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北米大陸一周五カ国 64,000kmの記録

旅のトラブル集

 旅にトラブルはつきものである。今回の旅でも大なり小なり多くのトラブルに見舞われた。起こりうるトラブルをいかに回避するか、起きてしまったトラブルをいかに解決するかがスムーズな旅を続ける上で重要な課題となってくる。ここでは北米大陸の地で直面したトラブルとその原因、対策を紹介しよう。

マシントラブル

その他のトラブル

新品交換後3000kmでチェーンが伸びきった。
チェーンが短い!
チェーンが切れた!
原因不明のエンスト、タンクを開けてびっくり!
エンジンが焼き付いた!
バハ・カリフォルニアのバックロードで連続のパンク
メキシコ、オアハカでバスに追突される。
バックファイアー発生、あわや蜂の巣に。
グァテマラで炎天下のパンク修理
グァテマラ山岳地帯で雨に打たれながらのパンク修理
エンジン、力尽きる
サブフレームが折れていた

北極圏で蚊の大群に刺され貧血気味に
メキシコシティで食あたり
カリブ海で波酔い
エスキモーのおやじに虫避けスプレーとられる。
メキシコシティで警官に賄賂とられる。
メキシコシティでタクシーにぼったくられる。
グァテマラの山奥で詐欺師にあう。
一時輸入許可証明ステッカー紛失する。
アトランタのモーテルにて強盗が来る。
ラパスで部屋代ふっかけられる。
ヘッドライトを消せ!

 

  新品交換後3000kmでチェーンが伸びきった

 アラスカ州アンカレッジで一回目のチェーン交換をした。Oリングチェーンがないので普通のチェーンを買ったのだがそれが間違いだった。RK製だから悪くないと思ったが交換して5km走っただけで大幅に初期伸びし、いきなりスネルカムの目盛り5つ分も伸びた。500km走ってフェアバンクスの町にきた頃には更に3目盛り分伸びた。これから北極海沿岸まで1000kmの砂利道を走るというのに幸先が悪い。初期伸びはこれでおさまった筈だと勝手に思いこみ、北極海めざして走ることにした。ツンドラの荒野を1000km北極海沿岸まで何とか走ったが更に4目盛り分伸びた。果たして無事帰れるだろうか。チェーン切れを心配しながら走るというのは神経に良くない。やはり650ccのトルクに520サイズのノーマルチェーンでは役不足なのだ。
 結局帰路は200kmにひと目盛りのペースで伸びていったが何とかフェアバンクスまで戻ることができた。バイク屋を探しチェーンを注文する。Oリングチェーンの在庫がありひと安心するがそこで信じられないハプニングが起こる。話は以下へ続く。

  チェーンが短い

 アラスカ・フェアバンクスで伸びきったチェーンと磨耗したスプロケの交換をしようとした時のことである。町で一軒だけのホンダディーラーで120リンクのチェーンを買った。XR650Lはリンク数110なので、「Could you cut off 10 links.」といってチェーンカットを依頼した。カットされたチェーンを持って10マイル離れたキャンプ場に戻りテントサイトで交換作業にかかった。前後のスプロケを交換したあと、チェーンを繋ごうとして唖然とした。短いのである。そんな馬鹿なと思い数えてみると100リンクしかないではないか! 急いで新品のスプロケットに伸びきった古いチェーンをつけてバイク屋に戻る。閉店直後だったが無理に入って事情を説明する。バイク屋の担当は腑に落ちないといった表情をしたが、リンク数を数えることもなく新しいチェーンを持ってきた。「また切ってやるから待ってくんろ」といってメカニック部屋に持ってった。それから10分ほどかかって新しいチェーンをカットし、間違って切ったチェーンと取り替えてくれた。520サイズで100リンク以下のバイクなんてないのでこれでバイク屋は100ドルもするチェーンを無駄にした。だめなメカニックだ。
また10マイル走りキャンプ地に戻り、気を取り直して交換。新しいチェーンをあてがって目が点になった。また短いのだ!一瞬青ざめて、「間違ったのはバイク屋ではなく俺ではなかろうか」と思った。「実は120リンク必要なのではないか」と思い、マニュアルを確認するがやはり110リンクで正しいのだ。チェーンのコマを数えても100リンクしかない。なんだかドッと疲れが出てきてこの日は早々と寝袋に潜り込んでしまった。
次の日になって、気を取り直しバイク屋へ。例の担当に説明すると「冗談かよ」といってリンク数を数えはじめた。なんとそのバイク屋のおやじはプレートひとつを1リンクとして数え始めたのだ。「1、2、3、4、・・・・・・50!50リンクしかない!」そう言ってびっくりしていたがびっくりしたいのはこっちの方だ。リンクの数え方も知らないとは。結局おれの方からリンクの数え方を教えてやってまた新しいチェーンを切って取り替えてもらった。
アメリカやカナダのバイクメカニック全般にいえることだが、ろくな仕事もできない奴が圧倒的に多い。この一件から「バイク屋にものを頼むときは壊されても仕方がないと思え」と考えるようになった。

