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オーストラリア大陸縦横断24,000kmの記録

旅のトラブル集

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 ガンバレルHWY.のAbandoned(廃道)区間を走行。最後に通過した村から200km以上
走っているのだが、道は細く険しくなるばかり。「はたしてこの道でよいのだろうか!?」

 旅にトラブルはつきものである。今回の旅でも大なり小なり多くのトラブルに見舞われた。起こりうるトラブルをいかに回避するか、起きてしまったトラブルをいかに解決するかがスムーズな旅を続ける上で重要な課題となってくる。ここではオーストラリアの地で直面したトラブルとその原因、対策を紹介しよう。

マシントラブル

49.jpg (13428 バイト) スプロケットのボルト穴が小さい!
 
チェーンスライダー擦り切れる
 
キャリアのボルト折れ
 
パンクしたがパッチがない!

←道を外れて砂漠地帯を走る。正に砂の海の航海だ。
 ここからコンパスを頼りに北東へ50km走ればピストに出るはず。もちろん誰も来ないので、ちょっとしたマシントラブルが即、命取りとなる。

 スプロケットのボルト穴が小さい!

 アリススプリングスで最初のスプロケット交換をしようとした時のことである。シドニーを出発するときにあらかじめ部品を用意しておいたのだが、そのイタリア製のスプロケットを取り付けようとしたらボルト穴が小さくて入らなかった。ラベルにはしっかりと'92XR250用と書いてあったが、聞いたこともないメーカーの製品を信頼すべきでなかったのだ。その時はすぐにバイク屋へ行き、5ドル出して加工し直してもらって解決した。

 部品の選定には気をつけなくてはならない。実績のない部品はたとえ単純な構造のものであっても使用すべきではないのだ。特に人里離れた砂漠地帯を旅するときのマシントラブルは命に関わる。


 チェーンスライダー擦り切れる

 チェーンが妙にすり減っていると思ったら前側のチェーンスライダーが摩耗して穴があいていた。スイングアーム側もチェーンに当たっている部分が削れている。幸い摩耗を予測してスペアを持っていたのでその場で交換する事ができた。日本で経験していたことだがホンダのオフロードバイクのフロントチェーンスライダーは一万キロで減り尽くしてしまう。

 キャリアのボルト折れ

 ガソリン20リッター入りのジェリカンと10kgもの荷物を載せて走っていたため、キャリアの取り付けボルトが折れてなくなっていた。このキャリアはシドニーのバイク屋で注文した手作りである。キャリア本体からステップの下にかけて鉄パイプが通っているのでかなりの荷重に耐えられるよう頑丈に作ってある。ボルトが折れたにもかかわらずしっかり固定されていた。これが市販のキャリアだったら一本のボルト折れですべて脱落していただろう。

 パンクしたがパッチがない!

 サンドオーバーハイウェイを走行中、リヤタイヤが引っぱられるような感覚を覚えパンクしたことに気がつく。悪いところでパンクした。しかも修理しようと道具を出すがパッチゴムがない。ケープヨークでパンクしたときにかなり使った覚えがあるが、すべて使いきったはずではなかった。バッグの中をかき回すが、無いものは無いのである。このバックロードに入って200km以上走ったが入り口近くで一台の車とすれ違った以外誰にも会っていない。もちろん民家も原住民の村もない。地図上では一番近くの村まであと100km以上ある。通りがかりの人に頼もうにも、たとえ一日中待っても誰も通らないだろう。参った。
 リムで走る覚悟をしたがいいことを思いついた。要はチューブの穴を塞げばいいのである。古いチューブの切れ端を少し持っていたのでそれを円く切り取り、紙ヤスリで片面をザラザラにしてみた。ゴム糊を塗ればなんとなくパッチの代用品らしくなった。塗ったゴム糊が半乾きになるのを待っていざ接合。
 ところが急に風が吹いてきて砂漠の砂が舞いあがりゴム糊を塗ったところに砂埃が付いてしまった。試しに砂が付いたまま貼り付けてみるが、次の瞬間には簡単にはがれてしまった。
 「またやり直しだ。」
 ゴム糊もあと一回分しか残ってない。落ち着いて慎重に作業してなんとかパンク修理を終え、そして走り出す。 5km、10kmと走るが、少しずつ空気が抜けているような感覚が...。30km走ったところでプレッシャーをはかると、はじめ1.5あったものが1.0まで下がっている。空気を足しつつだましだまし走り、やっとアボリジニの小さな村に着く。そこでまたプレッシャーをはかると前回に入れた時の気圧のまま安定していた。なんとも気まぐれなやつだ。結局そのまま走り、爆弾抱えた思いでアリススプリングスへたどり着くことができた。

