1998年11月11日(水曜日) Termas de Dayman-Buenos Aires
ウルグアイから国境を越え、再びアルゼンチンへ入国。
ブエノスアイレスの手前数十キロ近くまで走っても国道沿線の景色は相変わらず大草原が続き、首都に近づいている実感がわかない。しかし、アウトピスタの車線が増え車の数が増える頃、急に高層ビルの建ち並ぶ都市エリアに入った。大草原の中に大都市の出現だ。
大都市ではいつもホテル探しに苦労しているのだが、ブエノスアイレスでもその例に漏れず、安くてバイクが置けるホテルを見つけるのが難しい。安そうなホテルを10件以上あたってみるのだがセントロ近くの宿はみんな一泊50ドル以上。たまに20ドル程度のホテルを見つけてもバイクを置けるようなスペースがない。近くの駐車場に置いたとしても一晩10ドル以上課金されるのでは負担が大きい。しかし、そんな中にあって、運良く一泊15ドルの安宿を見つけた。セントロから徒歩20分くらいの場所に位置し、中庭にバイクも置ける。
アルゼンチンでは現地通貨であるペソのほかに米ドルも広く流通し、ガソリンスタンドや小さな商店でも米ドルをそのまま使うことができる。しかしこのホテルの宿泊料を米ドルで払おうとしたのだが、どうしても受け取ってくれなかった。今日はあいにくペソの現金がきれていたので翌日両替して支払うしかないのだが、それを言っても受付のおばさんは宿泊料金前払いでなければ泊めてやらないと突っぱねるのだ。いままで多くのホテルに泊まってきたが、こんな融通の利かないところは初めてだ。仕方なく夜の街をさまよい24時間稼働しているATMを見つけペソの現金を引き出す。あんな融通の利かないホテルに戻りたくなかったが、夜遅く別の安宿を探すのは至って困難。悔しいが元のホテルに戻ることにした。
走行距離554km(ウルグアイ202km)(Total 38,452km)
ホテル: 15pesos
出費:ガソリン US$12 (12.7L)
ガソリン 9.3pesos (9.5L)
有料橋 1.4pesos
1998年11月12日(木曜日)
Buenos Aires
外出からホテルへ帰って部屋の鍵を受け取ろうとしたとき、昨日とは違う係りのオババが出てきて「鍵は出せん、金を払ったら早く出ていけ!」と凄い剣幕で怒りだした。宿泊料金は昨日チェックインしたときに前払いで二泊分払ったのだし、追い出される筋合いもない。
「人違いじゃないか?」と説明するのだが、オババは人の話も聞かずにわけの分からないことばかり言いヒステリーを起こしている。精神病だろうか、どうやら別な宿泊客と僕を間違えているらしい。20分くらい経ってやっと人違いだとわかってくれたのだが、オババは自分の非を認めたものの一言も謝まろうとはしなかった。それどころか最後は捨てぜりふを吐いて鍵を投げてよこした。
ホテルから徒歩一分のところに電話局があった。店内には料金後払いシステムの電話ボックスが数個並んでおり、その一角にはインターネットを利用できるPCも置いてある。インターネット利用料は一分間20センタボ。一時間使うと12ペソ(約1500円)もかかる計算だ。高い割には電話線経由でモデムによるダイヤルアップ接続で通信速度が遅い。
ここで電話のブースにモジュラージャックが付いている電話を発見した。早速自分のPCを繋いでみると一発でインターネットに接続することができた。IBMネットのAPはブエノスアイレスにもあるので市内通話で済むのがありがたい。通話料金は一分5センタボ、一時間利用してもたったの3ペソ(約360円)だ。
一時間以上利用していたのだが、突如電話局の事務員(おばさん)が「インターネットなら店のマシンを使え」とクレームをつけてきた。電話料金を払って利用しているのだから文句を言われる筋合いはないし、自分の契約しているプロバイダーに接続しているので電話会社が損するわけでもない。そこで、店のPCは日本語環境がないので日本語は文字化けしてしまうことや、IBMネットのAPを経由して接続しないと自分のFTPサーバーにログインできないことを説明するが、「ダメなものはダメ!」と頑固一点張り。自分のパソコンを接続してはいけないだなんてどういう根拠があって言っているのだろう。はたしてこの事務員はインターネットのことをどれだけわかっているというのだろうか。
ホテル従業員の例のようにアルゼンチンのオババというのはとことん頑固なのが多く、なにをどう説明してみても埒があかないことが多い。馬鹿で無知なくせに持論を振りかざすので手に負えないのだ。