  チェーンが切れた!

 サウスダコタ州のインターステーツハイウェイを120km/hのスピードで走っているときである。いきなり左足下のあたりから「ドガン!」と音がしてエンジンが止まった。フェアバンクスで買ったいわく付きのチェーンが切れたのだ。切れたのはマスターリンクのあたりだった。とりあえず切れたチェーンを外そうとするがドライブスプロケットとクランクケースの間にチェーンが挟まって外れない。マイナスドライバーでこじって何とか外した。クランクケースにチェーンがめり込んでいたので、「もしかしてクランクケースも割れたのか」と思ったが削れただけで済んだようだ。スペアのリンクを持っていたがマスターリンク周りのコマも砕けたので修正不可能になっている。広大な農地の中、地平線の彼方まで道が続く。とりあえずは次の村まで押すしかない。村のどこかにバイクを預け、ヒッチハイクでチェーンを買いに行けばよいと考えていたが次の村まで20kmもあることがあとになってわかる。炎天下、ハイウェイの脇をバイクを押して歩いているとき、ラングラーに乗った初老の夫婦が止まってくれた。事情を話すと町までチェーンを買いに連れてってくれるという。言葉に甘えて乗せてもらうことにした。バイクを道端に置きっぱなしにするのが心配だったがとにかく早く行くしかない。約20km走ったところで小さな村に着いた。そこはガソリンスタンドとよろず屋を兼ねた小さな店が一軒しかない。村人に訊くとバイク屋のある町は更に30km行ったところだと言う。ラングラーの夫婦は「何も心配することない。行こう。」と言ってくれて町まで連れていってくれた上、チェーンが見つかるまでバイク屋を回ってくれた。どこの馬の骨かもわからない外国人の俺をここまで面倒を見てくれた事に感激した。話を聞くと彼等もバイクで旅していた時期があったという。時には今日の自分のようにトラブルに見舞われたことがあったがいつも多くの人たちに助けられてきたという。別れ際、御礼にと20ドル札を手渡そうとするが、絶対に受け取ってくれなかった。そして「そんな御礼はいいから、もしヒロが困ってる人を見かけたら今日の私たちみたいに助けてあげてね。」と言った。

  原因不明のエンスト、タンクを開けてびっくり!

 トランスカナディアンハイウェイを東に向けて走っているときのことである。Sudbaryという町で給油し、町を出ようと走り出す。道端で故障車と思われる車がある程度距離をおいて何台も止まっている。いずれもボンネットを開けエンジンをのぞき込みながら困った顔をしている。今日はやけに故障車が多いなと思ったがあまり気にせずにいた。まちをでようとしたところで、自分のバイクも突然エンジンが止まってしまった。今まで調子よく走っていたのにセルを何度回してもエンジンはかからない。燃料は入れたばかりだし、プラグを抜いてスパークを見ても元気よく火花が飛ぶ。キャブレターのトラブルかと思ったりして2時間以上もあっちこちチェックしてみるが原因が分からない。原因不明のトラブルほどやっかいなものはない。バイク屋を探そうと思い人に訊くがみんな変に訛った英語を話す。中にはフランス語で聞き返してくる者もいてらちがあかない。終いには訛った英語で「こぬぉぬぅほんずんのえいぐぉわがんねずら!」と言う者もいていやになった。おめーらの英語の方がよっぽどわかんねーよ。
 辟易としてしばらくぼーっとしていたが、何気なくタンクキャップを開けて驚いた。灯油の臭いがするのだ! 別なガソリンスタンドでガソリンを入れ替えると何事もなかったようにエンジンは始動した。

  エンジンが焼き付いた!