 


その他のトラブル

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雨期のオードナダッタトラック。いたる所に大小の水たまりができている。水没した地元のオージーライダーを次の村まで170km牽引した。
車両登録できない!
 
牛にぶつかりそうになる
 
蟻に襲われる
 
砂漠の真ん中でキックアームが折れた?
 
沙漠で金縛り
 
天空に滝が現れる
 
ジェリカンからガス漏れ
 
牽引170km
 車両登録できない!

 まだ走り出してもいないのに問題が起きた。バイクを購入し、改造も終え、いざ車両登録しようとRTAオフィス(陸運局のようなもの)へ行ったのだが、そこで登録する時にクレジットカードかメディカルカードの提示を求められた。登録するためには万一事故を起こしたときの賠償能力を証明する書類が必要らしい。しかし当時の僕はクレジットカードの類は一枚も持っていなかった。パスポ−トや国際免許を見せても「NO」という。
「出発を目前にして登録できないとは!」
 このまま買ったばかりのバイクを売って帰国するしかないのかと思い真っ青に。しかしここまで来て諦められるものではない。バイク屋へ戻り、事情を説明すると、マネージャーがRTAへ電話してくれた。ありがたいことになんとか交渉してくれて特別に登録してくれることになった。ただし日本大使館の発行する運転免許所の翻訳証明が必要らしい。その足で大使館へ行き、書類の申請をする。なんと発行まで三日もかかるという。こんな所まで来て日本のお役所仕事の遅さに悩まされるとは思わなかった。三日後、翻訳証明を受け取ることができたのだが、その紙っぺら一枚に3000円も手数料を取られた。
翻訳証明を提示して無事登録が完了。
 しかしこうして苦労し、走り出したときの気分は筆舌に尽くし難いものがあった。

 牛にぶつかりそうになる

 オーストラリアの多くのバックロードは牧場の中を通っている。それどころか幹線道路でさえもオープンレンジとなっていて、路上に牛が歩いていることがある。極端な例では高速道路のグリーンベルトに放牧している場合もあるから驚き。
 こうなると当然車と牛がぶつかる事故も起こり、至る所ではねられた牛が死んでいるのを目にする。
 牛は群で行動する動物だ。その習性を知らないと痛い目に遭う。ある日、バックロードを走っている時、牛が道を挟んで左右に十数頭ずついるところにさしかかった。バイクで通過しようとすると牛は逃げようとするのだが、最初はそれぞれの群が道の反対方向に走りだした。自分はそのままは通り抜けようとしたが、右の方にいた一団が左にいる牛の一団に合流しようとしたのか急に進行方向を変え、僕のバイクの直前を横断しかかってきた。時速100キロからフルブレーキングしたが、そう簡単には止まれない。逃げる牛のケツがスローモーションのように迫ってきた。ぶつかると思ったが、その寸前で止まった。冷や汗ものだった。
 その後、牛はひとかたまりの群となって砂漠へ逃げていった。

 蟻に襲われる

 ケープヨークのキャンプ場でのこと、夜中に体中がチクチク痛みだし飛び起きた。懐中電灯をつけてみたら、なんとテントの中に蟻が何千何百匹とはいずり回っているではないか!痛いはずだ。たくさんの蟻が皮膚にかじりついている。鳥肌たてながらテントから脱出。蟻に完全にテントを占領されてしまったのだ。まだ夜中の3時だというのに完全に目がさえてしまった。
 考えてみるとここは蟻の国だ。テントの周りには高さ3メートル以上もある蟻塚がたくさん建っている。こんなところで密閉性の悪いツェルトで寝ているやつが悪いのだ。
しかし毒蟻でなくてよかった。

 沙漠の真ん中でキックアームが折れた?

