとしていたとき、リヤタイヤがぶれだした。路肩に止まって調べてみるとタイヤに釘が刺さってパンクしている。今回の旅では初めてのパンクだ。
大通りでパンク修理するのは目立って危ないので、ホテル近くにあったバイク屋まで戻り、店の前でパンク修理させてもらう。釘を抜いてチューブを取り出すと釘が刺さったと思われる部分が4センチの長さで裂けていた。
ほとんど修復不可能なので新しいチューブを買う。しかし在庫があるのは台湾製「KENDA」の3.00-18のみ。このバイクのタイヤサイズは4.60-18なのでひとまわり細いが無いよりましなので入れ替える。チューブは20ボリビアーノス(約US$4)。
真っ直ぐラパスへ走ろうと思ったのだが、途中道路工事を迂回するときに道に迷い、50kmほどミスコースしてしまった。
コチャバンバからラパスまではほとんど舗装道路が続いている。しかし標高4,000m以上の高所を通っているためエンジンがふけない。このあたりは無理に追い越しするトラックが多いらしく、峠道のワインディングのところで大型トレーラーが転覆しているのを二回も見た。
走行距離:467km(Total 24,770km)
宿: US$5+駐車料金US$0.5
出費:食費 26bolivianos
ガソリン 20bolivianos(8..4L)
両替 TC US$50 -> 276.5bolivianos
1998年9月20〜21日
La Paz
バイクのリペア、掃除、洗濯。
走行距離:0km(Total 24,770km)
宿: US$5+駐車料金US$0.5 x2
出費:食費 75bolivianos
1998年9月22日
La Paz
領事館へ出向きブラジルビザを申請。必要なものは残存期間六ヶ月以上のパスポート、黄熱病予防接種証明証(通称イエローカード)のコピー、顔写真一枚、ブラジル出国用の航空券、トラベラーズチェック、又はクレジットカードのコピー、ビザ申請用紙。
申請料50ドルは領事館から徒歩20分ほど離れた「Banco do Brazil」(ブラジル銀行)で入金する。昨日は銀行がシエスタの時間に入ってしまい閉店していたことと、領事館の受付時間が午後一時までだったため、用を果たせなかった。
夜、宿に泊まっているいつものメンバーでコロッケを作る。日本の食材を探すのが難しいボリビアでは、パン粉から作らなければならない。しかし試行錯誤、みんなで作っている時間が二番目に楽しい。(一番楽しいのは食べている時)
南米でコロッケを作ることになるとは予想もできなかったが、出来上がりのコロッケはこれまで作ってきた料理のなかでもかなり上位にランクする味だった。
走行距離:0km(Total 24,770km)
宿: US$5+駐車料金US$0.5
出費:食費 17bolivianos
ブラジルビザ申請料 US$50
両替 Citi US$100
1998年9月23日
La Paz
バイク屋へ行ってチューブと中古のウインカーを買う。店員に「チューブ」と言っても通じなかったが、スペイン語的な発音で「トゥベ」と言うと通じた。正しいスペイン語で「Camara」、又は「Neumatico」というらしい。
ここでフランス人バイク旅行者に会った。フェリーぺという名の彼は彼女と共に南米大陸の旅をはじめた。バイクはそれぞれXL600、XL250。出発地は南米大陸東北分部の仏領ギアナ。ギアナは南米大陸の中にあってフランス領なので言葉も通じ準備するには都合のいい場所なのだろう。そこからアマゾン地帯を縦断後、ボリビアへ入国、ウユニやラグナベルデを走った後、ラパスへやって来た。
このあとペルー、エクアドル、コロンビアを旅し、最後はバイクを売って帰国するという。驚いたのは彼らのバイクがすさまじくボロッちいこと。タンクに段ボールが張り付けてあり見るからに頼りない。カメラを持っていなかったのが残念だが、クスコへ行くタイミングが同じなのでまた会えるかもしれない。
「ボン・ボヤージ!」 握手して再会を約束。
夕食に手羽先の唐揚げを作る。
走行距離:21km(Total 24,791km)
宿: US$5+駐車料金US$0.5
出費:食費 16bolivianos