 ジョージア州アトランタから南に向かってハイウェイを走っているとき、急にエンジンがせき込み始めた。マフラーから真っ白な煙があがり後ろの視界がきかないほどになっている。クラッチを切るとエンジンは止まった。幸いなことに目の前にすぐインターチェンジがあり、その出口にはガソリンスタンドがあった。そこまでバイクを押すこともなく惰性で降りていくことができた。オイルタンクのキャップを開けると真っ白い煙が吹き上がったのでびっくりした。エンジンはまるでストーブのようにガンガンに熱を出している。焼き付きだ。顔面蒼白になり「ここで旅は終わるのか」と思った。とりあえずオイルを1リッターだけ買い、補給すると全部入った。更にもう1リッター買いタンクに注ぐと全部入った。結局3リッター目のオイルも全部入り満タンになった。オイル漏れを起こしているのかと思ったがどこからも漏れてない。オイル交換の時でさえ2.5リッターしか入らないのに3リッター入るとは!しばらく冷ましてから恐る恐るエンジンをかけると金属が擦れるような異音を発して動き出した。バイク屋に行くしかない。蒸気機関車のようにモクモクと煙を吐いてバイクは走り出す。スピードが出ず、原付ほどの馬力までに落ちている。しかし動くだけましだ。ホンダのディーラを見つけメカニックに事情を説明すが、今日はもう閉店の時間なので明日の朝来てくれと言われた。仕方なく近くのモーテルまで走り一泊する事にした。このモーテルではまた恐い目に遭うことになる。無事朝を迎え、バイク屋へ走る。見積もりをしてもらい、費用がかさむようだったら売りたいというと、信じられないことにメーカー保証を使って無料で直せるらしいことがわかった。やがてすぐにオーバーホールが始まった。アメリカ人とは思えないほど速い仕事だ。午前中にオーバーホールを終え必要な部品を発注したので明日には部品が来て午後には走れるようになると言う。信じられないほどトントンと問題が解決してゆく。メカニックにホテルまで案内してもらい、バイクが直ったらまた迎えに来てくれることになった。ホテル代をけちるとまた恐い目に遭うので今度は一泊60ドルの「コンフォートイン」を選んだ。新築のようなきれいな部屋でふかふかの布団で眠る。今までテント生活ばかりしていたので久しぶりに熟睡することができた。昼過ぎにバイク屋のメカから電話がかかってきて、バイクの修理が終わったのでこれから迎えに行くことを伝えてきた。バイク屋へ送ってもらうとバイクは新車同然にまで蘇っていた。
今回の焼き付きの原因は謎である。どう考えてもオイル交換して1000kmも走っていないのに空になるとは思えないのだ。オイル漏れしていたわけでもないので、考えられるのは夜中に何者かによってオイルを抜かれたという可能性が強い。ちょうどその前日、街道沿いのモーテルに泊まっていたのでその時やられたのかもしれない。

  バハ・カリフォルニアのバックロードで連続のパンク

 パンクはトラブルのうちに入らないが、人のいない荒野の真ん中で連続してパンクするといい気がしない。バハ・カリフォルニアのバックロードは全体的にガレていて岩角が道に突き出している場合が多い。スピードを出して走っているときに岩を見落とすといとも簡単にリム打ちする。この日2度目のパンクの時はすでに日も暮れ、暗闇の中でのパンク修理となった。コヨーテの遠吠えが聞こえる中、懐中電灯の光を頼りに修理した。