 やむを得ない場合を除き、ブッシュキャンプはなるべく村から近いところですべきである。なぜかというとキャンプ中に何らかのトラブルが起き一人で対処できない場合、やむを得ず助けを求めなければならない必要に迫られることがあるからだ。
 こんな例がある。キャンプ中、ストーブを使っているときに大火傷を負った人がいた。幸い近くに人がいたため、すぐに病院に連絡してもらうことができ、フライングドクターで救助された。
 また別な人は、ブッシュキャンプして夜を過ごし、朝になって起きたらバイクが倒れていた。傾いたタンクからガソリンが全部流れて無くなっていた。その人は原住民の村まで40km歩いて助かった。もしこれが何百キロも人里離れた場所でのことだったらと考えると大変だ。人里離れたアウトバックでのトラブルは即、命に関わる。

 ある時、道の状態が厳しかったため、予定距離が進まず夜になった。1番近くの村まで、戻って300km、進んで200kmという人里離れたアウトバックの真ん中でブッシュキャンプする羽目になった。
 ・・・夜が明け、いつものように荷物をまとめ走り出す準備をする。そしてエンジンをかけようとしたときである。キックアームを思いっきり踏み込もうとしたその足が空振りした。そして「ドスッ」という音とともにキックアームが砂の上に落ちた。見るとキックアームが根本からポッキリと折れているのである。このバイクはエンジンの始動がキックのみ、セルモーターなんか初めから付いてない。押しがけしようにも地面は柔らかい砂なのでできない.....。

 「悪夢だ」と思った・・・が、本当に夢だった。
 ガバッと起きてテントの入り口を開け、外にでる。そこにはしっかりとキックアームの付いたバイクがあった。

 沙漠で金縛り

 ギブソン砂漠横断ルートのひとつであるワーバトンルートを移動している時のことである。ロードハウスを過ぎ、360度地平線の風景の中を約150km走って適当なキャンプ地を見つけ野宿していたのだが、夜になって深い眠りから突然起こされる出来事が起きた。そこは半径150kmの土地に人はまったく住んでいないはずの砂漠の中である。自分以外誰もいないはずのテントの中に人が二人現れ、それぞれ俺の足と胸のあたりを押さえつけているのである。幽霊だ!ギョッとしたが体が動かないし声も出ない。必死で二人をふりほどこうともがくのだが体が全く動かないのだ。そして呼吸も止まりそうになった。いわゆる「金縛り」というものだ。気をしっかり持って苦しさに耐えようとするが朦朧とした意識が次第に遠のいていくのがわかった。そのとき、「あぁ、ここで死ぬのか」と思った。
 夜が明けた頃、意識が戻った。体中冷や汗が流れていたが無事朝を迎えることができたのだ。そして急いで荷物をまとめその場から離れた。更に何もない砂漠の一本道を約400km走り、小さな村に着いた。そこへ着いて人にあった時やっと生きた心地がした。ガソリンスタンドのおやじに昨夜のことを話すとそのおやじは「去年この砂漠で日本人ふたり死んだのさ」といった。