アルゼンチン人、特にブエノスアイレスの人間というのは傲慢で鼻が高く、人を馬鹿にした態度をとる人ばかり。何人かの悪い人を見てすべてを判断するのはよくないことかもしれないが、立て続けにいやな目に遭うとどうしても悪いイメージで見てしまう。もう少しブエノスアイレスでゆっくりしようと思っていたのだが、この街にいるのがいやになってきた。
「明日この街を出よう」
走行距離0km(Total 38,452km)
ホテル: 15pesos
出費:インターネットカフェ 8pesos (40min)
キャンプ用品 77pesos
フィルム 36pesos
電話 5pesos
1998年11月13日(金曜日)
Buenos Aires-Tres Arroyos
朝、再び電話局へ出向きメールなどの送信。アルゼンチンではほとんどの電話局にインターネット用の端末が用意されているので便利だが、一分20センタボ(約25円)と高いのが残念。
ブエノスアイレスから300kmほど南下した路上で北中南米縦断中の古川さんに会った。ラパス、サンパウロにひき続き三度目の再会だ。今回は南米最南端までのルートが同じなのでウシュアイアまで一緒に走る。舗装の直線道路が地平線まで続くような所では古川さんの乗っている大型ツーリングバイク(XTZ660テネレ)が快適そうだ。
走行距離628km(Total 39,080km)
キャンプ: ブッシュキャンプ(無料)
出費:食費 10pesos
ガソリン 12pesos (12.2L)
ガソリン 9pesos (8.8L)
インターネットカフェ 5pesos
有料道路 2pesos,0.4pesos
1998年11月14日(土曜日)
Tres Arroyos-Sierra Grande
大平原の中に山塊があり、その山間に町がある。その名も「シェラグランデ」(大山脈)。特に何があるわけでもない街だが、隣の町と100km以上離れているのでホテルが数件並ぶ。
オートモービルクラブの裏に無料のキャンプ場を見つけ、テント泊。
走行距離647km(Total 39,734km)
キャンプ: オートモービルクラブ(無料)
出費:食費 13pesos
ガソリン 7pesos (7L)
ガソリン 16pesos (16.2L)[燃費25km/L]
1998年11月15日(日曜日)
Sierra Grande-Valdes-Puerto Madryn
国道三号線を外れ、野生のアシカ、ゾウアザラシ、マゼランペンギン、クジラなどが生息するバルデス半島を訪れた。半島入り口には博物館があり、クジラの骨格標本、陸上動物の剥製など展示されている。半島一帯のの海岸部は絶壁となっているが、あるところでは崖下をのぞくと砂浜に数十、数百のゾウアザラシが見えた。体長二メートル以上ものアザラシが砂浜に雑魚寝している景色はなかなかインパクトがある。そのほか別な海岸ではアシカのコロニーやタマゴを暖めているペンギンを見ることができた。季節によってはシャチやクジラも見られるらしい。
走行距離508km(Total 40,242km)
ホテル: ユース 12pesos
出費:食費 15pesos
ガソリン 4pesos (8.4L)
1998年11月16日(月曜日)
Puerto Madryn-Comodoro Rivadavia
アルゼンチンもこのあたりまで南下するとさらに人口密度が希薄となる。隣どうしの町が百数十キロも離れ、その間を結ぶ一本道「ルタ3」が地平線へ向かって延々とのびているだけ。そこを通行する車両のほとんどは物資輸送のトラックばかりで、バイクを見ることはほとんどない。道ばたでは時々羊の群やダチョウの一種「ニャンドゥー」を見るが、それ以外はただ荒野に風がふている。
コモドロリバダビアという町に入った。バルデス半島のあたりでは日中でさえも震えるほど気温が低かったが、さらに南に位置するこの町は意外に暖かかった。
街でキャンプ場を探しているとき、アフリカツインに乗った地元のライダーがキャンプ場まで先導してくれた。少し話をしたのだが、日本では90万円ほどで買うことのできるアフリカツインはアルゼンチンでは200万円の値段が付いているという。ドイツ語ができるのでバイクのパーツはドイツへ発注しているが、話を聞くと日本の価格の二倍以上で購入しているらしい。
今日は海岸に面したキャンプ場で波の音を聞きながら眠る。
走行距離528km(Total 40,770km)
キャンプ場: 5pesos
出費:食費 14pesos
ガソリン 4.9pesos (9.4L)
ガソリン 7.1pesos (12.6L)
ガソリン 5.1pesos (9.8L)
1998年11月17日(火曜日)