  メキシコ、オアハカ市でバスに追突される

 夕方になってオアハカの町にたどり着いた。宿を探して市内を走り回っているとき、赤信号で止まると後ろからバスが追突してきた。幸いテールランプが潰れただけで済んだがバスの運転手は謝る素振りも見せずへらへら笑っている。頭にきたが相手が悪かった。ここでは日本の常識は通用しないのである。相手にしても埒があかないと思った。悔しいけど黙ってその場から離れるしかなかった。

  バックファイアー発生、あわや蜂の巣に。

 グァテマラ国境を越え最初のガソリン給油直後にエンストがあり、以後ある程度の時間をおいて唐突にエンストが起きるようになった。セルを数秒回せば再びエンジンはかかるのだがその時に、かなりの確率でバックファイアーが発生する。その「パン」と言う音が銃声そっくりなので辺りにいる人は驚いて振り返る。走行距離を増すほどにエンストが起きる間隔が短くなっていくようだ。原因として考えられるのはガソリンの質によるものだと思う。グァテマラではガソリンは無鉛化されておらず、ガソリンスタンドで買えるのは全て有鉛ガソリンなのだ。有鉛ガソリンの成分によるバルブ回りの密閉不良、ピストンリングの減りに加え、オクタン価も低いため混合気が爆発しにくくなるのだろう。先が思いやられる。この国に入ってから重装備の軍人を多く見かけるようになった。みんな自動小銃を持ち、弾丸の数珠繋ぎになったベルトをたすき掛けにしている。肩にバズーカーを乗せている者もいる。このあたりでは原住民の自治権拡大要求をめぐって政府との間で時々軍事衝突が起こっているという。原住民は武装してゲリラ化しているらしい。山岳地帯を走行中、政府軍の警備兵が何人か行軍している近くでエンストした。慌ててエンジンをかけようとセルを回したらバックファイアーが発生、背後で銃声がしたと思ったのか数人の兵隊が慌てて自動小銃の銃口を向けてきた。危なかった。幸いただのバイク旅行者、ただのバックファイアーだと気づいてくれたのか弾丸は飛んでこなかった。あわや蜂の巣にされるところだった。こんな所で調子の悪いバイクに乗っていたら命に関わる。

  グァテマラで炎天下のパンク修理

 グァテマラシティでエンデューロタイヤに交換した後、熱帯雨林の道を目指して走っている時にパンクした。炎天下の舗装路をこのタイヤで走っていたので古傷のパッチゴムが剥がれたらしい。チューブを引っぱり出すが、手で触れないほど熱くなっている。面倒なことになった。一番やっかいなパンクの仕方だ。古いパッチをひとつずつチェックして行くが空気漏れしている場所がわからない。40度以上ある炎天下で修理するが、直るまで1時間もかかってしまった。意識が朦朧とし、ふらふらだ。飲み水のボトルも修理中に3リッター飲んでしまって空になった。
熱帯雨林のバックロードに入る前からこうなったのでは先が思いやられる。

  グァテマラ熱帯雨林で雨に打たれながらのパンク修理

 山岳林道を300km以上走って幹線道路に出た。幹線道路なら舗装されていると思ったのだがその道もガタガタのガレキ道だった。日本では未舗装の林道を求めて走り回っていたが、異国の地で毎日悪路を走っていると、気を使わずにスピードを出して走ることのできる舗装路がこいしくなる。道行くトラックはみんなダンパーが効いてないかのように上下に跳ねながら走っている。こんな道を毎日走っていたらダンパーもいかれるのだろう。山岳地帯から熱帯雨林の平野部に降りたところでリヤタイヤの空気圧が下がってきた。外気圧が上がったためだろうか。空気圧を測ると0.8もない。しかしいくらポンプで空気を送り込んでも1.0以上にあがらない。チューブ自体が熱で劣化しているらしい。ライン取りに気を使いタイヤをかばって走るが、雨が降ってきた頃、完全に空気が抜けてしまった。Cobanの町で買っておいた新品のチューブに交換したが、雨に打たれた上、汗と涙と油と泥にまみれ、気分も最低になった。パンクするときはいつも気象条件の悪いときだ。

