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伊原くんのホンダゴリラ(50cc)で世界一周 !!

北米大陸編 (2023)

【20】

ではなかったのだ。

 小さなスピードの出ないオートバイは危ないと思ったら道を譲ることを心掛けなければならない。歩行者も同様。信号が青だからといってのんびり歩いていると、曲ってきた車にひかれそうになる。歩行者や弱い者が保護されている日本の交通ルールを異なり、メキシコは車優先社会。
 間違って日本の常識でメキシコの町中を歩いたり、バイクに乗っていると、命がいくつあっても足りないかも。
 ”メキシコに入りては、メキシコに従え”

 そんな狂気の運転手達をみていると、メキシコ人てどんなだろうと猜疑の目で見たくもなるが、いやいや町で出会う彼らは驚く程フレンドリーで旅行者に親切にしてくれる。(ジキル博士とハイド氏?)
 メキシコでは行く先々でアミーゴ(友達)ができたが、特にサンルイスポトシで出会ったCarlosは忘れられないメキシコ人のひとりだ。
 サン・ルイス・ポトシに到着したのは、11月27日。メキシコの宿としては激安の一泊US$2というユースホステルがあると聞いたので、住所を頼りに探すが見つからない。偶然近くにあった車整備会社のオーナー・Carlosに尋ねた。なんとそのユースホステルは2ヶ月前に閉めてしまったという。
 どこか安い宿を知らないかと尋ねたところ、「良かったら俺の家に泊まっていけ。でも今から仕事の用事でアメリカのテキサスに行くから1週間程いないけれど。はいっ、これカギ。」
結局、主人のいない家に1週間滞在させてもらったのだ。信頼してもらえたのは嬉しいが、彼の親切にはド肝を抜かれた。

 モンクローバという製鉄業で栄えた町でも宿を探して町中をゴリラでうろうろしている時に、オートバイ整備士のMarioに声を掛けられ、彼の家に泊めてもらった。後に彼曰く、ゴリラで走る姿は怪しかったのでつい声をかけたという・・・。
 外国人旅行者は、全く入っていけそうにない下町の通りに家があった為、近所の人達までが日本人見物にやってくる騒ぎになった。 決して豊かな暮らしをしているとは言えなかったが、家族同様に扱ってくれ、独り旅をしている僕には彼らの気持ちが堪らなく暖かく感じた。

【21】

 メキシコの主食にトルティージャと呼ばれるトウモロコシの粉を練って焼いたパイのような食べ物があるが、それは家庭によってそれぞれの味や厚みがあると言われている。
 Marioのお母さんの作るトルティージャは、厚さがちょうど良く本当においしかった。
 泊めてもらっている上に、食事まで御馳走になっているのだから、何かお返しできることはないかとトルティージャ作りをお手伝いしたが、どうやっても彼女がするようにはできず、却って邪魔をした気がした・・・。
 それなら、オートバイ整備の手伝いならできるだろうとMarioのいる作業場へ行ってみるが、これまた僕には到底務まりそうにない気がした。
 彼のところに修理を依頼されるオートバイは、ウインカー、バックミラーがないのは当り前(Marioは、そんなの普通だと言い切った!)、ブレーキ、マフラー、エアフィルターがないなど、日本では走れなさそうなものばかり持ち込まれてくる。
 例えば、ブレーキの効かないバイクを持ってきてもブレーキを直してくれとは言わず、エンジンがかからないから直してくれという。よくみるとエアフィルターがない。そりゃ、エンジンかからんようになるわ。
 無茶苦茶な使われ方をされたバイクを修理しろと言われるものだから、修理する方もすごい。まるで突貫工事でもするかのように、切ったり叩いたりする。例えば、何か手伝えないかと見ていた僕が、ボルトを緩める
くらいならできると、ボルトにレンチを掛けようとした。するとMarioは「それでは遅いだろ!」とペンチを持ってきてボルトを挟み、ぐいっと捻る。「あっ!ボルトが潰れる!」と思ってもお構いなし。緩めば良いが・・・。
 結局僕は、ネジひとつ緩めることもできず、毎日バイク屋を見物しにくる近所の子供達相手に遊んでばかりいた・・・。