 それまで21年生きてきたがこんな経験は初めてのことだった。この出来事が起こるまで自分は霊感が弱く、お化けとは縁がないと思っていた。しかし遭ってしまったのである。

 天空に滝が現れる

 7月になってアリススプリングスからギブソン砂漠を越えて大陸南西部に入った。ある日の午後、砂漠の一本道を走っているとき、目を疑うような現象に出くわした。急に強風が吹きすさんだと思うや、天空に滝が現れたのだ。空中に真っ黒い岩が浮き、そこから大量の水が流れ出ている。その大きさはナイアガラなんてものではない。幅数百メートル、落差数千メートルで何本もの虹をたずさえ轟音をあげて移動している。怖いと思ったが美しくもあった。バイクを止めて見とれていると滝は自分の方へ向かって動いてきた。逃げようとして走り出したがたが滝の速度があまりにも速く、追いつかれてしまった。頭から水がザバザバと降りかかり、水圧で転けそうになった。止まってバイクを支えているのがやっとだ。周りはあっという間に水浸しになり道路の外の低いところは地平線の彼方まで海のようになっている。路上も次第に水かさが増し、水深5センチ、10センチと見る間に増えてゆく。このまま水かさが増えれば溺れてしまうだろうと思ったが滝は更に東へと移動し、自分の立っているところはそれ以上水嵩が増さなかった。

 この時期のオーストラリア南部は雨期であり、日本では想像のつかないような大雨が降る。話によると水はけの悪い砂漠に大雨が降ると四国くらいの大きさの湖ができることがあるとのことだ。そのため道路も閉鎖されることがあるという。移動している時だからよかったが、ブッシュキャンプ中だったらと思うとゾッとする。キャンプするときは高台にテントを張るのが鉄則だ。

 ジェリカンからガス漏れ

 一日数台という交通量のバックロードを走っている時、ガソリン臭いのに気がついた。見るとジェリカンの下から燃料が漏れていた。振動で鉄製ジェリカンの接合面が裂けたらしい。ここではガソリン1リッター失うごとに20km押して歩くことを意味する。
残っているガソリンを急いでメインタンクに移す。
 幸い、次の村までの250kmは何とか走りきれる量の燃料は残っていたが、気付かずにいたらと思うと汗が出る。実際、この国ではガス欠が原因で遭難死する人が毎年いるのだ。

 牽引170km

 オードナダッタからマリーの町へ向かう途中、泥沼で転けて動けなくなっていたバイク乗りがいた。この時期、大陸南部は雨期である。雨が降り続けばバックロードは泥沼と化する。ポンコツのロードバイクに乗った彼はオーストラリア人だった。オージーでもアウトバックの怖さを知らない者は容易に罠にはまってしまうのだ。
 泥にまみれて埴輪のようになったバイクを引っぱり出す。エンうジンをかけようとするが水を吸ってるらしく動かない。どう考えてもその場で直せる故障ではなかった。
通りがかりの車に助けを求めようにも車は走っていない。実際、今朝から200km以上走っているが、たった1台としかすれ違わなかった。このまま見捨てるわけにもいかないので牽引する事にした。
 250ccのバイクで500ccのバイクと人を牽引するのははっきり言ってイヤだ。しかも泥混じりの砂利道で。
 だけど今この人が頼れるのはこの俺しかいないのである。明日は我が身だ。いつ自分もこんな目に遭うかわからない。人助けではできるときにしておいた方がいい。
ロープでつないで半クラッチで走り出す。XRのクラッチが滑る。3速に入れるのがやっとで、回転をあげても時速50キロしかでない。周り360度地平線の見える風景の中での速度50km/hは止まっているような速度だ。走り出してすぐに次の町まで170kmと書いた表示板が立っていた。
「着いたら夜になってしまう」
 ロードバイクのオージーはダートロードを走るのが下手だった。四輪の轍の中を走っているのだが、例えば自分の走っている側の轍の前方に路面の荒れている所を確認したとする。自分はそれを避けようと隣の轍に移るのだが、後ろのオージーは砂利に怖がって移れないのだ。仕方なくスピードを落として通過することになる。そしてその度に神経すり切らせて半クラッチを使い50km/hまでもって行く。非力なバイクでの牽引で50km/hのスピードまで上げるのがどんなに大変なものかはやった本人しかわからない。
 こうして泥混じりの砂利道をゴトゴトと4時間走り町に着いたときは疲労でドッと疲れた。牽引がこんなに疲れるものだとは思わなかった。
オージーは5ドルとコーラ一本くれて去っていった。

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