Uyuni-Laguna Verde-Iquique(Chile)
ウユニ〜ラグナベルデ〜イキケ(チリ)
Salar de Uyuni ウユニ塩湖 - 標高3,665メートルのドライレイク
![]() 砂嵐で視界が10メートル以下になる。
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1998年9月6日 La Paz-Oruro-Uyuni オルロから約 100kmはきれいな舗装道路が続いたが、やがて舗装道路は途切れ、砂の深いピストとなった。砂漠の中に四輪の轍が枝分かれして走っているので、どれが本線かわからない場合が多い。地図とコンパスを見ながら絶えず方向を確認していないととんでもないところに行ってしまいそう。 地平線の彼方に黄色い空が見える。やがて西から強風が吹き荒れ砂嵐となった。細かい砂が舞い上がり、昼間なのに薄暗くなる。視界は平均 50メートル程度だろうか、悪いときは視界が数十センチになるので前に進むこともできない。口の中がジャリジャリし、砂がゴーグルの隙間から目に入る。全身砂まみれ。 走行距離:607km(21,918km) 1998年9月7日 Uyuni-Laguna Colorada ドライレイクを横断する道はウユニから 30kmほど北のコルチャニ村から出ているが、道路を無視してウユニから直接ドライレイクの中に突き進む。 ラグナベルデへの道はあって無いようなもの。砂漠の中に四輪の轍が無数に延びている。線路を横切りカルチャ村で給油した後、サンアグスチン村、アロータ村を経由して更に南を目指す。道中多くの湖があり、それぞれピンクフラミンゴが群れている。 今日の予定ではラグナベルデまで行くつもりだったが、砂の深い砂漠道のため思ったより距離が延びない。その上何度も道に迷い、いちいち地図とGPSレシーバーを出し現在地を確認しながら走っているので、進むのにやたら時間がかかる。結局今日はラグナベルデの
100km手前にあるラグナコロラダにさえたどり着かぬうちに日が沈んでしまった。 走行距離:335km(22,253km) 1998年9月8日 Laguna Colorada-Laguna Verde 朝方陽が昇ってテント内が暖まる頃、一時間ほど浅い眠りに就いた。その後起きて気がつくとボトル入りの飲み水がガチガチに凍っている。寝袋から這い出してテントを撤収した頃には既に陽が頭上に昇り、時刻も十時を過ぎていた。 火山の噴火でできた奇岩「アルボル・デ・ピエドラ」を通り、更に進むと水面が赤い湖に出た。「ラグナコロラダ」である。塩分が結晶してできた白と湖面の赤が不思議な風景を作り出している。この湖の畔に数軒の宿があり、食堂で温かいスープを飲むことができた。 このあたり一帯は火山活動が続いているので各所で温泉がわいている。気温が低いので温泉に飛び込みたくなるが、そのほとんどは泥の熱湯だ。 山を越え丘を越え、道無き道をしばらく走りラグナベルデ着。所々真っ白い塩の浮いている薄緑色の湖にフラミンゴが数十羽群れている。言葉では表現できない美しさだ。写真を撮ろうにもあまりにもスケールが大きいためフレームに入りきらない。そういえば南米を二年以上走っている水野さんも南米で一番美しい場所だと絶賛していたっけ。 ラグナベルデの湖畔にコメドール(食堂)があった。そして粗末ながらもホテルがある。今日はここで一泊過ごす事にしようか。 ラグナベルデは昨日キャンプしたところよりも標高が高いので更に寒い。外は強風が吹き荒れ、すきま風が部屋に吹き込み、夜間氷点下20度近くまで冷え込んだ。宿のベッドには毛布が五枚かかっていたが、寝袋二枚重ねの上にすべての毛布を掛けて寝たがそれでも寒かった。 走行距離:148km(22,401km) 1998年9月9日 Lagna Verde-San Pedro de Atacama-Iquique 朝、エンジンをかけようとするのだがオイル粘度が硬くなっているようでなかなか始動しない。それでセルを何度も回しているうちに終いにはセルが回らないほどバッテリーが弱ってしまった。氷点下20度の低温に一晩さらした結果だ。これでは押しがけしても無駄。 ここからチリ国境までは僅か 7kmほど。当初、ラグナベルデからボリビア国内を東北の方へ進もうと考えていたが、この寒さと飢え、ガソリン補給の問題があり予定を変えて一度チリへ抜ける事にした。しかしここからチリへ入国する予定ではなかったのでウユニのイミグレで出手続きしていないのが難だ。このまま国境を越えると不法出国となってしまう。 罪悪感を背負いつつ、チリ〜ボリビア国境の峠に至る。国境には石造りの小屋があるが警備兵も誰もいないのでそのまま越境。チリに入って十キロほど下ると舗装路となった。こんな山の中まで舗装道路を作っていることが驚きだ。しかもガードレールや警告標識までついている。国力の違いなのだろうが、チリという国は予想以上に道路整備が進んでいるらしい。 無人の国境を越えて37km先、斜面をぐんぐん下り、サンペドロデアタカマにたどり着いた。この町は標高