【22】

 最高にうまい。値段も5ペソ(約54円)で5つと安い。屋台を梯子したおかげで、メキシコでは少し太ったかな。しかし、いくら辛い物好きの僕と言えども、皮を剥いだオレンジに、たっぷりチリソースをかけて売られているのを見たときは驚いた。
 メキシコ南部では、この旅の間で最も日本に帰りたいと思った。 風邪による発熱の上、オートバイのトラブルが発生し、気持ち的に参ってしまったのだ。
 ちょうど昨年のクリスマスである。プエブラという町でクリスマスを迎えたのだが、高熱の為ベッドから動けなかった。街はイルミネーションで飾られ、人で賑わっているというのに、安宿の薄暗い部屋でシングル・クリスマス・・・。
 翌日、重い体を引きずりながらもテウアカンを目ざすが、途中、ゴリラの動きが鈍くなる。なんだ、リヤ・タイヤのパンクか。修理するがチューブのどこにも穴が見つからない。よく見ると、空気を入れる金具の付け根が破れている。メキシコの町中や町の出入口に必ずあるTOPE(車両を減速させる為のカマボコ型緩衝帯)を越えたときのショックに加え、荷物の重量が増えた為に後輪に過度の負担がかかり、チューブの最も弱いところが破れたようだ。
 タコスの食べ過ぎで、僕の体重も増えたからなあ。新しいチューブに交換し、荷物を減らすことで対処した。
 しかし、トラブルによってこの先の旅への不安は増した。 さらに、ウチアン−アリガ間の強風地帯を走るのには苦労した。その地域は発電用の風車が建てられるくらい年中風が吹いている。真横から吹きつける突風でバランスを失い、側道へ2回転倒・・・。幸いケガやバイクの故障はなかったが、でもどうやって前に進んだらいいんだよー、と本当泣きたくなった。

 1999、12月30日、それでも中米・グァテマラとの国境手前の町、タパチュラになんとか無事到着。さようなら熱いメキシコ!! しかし、このとき悲惨な2000年への年越しが待っていようとはまだ知る由もない・・・。

【23】

北アメリカ編 おわりに

 今から振り返ると、カナダ・バンクーバーに到着して最初の入獄審査の時、審査官に尋ねられた「How long do you stay in Canada?」という英語でさえ聞き取れず、彼女があきれていたのを思い出すと、よくここまで来れたなあと、我ながら驚きます。
 
 言葉にしても、旅の知識にしても、僕は足りないものだらけ。何も持っていないから、自分から積極的に周りとかかわっていくしかない。
(”いくしかない”というのがかっこ悪いが・・・)しかし、これが僕流の旅です。旅って、他国の文化や人々と触れる一方、自分との葛藤や自らへの挑戦を通して自分自身を考えることのできる絶好のチャンスだと思います。百人いれば百通りの生き方があるように、旅も百通りある。身の丈にあった自分探しの旅・・・。
 
 今この手紙をペルーで書いていますが、南米に入ってから自分でも分かるくらい旅がおもしろくなってきました。というのも、南米の人達がとっても魅力的だからです。彼らはとっても好奇心旺盛で、髭面のアジア人が大きな荷物を背おって、自分よりも小さなバイクに乗って旅してるのを見ると、とっても気になるみたい・・・。

 A dnde vas? (どこへ行くんだ) De donde vienes?(どっちから来た?)
 Por que no usas una mas gran moto?(何でもっと大きいバイクで旅しないのか?)・・・
と興味津々で尋ねられます。僕も話しかけられるとついつい嬉しくなって立ち話になる・・・・気がつけばアミーゴになっていて、彼らの友達や家族を紹介してもらったら、家に泊めてもらうこともしばしば。
 もちろん南米では、泥棒、強盗、ゲリラも多く、日本と比べて決して治安は良くありませんが、だからこそ人との良い出会いがあると、感じるものがたくさんあるのです。
 彼らと夢中になって話をしたり、笑ったりしていると、不思議と長旅の疲れが癒されていく気がします・・・。

iSalud a nuestro viaje!
       19 AG 2000 desde Peru,Cusco
           Masaki Ibara,HONDA Gorilla

北米大陸編の続きは便箋をスキャンした画像でアップしました。
管理者多忙なため更新が遅れまして大変申し訳ありません。

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