1999年8月12日、関西国際空港.....。
私はカナダ・バンクーバー行き、AIR CANADAの機内で今から世界一周の旅が始まることを漸く実感できた。 幾度も夢見た出発の時が正真正銘の現実となっている。
「夢ではないのだ」
6年前、まだ私が学生の時である。当時、数々の人生の選択が目前に迫っていた。
「就職....。」
「自分はいったい何がしたいのか?」
大学の四年間で教育学を学んだ。
小学校の教諭になることに憧れ、教育学部を選択したのだ。どちらかと言えば私は校内での勉強よりも郊外での野外活動(ツーリング、キャンプ、山登り)の方が好きな学生だった。
しかしそんな学生生活の中、ひとつの思いが時々頭の中を掠めることがあった。
「今の自分は何も掴めていないのではないか」
このまま教職の道に進んでも良いのだろうか。
社会も世間も、ましてや自分も理解していない人間が子供達にいったい何を伝えることができるだろうか...。 同時に「たった一度きりの人生、自分自身どう生きたいのか」という思いがあった。考えれば考える程わからなかった。
仮に人生を道にたとえるなら自分は「迂回路」を行く必要があるように感じられた。「迂回路」に自己を実現できる「何か」を見つけだせるのではないかと考えるようになった。
「人間って何なのだろう?」
「もっとたくさんの人に触れてみたい!!」
「自分の知らない世界に飛び込みたい!!」
そんな思いが積もり積もってきた。見知らぬ世界に自分を投げ入れて「自分自身を知りたい」と思った。
旅の資金を貯めなければならない。
大学を卒業し、レストランで調理とウェイターをして働いた。教員の臨時採用の話もあったが断った。少なくとも当時の僕にとってはお金が必要であったし、何よりもレストランでたくさんの人に触れ、働く方が確かに「何か」を掴めるのではないかと思えた。
働き始めてから3年3ヶ月が過ぎた。その間、世界を旅することにまったく迷いはなかった。
「よしっ!! ついに出発の時が来た!!」
旅の本格的な計画を進めた。3年間働いて貯めたお金で3年かけて世界の国々を旅することにした。勿論オートバイで....。
では、なぜオートバイなのか?
オートバイの旅を計画して行くと、いくつかの面倒な手順を踏まなければならないことがわかってきた。高額な費用のかかる各大陸間の輸送、煩わしい国境の通関・許可証取得の手続き、パーツの入手方法.....。 バックパックで旅した方が断然気軽で安く行けるのになぜオートバイなのか?
自由に走り回りたい、風を感じたい.....そんな理由も確かにある。しかし私にとってオートバイでなければならないのは、旅立ちの動機とも重なるものがあった。思い起こしてみると、今まで私はオートバイを介して多くの人々に触れ、たくさんの物事を理解し獲得してきたのではなかったか「オートバイの旅」ということにどうしてもこだわりたかった。
車種は何にしようか? オフロード?オンロード?リッターバイク?250cc?これだというバイクが見つかった。”HONDA
Z50J GORILLA”
アメリカを旅していたときに何度も尋ねられることがあった。
「なぜもっと大きなバイクにしなかったのか? 俺には理解できないよ...」
アメリカのように大きな大陸を敢えてスピードの出ない、疲れるゴリラで旅しようなんてクレイジーとしか思えなかったかもしれない。
もっともである。ましてや世界一周なんて....。しかしそんなことは承知の上でゴリラを選んだのだ。選んだ理由のひとつに経済的に助かるという利点があった。通常、日本から海外へ船でオートバイを持ち出す場合、梱包されたその体積で料金が決まる。当然、大きなバイクは高くなるわけだがゴリラならば神戸港からバンクーバーまで僅か5万円で運ぶことができたのだ。10万円以上はかかる
250ccクラスのオフロードバイクなどに比べるとかなり得と言えるだろう。
そして燃費。カブ系のエンジンを備えるゴリラは1リッターで70km以上は走ってくれる!!環境にも優しいのでは.....。 単純な構造でありながら高性能であることも嬉しい。自分で修理することも容
易だ。
一方、短所も数多くある。まず耐久性の問題。ハンドルに二本のスペアタイヤと交換用のオイルを括りつけ、後ろの荷台には5リッターのリザーブ用ガソリンタンク、10kg近い重量のタンクバッグ、そして20kg以上のざっくを自分が背負う。
世界最小クラスサイズのゴリラには相当辛い思いをさせている。現にメキシコ・オアハカ州ではあまりの悪路とTOPE(自動車のスピードを落とさせるため路上に設置されたかまぼこ状の盛り上がり)の為に後輪に過度の負担がかかり、タイヤチューブのエアー金具の継ぎ目が裂けるトラブルがあった。荷物の軽量化が重要になってくる。
最も悩まされたのが海外においてのスペアパーツの入手方法...。ゴリラは日本国内でしか販売されていないため、現地のバイク屋で純正部品の入手は困難である。ある程度の部品は運ぶとしてもタイヤをどうするか?日本からの輸送しかない。しかし、海外において住所を持たない者が果たして旅先で荷物の受け取りをすることが可能なのだろうか?
困った揚句、ある出版社に相談したところ、雑誌で名前を存じ上げていた”原付世界一周”の藤原寛一さんから電話を頂き、たくさんの疑問にお答えいただいた。(藤原さん、本当にありがとうございます!!)その後、藤原さん本人、その奥さんの浩子さん、永原さん、宗野さん、長倉さん、上江洲さんをお会いでき、実際に旅の話を聞くと夢にぐっと近づいた気がして大変嬉しかった。
さて、問題の荷物の受け取りだが、大使館宛、若しくは郵便局留め、ホテル宛で受け取れるかもしれないとのこと。予め連絡をとり、承諾を得て迷惑をかけない様に...。
このようにゴリラの旅は短所・長所さまざまだけれども、それらを考慮しても、「ゴリラでなくては」という決め手.....それは ”遅い、小さい” という一見不利益にも見られる者の持つ魅力。”遅い”というのは素晴らしい。
気になるものがあれば容易に停まり、見て触ることができる。どうせパワーがないのだからゆっくり行こうという開き直り!?もあるのだが....。
走っていると道ばたにいる地元の人々と目が合うことがある。しばしば怪しげな男が怪しげなオートバイで通り過ぎようとしているので、彼らの多くはその姿を「何なのか?」と言わんばかりに注視する。そこで"Hello!
Hola!"と笑顔で挨拶すると、ある者は手を振り笑顔で返して「どこから来たのか? 何人なんだ? 家に泊まっていけ!」と話しかけてくるし、またある者は警戒心から一層厳しい表情になり鋭い視線を投げかけてきたりもする...。何れにしても反応は面白い!
国、地方、性別、年齢、その時の気分、私の反応の仕方によって反応は異なり、カナダ以来これらを観察し比較するのがささやかな毎日の楽しみでもある。
オートバイでありながら、通りすがりの人々との距離が近い。”遅い”がゆえに、人や風景とより深く関わることができる。
「何かを掴みたい」僕にとって”遅い”ゴリラはとても魅力的なのだ。
というわけで、ゴリラ世界一周の旅が始まったのでした。
29 de Enero de 2000, 4:51PM
San Salvador, El Salvadorにて
伊原正貴 |