Comodoro Rivadavia-Rio Gallegos
「グオオオオオオーーーー、グオォォォォーーーーー」
朝、海獣が吠える声で目を覚ました。テントの外に出て海の方を見てみると、埠頭に停泊しているタグボートの甲板に体長二メートル以上ものアザラシが十頭以上乗っている。よく見るとそのボートの周りでも三十頭以上ものアザラシが泳いでいた。
あんな大きなアザラシが生息しているということは海が豊かな証拠だろう。
走行距離734km(Total 41,504km)
キャンプ場: 5pesos
出費:食費 pesos
ガソリン 4.1pesos (6L)
ガソリン 5.9pesos (7.6L)
ガソリン 6pesos (11.3L)
1998年11月18日(水曜日)
Rio Gallegos-Rio Grande
フエゴ島はチリ領とアルゼンチン領に分かれており、ウシュアイアへ行く道はチリ領を通っているので二度も国境を越えることとなる。バイクの通関を含め、それぞれ通常の出入国手続きが必要なので面倒この上ない。
途中のレストランでガソリンを買い、さらに南への道を進む。このあたりの道は未舗装の道、風がなければただの砂利道だが、風速100km以上の風が吹いているので難易度が上がりおもしろい。時々道から落ちてブッシュにつっこんでしまうが、細かいこと気にせずガタゴト走った。
マゼラン海峡をフェリーで渡る。ついに南米大陸から離れフエゴ島へ渡るときがきたのだ。対岸のフエゴ島までは約20分の航行だ。島に着いても景色はほとんど変わらないが、風がよりいっそう強くなったような気がする。
夜9時頃リオグランデ着。高緯度地方の夏は日が長く、この時間でもまだ太陽が出ている。
ここでふと三年前に白夜の北極圏を走っていた頃を思い出した。カナダ、アラスカそれぞれの北極圏ツンドラ地帯を旅したのだが、北緯70度付近まで行くと完全な白夜になった。幻想的な白い光の荒野を目前に、寝るのが惜しいので夜通し走ったものだ。
走行距離378km(Total 41,882km)
ホテル: 16.5pesos
出費:食費 13.8pesos
ガソリン 3,000 Chileno pesos (10L)
ガソリン 4 Argintino pesos (7.5L)
1998年11月19日(木曜日)
Rio Grande-Ushuaia
リオグランデの先をしばらく行くと今まで見ていた大平原の景色が次第に変化してきた。進行方向に白い雪をかぶった山脈が連なっている。どうやらアンデス山脈の南端部にさしかかったらしい。大きな湖を右手に見ながらぐんぐん高度を上げる。このあたりの道路はまだ未舗装、前走車の巻き上げる砂煙で全身埃だらけ。
峠を越え谷間をしばらく下って行くと、真っ青な水を湛えた入り江が視界に入った。
「ビーグル水道だ!」
ついにウシュアイアにたどり着いたのだ。思えばアメリカを出発して9ヶ月、バイクの走行距離はすでに42,000kmを越えている。実は95年の11月にもアメリカからウシュアイアを目指して走り始めたことがあるのだが、メキシコでスペイン語を習ったり、古代マヤ、アステカの遺跡を見ているうちに時間がなくなってしまい、中米グァテマラ、ベリーズを走ったところで旅を中断してしまった。そんな経緯があったが、本日ついに三年来の目標を達成する事ができたのだ。
ウシュアイアには上野さんという日本人の老夫婦が住んでいる。上野さんはここを訪れる旅行者のために宿泊施設を提供しており、南米を旅するバイク旅行者、自転車旅行者、バックパッカーの間では有名な存在だ。
町としては南米最南端に位置するこの町は、深い海と高い山に囲まれた狭い平野に横長に広がっている。その町の西の方に上野邸と思われるカマボコ屋根の家を見つけだす。玄関近くへ行くと上品そうな白髪のおばさんが迎え入れてくれた。
お話を聞きながらしばらく待っていると、ピックアップトラックに乗った上野さんが帰ってきた。噂にきく「上野じいさん」と対面。顔に深く刻まれた皺が長年の歴史を物語っているかのよう。
バイタリティーにあふれ、話すことすべて驚愕することばかり。こんな土地でどうやって生計を立てているのか不思議だったが、訊くと身近にある素材から民芸品や化粧品など付加価値のあるものを作りだし、それを売っているそうだ。自分の住む家も自分で建ててしまうという。
地球の裏側の遙か彼方、南米大陸の果てでこんな凄いおじいさんが住んでいることにただただ驚くばかり。
走行距離243km(Total 42,125km)
ホテル: 上野邸 10pesos
出費:食費 4.5pesos
ガソリン 3.25pesos (7.5L) |