  エンジン、力尽きる

 カリブ海の小島に渡り、3日ほどバイクに乗らずにリゾートライフを送っていたが、いざバイクで移動しようとしたときにはエンジンが動かなくなっていた。全走行64000km。シリンダーから上全部を交換してからは24000kmほどしか走っていないが粗悪オイルと粗悪ガソリンで酷使したため、ついに力つきたらしい。
 フェーリーを降りたところから町まで十数キロメートル、歩く覚悟をしてバイクを押していると、ポンコツのビートルに乗った現地人ポールさんが止まってくれた。
「オラ、セニョール、どしたんだい?」
「この通り、エンジンが動かないのさ。」
「バイク屋まで乗せてってやるよ。」
「グラシアス、セニョール。」
 バイク屋まで乗せてもらい、お礼に5ドル札を渡す。ポールは喜んで、
「今日はセルベッサが飲める」と言った。
バイク屋のトラックでバイクを取りに行き、とりあえずガレージに入れてもらい様子を見ることにした。

  サブフレームが折れていた

 エンジンがかからないのは、やはりバルブやピストン周りの異常摩耗が原因らしい。今からピストンなど交換したとしても、帰国まで残すところわずか一ヶ月だ。
手放し難かったが、ここはメキシコ・ユカタン半島。どうすることもできない。
エンジンをチェックしているときに気が付いたのだがサブフレームの右側部分が完全に折れていた。荷物の荷重に耐えられなかったのだろう。走行中車体の挙動が安定しないのはこれが原因だったらしい。
もうこれで修理する気力が失せてしまった。
「こいつを置いて日本へ帰ろう。」
バイク屋のオーナーに300ドルで売りたい旨を話すと喜んで買い取ってくれた。
関税の問題でひとつ心配があったが、一時輸入許可の解約もバイク屋で代行してくれるとのことだ。厳密には旅行者が他の国から持ち込んだ車両をメキシコ国内で売れば正規の関税と罰金が果たされることになっているが、こちらの社会ではいくらでも融通が利く。そんなラテン社会に感謝したい。
「アディオス」


  北極圏で蚊の大群に刺され貧血気味に

 意外に思うかもしれないが夏の北極圏は蚊が多い。北極圏の平野部はツンドラ特有の地形で湖沼が多いのだが、毎年夏になるとそこからいっせいに蚊がわき出してくる。蚊の天敵がいない事もあり、信じられないほど大量に発生する。しかも一匹一匹の蚊はブヨと思うほど大きい。バイクで走っているときも前面に蚊がぶつかりヘッドライトはすぐに蚊の死骸で埋まる。ゴーグルのレンズにもびっちり張り付き少し走ると前が見えなくなる有り様だ。バイクを止めて立ち止まるとどうやって血の臭いをかぎつけるのか知らないが何千何万の蚊の大群が集まってくる。蚊柱なんて甘いものではない。蚊の大群の黒い雲が鯉のぼりの吹き流しのようになびいている。体にもびっちりととまり、平手で叩くと30匹ほど潰れる。奴等はジーパンの上からいとも簡単に突き刺し血を吸ってくる。移動中は分厚い防寒着を着ているからいいがキャンプの時が大変だ。食事しようとお湯を沸かせばコッフェルに2〜3匹入る。テントの中で炊事すればいいと思うかもしれないがテントに食べ物の臭いがつくと熊をおびき寄せる結果を招くのだ。しかし蚊に刺されるのもいやだ。いくら注意して追い払っても一瞬の隙をついて刺してくる。一応防虫スプレーを塗っているがほんの少しの塗っていない場所を見つけて刺してくる。すでに100カ所以上刺された。テントに入るときにも10匹ほど一緒に入ってくる。夜寝る前にすべての蚊をつぶしておくのが日課になるが、一匹でもつぶし忘れるとひどい目に遭う。毎日刺されているうちに体がだるくなってきた。北極圏に入って3日と経たないが、すでに1000回以上刺されただろうか、次第に目眩と吐き気がしてきた。明らかに貧血気味だ。これではいけないと思いレア焼きのビフテキや大量のトマトジュースを飲んで回復したが、まさか蚊に刺されて貧血になるとは思わなかった。恐い恐い。