2,500m、気温が高く暖かい。 サンペドロの町でドルをチリの通貨「ペソ」に両替した後、そのまま海岸部へ降りる道をひた走る。広大なアタカマ砂漠の真ん中にきれいな舗装道路が真っ直ぐ続いている。カマラの町を経由してそのまま更に海岸の港町「トコピージャ」へ。海を見るのは久しぶりだ。海抜ゼロメートル近くまで降りてきたというのに寒流の影響で気温が低く、海霧がかかっている。太平洋に夕日が沈みつつある時刻だが、陽が霧に隠れて見えない。 走行距離:612km(23,013km) 両替 TC/US$50 => 21,250pesos 1998年9月10日 Iquique 港町イキケは免税の町として知られている。各国から輸入製品が入り、街の一角にはそれらを扱う店が集中している場所がある。カメラとタイヤを求めてその免税店街(ZOFRI)へ繰り出した。チリでは乗り合いタクシーが走っていて、交差点で行き先の書かれたタクシーを拾えば市内をUS$0.50程度で移動することができる。 カメラを扱っている店だけでも十数店あるのだが、ある店ではなんと、今まで使っていたがペルー・ボリビア国境の道で故障したカメラと同じ型のカメラ(Pentax
Espio 928)がUS$190で売られていた。日本で買ったときは50,000円も出したのにここでは半額以下で買えるのだ。迷わず購入。 午後になってホテルへ帰り、ガレージでタイヤを交換した。これからアマゾン横断に向け、バイクのコンディションを整えているのだが、今回フロントタイヤは泥はけ性の良い「MT-16ガラクロス」を選んだ。「MT-21」は耐久性があるが泥地では目詰まりしやすい。 走行距離:0km(23,013km) 両替 100,000pesos(Citi) 1998年9月11日 Iquique-Cancosa-Llica パンアメリカンハイウェイを北へ 30分ほど走ったところから東にそれ、アタカマ砂漠を横切りにかかる。海抜近くから標高4,000メートルまで一気に駆け上がるが、高山病の症状がほとんどでない。一ヶ月以上高所にいたので体がまだ慣れているのだろう。 今回はやむを得ず不法入国してしまったので、ボリビアに戻るときもメジャーな国境を通らず、人のいないマイナーな国境を通る必要があった。ウユニ塩湖の西に出る峠を探し、ほとんど廃道になったような道をつたって越境。チリ側、国境近くの村「カンコーサ」もほとんどゴーストタウンのように廃れ、確認できた範囲では老夫婦が細々と暮らしているだけのようだった。ボリビア側の最初の村「ベジャビスタ」では軍の検問があったがイキケから来たなんて言うと面倒なことになるので、 そこからウユニ塩湖西端の村「リカ」に向かう道で日が暮れてしまった。名前は知らないが、ひときわ明るい星が進行方向である東の空の輝いていた。まるで自分を誘導してくれているかのよう。道があって無いような砂漠の中を星でナビゲーションしながら村にたどり着く。 走行距離:355km(チリ282km,ボリビア73km)(Total
23,368km) 1998年9月12日 Llica-Isla de pescado-Uyuni 燃料屋でバケツに汲んできてもらったガソリンを給油した後、リカから再びウユニ塩湖に入る。このドライレイクの真ん中辺には「魚島」という山があり、ウユニからのツアーでは必ず立ち寄る名所となっている。GPSレシーバーを使い、約80km轍も何もない所を走り島に到着。島には高さ五メートル以上のサボテンが密生し、不思議な風景。 昼過ぎにウユニ着。驚いたことにこんな辺境にある町でさえもインターネットが利用できる施設があった。しかも通りの真ん中の中央分離帯にあるところが凄い。PCは二台だけだが、モデムによるダイヤルアップでここから100km以上離れたポトシの町に接続している。通信環境はやはりそれなりで、係員が何度も接続に失敗しながら5〜6回目にしてやっと接続することができた。45分間利用して15ボリビアーノス(約US$3)。 走行距離:194km(Total 23,562km) 両替 10,000pesos => 105bolivianos 1998年9月13日 Uyuni ウユニの町でゆっくり過ごす。しかしウユニは寒い。日中の気温は十度にも満たづ、夜間は氷点下にまで冷え込む。 走行距離:0km(Total 23,562km) |