タイヤチューブ 60bolivianos
ウインカー 20bolivianos
写真現像・プリント料 63bolivianos
1998年9月24日
La Paz
ブラジル領事館へ行き、入国ビザを受け取る。ブラジルのビザそのものはパスポートにステッカーと50ドルの印紙が張り付けられたもの。有効期限は最初の入国日から90日間。マルチプルエントリーが可能なので期間内なら何度でも出入国を繰り返すことが出来る。
既に十数カ国を訪れているのでパスポートはもう中南米各国の入国・出国スタンプやビザでいっぱいだ。
夕食に親子丼を作る。
走行距離:8km(Total 24,799km)
宿: US$5+駐車料金US$0.5
出費:食費 26bolivianos
Citi US$100
1998年9月25〜28日(金〜月曜日)
La Paz
トキゲストハウスに滞在している間、同宿のメンバーで手分けしてメルカドへ買い物へ行き、共同で夕食を作る日々が続いた。
ラパスは標高が4,000メートル近くあり、気圧が低いためお湯の沸点が低い。そのため、おいしいご飯を炊いたりスパゲッティをゆでたりする時には圧力鍋が必要。その点、トキゲストハウスの台所には圧力鍋が標準装備されているので大助かり。
25日、ハンバーグを作る。
26日、オムライス作る。
27日、スパゲッティ・ミートソース、チキンカツを作る。
28日、コーンチーズコロッケを作る。
走行距離:6km(Total 24,805km)
宿: US$5+駐車料金US$0.5
出費:食費 84bolivianos(四日分)
ガソリン 20bolivianos(8.3L)
両替 TC/US$100 -> 557bolivianos
1998年9月29日(火曜日)
La Paz-Puno
みんなに見送られてラパスを出発。今日の目的地プーノまでは約300km。半分以上は以前に通った道と同じなので面白みがない。ラパスからペルー国境までは約160km、コパカバーナ経由でカサニの国境を越える。しかし、この国境にイミグレ、両替屋などがあり人の入国手続きはできるが、税関では正式な通行許可証は作ってもらうことができず(仮の許可証を作成してくれるだけ)、係官が言うにはプーノの税関で正式な許可証を作ってもらう必要があるらしい。しかし、プーノの手前9km地点にまた仮の税関と検問があり、そこから実際に書類手続きするプーノ市内の税関までは係員が同行しなければならない規則があるらしい。
そこへ行ってみて驚いたのだが、同行する係員は車もバイクも持っていない。いったい9kmもどうやって同行するのだろうと思ったが、なんと係員は僕のバイクに乗って行くと言い出した。もちろんバイクは荷物満載なのでもう一人乗るスペースなんて残っていない。荷物を一時的に置いて行けと言うが、盗まれる恐れがあるので置いて行くわけにはいかない。
「なぜ9kmも同行する必要があるのに車もバイクもないんだ?」と訊くが、「無いものはない」と突っぱねる。「一人で行ってはだめなのか?」と訊くが「規則なので絶対だめだ」と言う。30分ほど押し問答した末、埒があかなくなり無理矢理二人乗りすることにした。シートの上に置いてあるバッグをリヤバックの上に積み上げ、バックパックをタンクの上に置いたらなんとか二人乗りできるスペースが空いた。こうして無理矢理二人乗りして走った9kmはラパスから二百数十キロの道のりより長く感じた。
税関で書類を作成してもらうのに30分ほどかかったが、作成料は無料。エクアドル国境のツンベスで作成したときは15.5ソル(約5ドル)徴収されたので少しは得した気分。しかし、9km手前の検問所にいた係員がまたバイクで元の場所に送ってくれと言い出した。また人を乗せて往復するのはたまらないので、仕方なく10ソル(約3.3ドル)出してタクシーで帰ってもらう。この非効率は何なのだろう?怒りを通り越して呆れてしまった。
プーノには数え切れないほどのホテルがあるのだが、その中のひとつ「ホテル・セントラル」に入ったらどこかで見かけた二台のバイクを発見した。なんと、原付で北中南米を走っている藤原夫婦のバイクだ。偶然とはいえ恐ろしい、こんな所で藤原さんが泊まっているホテルを見つけるとは!