  メキシコシティで食あたり

 中華レストランでコースメニューを食べ、アレナメヒコでプロレスを見た帰り、急に吐き気がしてきた。駆け込むようにホテルに戻って真っ直ぐトイレに走り、胃の中身を吐き出した。さっき食べた中華料理が中華丼の具のように加工されて出てきた。地獄の苦しみの始まりである。以来吐き気の伴う苦痛が3日間続くことになる。2000メートルもの高地で酸素濃度が薄いためか呼吸も苦しくなる。今にも窒息しそうだ。弱った体に高山病も併発し呼吸が深く荒くなり、頭も割れそうに痛みだした。夜中、何度も吐き気に襲われ、ベッドから這い出す羽目になった。しかしトイレまで歩こうとしても足腰にまったく力が入らないのだ。何かにつかまっていないと体が床に崩れ落ちてしまうほどだ。一歩一歩足を踏み出すだけで心臓がバクバク鳴り、脳天に激痛が走る。目でものを見ようとしても焦点が合わせられない。目をつぶればドロドロした正体不明の物体が渦巻いているのが見える。こんな苦しい思いは生まれて初めてだ。この時、いっそ死んでしまいたいと思った。投宿している部屋はビルの4階である。バルコニーから下を見た時、ここから飛び降りてしまえば楽になれるだろうなとさえ思ったほどだ。こうして昼夜かまわずベッドとトイレを往復する日々が3日続いた。3日目の夜、少し熟睡できた。4日目の朝になると吐き気は幾分おさまったようだ。体が重苦しいが実際の体重は極端に減っているような気がする。考えてみれば3日間食事らしい食事はしていない。這うように洗面所まで歩き、鏡を見て驚いた。そこに映っている者は自分とは思えないほど病的に痩せこけた顔だった。皮膚の色も青白い。おれはこんな所でいったい何してるのだろう。本気で日本に帰りたいと思ったのはこの時が初めてだった。氷点下の北極圏の地で寒さに凍え一人キャンプしている時も、フロリダでサンダーストームに打たれている時もこんな弱気にはならなかった。体の自由が奪われた時、人はこんなにも弱くなるのかと思い知らされた事件であった。この一件は中華料理レストランで食べた春巻が原因だと思う。他の料理は湯気が出るほど熱いのにその春巻だけは冷めていたのだ。たぶん前の客が残したものを使い回しているに違いないと思う。なにしろここはメキシコ、しかもチーノ(中国人)経営のレストランだ。何があっても不思議でないのだ。怪しいと思ったものは口に入れないようにするのが基本だが、まさか春巻であたるとは思わなかった。不運としかいいようがない。今回の旅行で深刻な身体的トラブルはこの食あたり事件のみであった。

  カリブ海で波酔い

 旅も終わりに近づいた頃、メキシコ本土からガリブ海の小島に渡った。イスラ・ムヘーレスという名のその島にはガラフォン国立公園という臨海公園がある。そこでは数多くの熱帯魚が生息していて、スノーケリングやダイビングで楽しめるようになっている。岸近くには熱帯魚があまりいないとのことなので、ツアーに参加してボートで沖まで行くことにした。ボートから海に入るとまるで水族館の水槽に入ったように熱帯魚がひしめき合っていた。カラフルな熱帯魚が手に届く範囲を泳いでいる。絵にも描けない美しさとはこのことだ。
しばらく熱帯魚と一緒に泳いでいたが、だんだん波が高くなってきた。波に揉まれているうちに気分が悪くなってきた。波酔いだ。ボートに上がりたいが見える範囲に20隻くらいのボートが浮かんでいる。悪いことに自分の乗ってきたボートがわからなくなった。一隻づつボートに近づいて確認しようとするのだが波があるのでいくら力一杯泳いでも前に進まないのだ。次第に手足がしびれ、呼吸も苦しくなってきた。更に吐き気ももよおしてきたがスノーケるをくわえたまま吐くわけにはいかない。このまま水深10メートルもの海上で溺れてしまいそうだ。ついに我慢できなくなってスノーケルを外し海中で吐く。すると吐いたゲロに向かって熱帯魚たちが集まってきた。餌だと思っているのか大小さまざまな美しい熱帯魚たちが身の回りに集まりだす。さっきまで泳いでいるときには見たことない珍しいものまでやってきた。災い転じて福となすである。気がつくと自分のボートが近くに来ていた。ボートに上がるとなぜか波酔いがおさまった。


  エスキモーのおやじに虫避けスプレーとられる。

 カナダ北極圏内の村イヌヴィクにて、キャンプ場でくつろいでいる時、どこからともなく酒に酔ったエスキモーのおやじがやってきて訛った英語で言った。
「オレは漁師やってんだ。で、あの河の畔にボートを停めてある。うまい魚がとれたからここで焼いて一緒に食べよう。」
 更に続けた。
「ボートに積んだ魚をとりに行きたいんだけど蚊が多いのでその蚊避けスプレーを貸してく
れ。魚をもってすぐ戻ってくるから。」
 このおっさん俺の虫避けスプレーもって逃げるつもりだなと直感したが、ものは試しに託してみた。しばらく待つが戻ってくる約束の時間を過ぎてもやはり戻ってこなかった。虫避けスプレーのことは別にどうだっていいが、空しさとおかしさが入り交じった妙な気分になった。これまで出会ったインディアンは誇り高い民族だという印象を受けたがエスキモーは違うようだ。

  メキシコシティで警官に賄賂とられる。

 タイヤを買うためバイク屋を探しながらシティを走り回っているとき、白バイに乗った警官に停止を命じられた。悪いことにその時は国際免許を携帯していなかった。バイクを止めると警官はにっこりして握手を求めてきた。メキシコの警官はたちが悪いときいていたので一瞬緊張がほぐれたが国際免許を持っていないことがわかるとその警官は態度が変わってうわてに出てきた。免許書不携帯だから罰金30ドルよこせと言う。スペイン語がわからないふりをして黙っていると、身ぶり手振りで「見逃してやるから20ドル恵んでくれ」と言ってきた。しばらく押し問答していたが逃げられそうもないので「俺はこれから南米にボランティアの仕事に行くんだ。ボランティアだから給料がもらえないのでいまお金を使えないんだ。見逃してくれ」と言ってみた。警官は「俺だってボランティアみたいなものだ。給料なんか70ペソ(約1000円)しかもらってねんだぞ」といった。仕方ないので胸ポケットに入れてあった捨て金80ペソと5USドルを差し出すと「Guracias amigo!(ありがとう友よ!)」と言って去っていった。

  メキシコシティでタクシードライバーにぼったくられる。

 バイクでシティを走り回ると悪徳警官に捕まるのでタクシーでタイヤを買いに行くことにした。タクシードライバーにバイク屋を探してもらえば効率がいいと思ったからだ。人相の悪そうなドライバーはパスし、親切そうなドライバーを捜した。おばさんドライバーが目に付いたので頼むことにした。おばさんなら安心だと思ったが、あとになってその考えは間違いだということに気がつく。おばさんドライバーにバイク屋を何軒か回ってもらい、バイク屋に在庫の有無を訊いてもらうのを手伝ってもらった。自分で下手なスペイン語で訊くのよりは早かったが、おばさんは最後になってガイド料を請求してきた。タクシー代はメーターで60ペソを示しているが150ペソよこせと言うのだ。バイク屋で在庫を訊いてもらっている時間の分を上乗せしても100ペソは越えないはずだ。この時は仕方なく言いなりに150ペソ払ったが、あとから悔しくなった。考えてみたらおばさんに頼んだ自分が悪かったのだ。この国のおばさんの大多数はいわゆる「オバタリアン」なのであった。