本人たちはその時外出しているらしく留守、バイクは中庭の奥に置いてあったのだが、彼らのバイクと一緒に並べ部屋でくつろいでいると、しばらく経って外から日本語が聞こえてきた。「アメリカナンバーのバイクだ!?」「グァテマラのステッカーが貼ってある!?」僕のバイクを見て驚いている様子。すかさず「藤原さんこんにちは!」と言って彼らの前に出て行くと更に驚いていた。
とうとう発見した。メキシコシティで彼らのバイクだけを見て以来約五ヶ月間、(当時彼らはバイクを宿に預けて一時帰国していた) いや、僕が16歳の時、バイク雑誌「アウトライダー」に連載されていた彼のレポートを読んで以来十年の歳月が流れている。ついに今日、長年探していた人物を発見したのだ。(ツチノコを発見したよりも嬉しい)
考えてみれば僕が海外ツーリングをはじめたきっかけというのも、藤原さんのオーストラリアツーリングレポートを読んだのが始まりだ。彼はいつも50ccの原付バイクで世界を旅しているのだが、既に四大陸走破し今回は最後の大陸、南米大陸を妻の浩子さんとともに走っている。原付で旅しようとは思わなかったが藤原さんの旅行記に触発されたのは確か。言ってみれば海外ツーリングの師のような存在だ。今日と明日の短い時間だったが色々話を聞かせてもらい大変勇気づけられた。
走行距離:295km(Total 25,100km)
宿: Hotel Central 12soles
出費:食費 8soles
ボリビア出国 20bolivianos
ペルー一時輸入許可証 10soles
1998年9月30日(水曜日)
Puno
藤原さんとチチカカ湖へ釣りに行くことになった。バイク二台で湖まで走ったのだが、藤原さんのカブはポコポコいいながら最高速度40kmほどで走る。(ここは4000m近い高原地帯なので非力な原付バイクが更にパワーダウンしている)
後をついて行くと350ccのDRは二速オートマチックだ。サスストロークの短いカブは小さなギャップでもかなりショックが伝わるらしい。自分が普段無視しているような穴ぼこでも藤原さんは避けて走っている。途中線路をまたいだのだが、カブは「ガツン」と大きな音を立てて通過した。後ろから見ていると実に健気、北米のアラスカから走ってきたと思うと気が遠くなってしまう。
チチカカ湖畔にバイクを置き、ボートで沖まで出る。湖岸付近は藻が多く抵抗が大きい。船頭が人力で船を進めるのだが、竿で湖底を突いて進むボートはのろのと進んだ。水深20mの所まで出て釣り糸を垂れたが釣れる気配がないのでウロス島に上陸、焼きたてのぺへレイを食べる。ぺへレイとはチチカカ湖産の魚で味は淡泊、淡水魚だが癖がなくおいしい。
一緒にボートに乗ってついてきたダビッドさん(生物学者)はこの辺り一帯を調査するレンジャーでもある。ボートに乗っている間や島に上陸している時、親切に水鳥やアルチプラノ一帯に住む動物の説明を訊かせてくれた。
走行距離:13km(Total 25,113km)
宿: Hotel Central 12soles
出費:食費 12soles
ボート 15soles
1998年10月1日(木曜日)
Puno-Cusco
朝、藤原さん夫婦を見送る。南米最南端の町ウシュアイアに到着する時期が同じなのでまた会えるだろう。固い握手をかわし、再会を約束してお別れ。
二台のカブはポコポコと去っていった。旅の安全を願う。
プーノ近くのティジュスタニ遺跡を見学した後、一ヶ月前走った道をクスコまで戻った。道中、峠付近の天気が悪く時々小雨に降られる。既に九月も終わり、雨期も近いのだろう。
走行距離462km(Total 25,575km)
宿: Hostal Felix 10soles
出費:食費 19soles
ガソリン 12soles (2G)
オカリナ、古いコイン 4soles
両替 TC/US$100 -> 306soles
1998年10月2〜3日(金〜土曜日)
Cusco
これからアマゾン地帯に入ってしまうとまともな食事は期待できないだろうと思い、アイスクリームやチョコレートケーキ、中華料理などを食べたりして栄養をつける。
走行距離0km(Total 25,575km)
宿: Hostal Felix 10soles x2
出費:食費 38soles
郵便料金 49soles (梱包料3soles含む) |