  グァテマラの山奥で詐欺師にあう。

 グァテマラで景勝地として知られる「Semuc-Champey」へ行った。ここは天然のプールが段々畑のように何層にも連なっていることで知られている。そこで詐欺師に騙されそうになった。公園の入り口で入場料20ケツァル(400円)払い入場したが、山の斜面を降り園内の天然プールまで歩いたところで更にお金を請求する人が現れた。入り口ですでに支払ったことを告げるがプールに入るなら更に20ケツァルよこせという。すぐに詐欺だとわかった。この国で20ケツァルというと1日分以上の給料に相当する。別にくれてやってもいいと思ったがここでお金を出すと財布をしまった場所に目を付けられる。そして泳いでいるうちに盗まれる可能性があった。いやな予感だ。バイクを置いた場所にも目つきの悪い原住民がたむろしていたことも気になったのですぐに戻ることにした。入り口に戻り公園の管理人にプールで会った人のことを話すがやはり詐欺師らしい。どうも公園側は黙認しているようだった。「日本から来たのに残念だ。もう二度と来ない。」と言って出るしかなかった。グァテマラシティーならいざ知らず、こんな山の中の景勝地で詐欺に会うとはやはり発展途上国ならではのことだ。

  一時輸入許可証明ステッカー紛失する。

 ベリーズからメキシコへ再入国するときになってガソリンタンクに貼り付けておいた一時輸入許可証明ステッカーが無いことに気が付いた。それで国境を越えるとき面倒なことになった。ステッカーがないとバイクを持ち込めないし、一時輸入許可のキャンセルもできないので関税がかかるという。国境で途方に暮れた。しかし逃げ道は用意してあった。税関の係官の話では、ステッカーを紛失したことを公的に証明してもらえばキャンセルできるので、それからまた新たに一時輸入許可を申請してくれとのことだ。しかしそれからの道のりが長かった。とりあえずは紛失の旨を証明してもらおうと、(公共)証明文書発行所へ行く。幸い、バイクの使用を許してもらったので町までバイクで走っていくことができた。


  アトランタのモーテルにて強盗が来る

 エンジンが焼き付いた日、仕方なくモーテルに泊まる事にした。エンジンの修理にいくらかかるかわからないので、汚くてもなるべく安い宿を探し部屋を借りた。カーテンはあちこち破れ、壁は血のようなシミが付いている。床にはゴキブリの死骸がたくさん転がっているというすさまじい部屋だ。夜中に寝静まった頃、誰かが部屋のドアをガンガン叩いてきた。眠い目をこすり窓から外の様子を見ると、身長2メートルはありそうな黒人が「開けやがれー」と言いながらドアを蹴ったり叩いたりしている。ドアが破られたら終わりだなと思いベッドの下へ隠れようとすると、そこはゴキブリの巣窟となっていた。黒人に殺されるのかゴキブリの巣窟にはいるのか選択を迫られたが、幸いドアが破られる前にセキュリティガードが来て、黒人はどこかに行ってしまったらしい。外に置いてあったバイクも何事もなく無事だった。

  ラパスで部屋代ふっかけられる

 メキシコのラパスに住み始めた頃、一軒家を借りたのだがそこの大家が曲者だった。最初一ヶ月単位で家賃を払い借りていたが3カ月目になって急に家賃をつり上げてきた。それでなくとも相場よりかなり高い値で借りていたのに更に値上げするとは。その時は頭にきたがこっちにも非がなかったわけではない。ラパスで知り合った日系インディオのおっさんを2週間に渡って泊めてやっていたのだが、そのおっさんが一日中下手なケーナを吹いていたのだ。大家の家はすぐ隣にあったのでケーナの雑音にしびれを切らし値上げの宣告に踏みきったのだと思う。

  ヘッドライトを消せ!

 グァテマラシティ目指してグァテマラ南西部の道を走っているときである。この日は国境越えに時間がかかり、予定がくるって夜走る羽目になった。
後ろの暗闇の中から一台のジープが走ってきた。
「ヘッドライトを消せ!ゲリラに見つかるじゃないか」
 ユネスコから派遣されてきたスイス人が言った。このあたりでは原住民の自治権拡大要求をめぐって政府との間で時々軍事衝突が起こっているという。原住民は武装して山賊と化しているらしい。そして早朝や夜になると道路にでてきて道行く車を襲うのだ。慌てて常時点灯式ヘッドライトのコードを引きちぎりライトを消す。高めのギヤで走りエキゾーストノートも最低限に押さえる。こうして月明かりを頼りに冷や汗かきながら危険な山岳地帯を走り抜てきた。

 


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